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94_訪れた好機


「だから、すまねえけど、しばらく姫さんは外出を控えてくれねえかな」


 その日は、珍しくローランが一人で王宮を訪ねて来た。

 応接用の小じんまりとした一室で、アンナにお茶やお菓子を用意してもらって迎える。

 他愛のない雑談を挟み、ようやく本題に入ったかと思えば、その用件は現在ジョセフィーヌが王宮を出る際の警護役に就いているセドリック、パトリック、ローランの三人でまとめて休養を取らせてもらえないかという打診だった。

 なんでも落ち込んでいるセドリックを元気付けるための傷心旅行を計画しているらしい。


 ジョセフィーヌが外出するのは、ほとんどアカデミアに行く場合に限られており、それくらいであれば王宮の警備から二人ほど借りれば済む話だ。

 なにも三人がいなければ外出できないというわけでもないのだが、ローランは、自分が不要だと知るとセドリックが余計に落ち込むのではないかと心配しているようだった。

 意外と繊細な気遣いをする奴だと思ってローランの顔を見る。


「なっ、なんだよ。緊張するから、あんまり見んじゃねーよ」


 王女からの視線に耐えられなくなったローランが、紅茶を一気に飲み干そうとしてそれを口元からこぼしてしまう。


「あちっ……くもないけど、あーあ」

「貴方が私相手にそんなに緊張を?」


「俺を何だと思ってるんだよ。言っとくけど、姫さんにそうやって見つめられて、平気でいられる男なんていねーんだからな? もっと、自覚しろ」


『あら、こいつ。意外と可愛いこと言うわね』


 傍に控えていたアンナが、どこからかハンカチを取り出してローランに差し出した。

 それで濡れたズボンを拭きながらローランが話を続ける。


「セドリックが異常なんだ。あいつを基準に考えるな。あの剣術馬鹿の朴念仁」


「その……、セドリック様は、そんなに重症なのですか?」

「ん、んん、まあな……。まあ、大丈夫。外に出てパーッと気晴らしすればすぐに元気になるさ」


 オースグリッド邸に侵入した謎の火傷男との勝負に敗れたセドリックは、身体的なダメージ以上に心に傷を負ってしまったらしい。

 テオとの面談を終えた後、頭に包帯を巻いたセドリックと馬車の中で一緒になったが、確かにあのときも見るからに消沈しているようだった。

 セドリックは知る由もないことだが、打ち負かした当人である俺が励ますというのも非礼に当たるような気がして、こちらから話し掛けることもできず、セドリックとはそれきり会っていない。

 あれから一週間ほど経つというのに、まだ立ち直ることができないということは、彼にとって敗北の衝撃は相当なものだったのだろう。


「それで、出発は明後日からというお話しでしたが、お戻りの方はいつ頃に?」

「まあ、ざっとひと月かな」


「え、ひと月ですか?」


 予想外に長い期間であったため、思わず驚いて聞き返してしまった。

 アカデミアに行けないぐらいのことは別に良いが、そろそろプリシラに会って進捗を聞きたいと思っていたところだったので、それは流石に少し困る。

 あの店とプリシラのことはなるべく周囲に伏せておきたいし、さてどうしたものか。


「一体どれほど遠くまで羽を伸ばしに行かれるご予定なのですか?」

「えっ? えーと、それはー」


「……?」


 旅行のための休暇を請いに来たのだから、当然その行先を尋ねられることだってあるだろうに、ローランは俺からのその問い対し、あからさまに視線を泳がせ始めた。


「あっ、パトリック。パトリックの旧家があった場所だよ。祖先の墓参りも兼ねられるって、あいつも喜んでて……」


 それを聞いた瞬間、うなじの辺りがゾワつくのを感じた。


「確か……アークレギス……、でしたか?」


 恐る恐るその名を口にする。


「な、なんだよ。そんなことまで知ってるのか」


 やべーな、叔母上の言ったとおりだ、底が知れねー、とこれは一人で呟くようにローランが口元をモゴモゴとさせる。


『ねえ、行こう。ユリウス』


 またジョゼが無茶を言い出したぞと思う一方で、彼女のその前のめりな性格には感謝もしていた。

 今回は俺も同じことを考えていたからだ。


 俺自身でこう言うのもなんだが、ほとんど何もない国境の僻地に、王女様が直接足を向けるというのは不自然極まりないが、パトリックたちに同行するというのであれば、多少はその不自然さが紛れるのではないか。

 いや、それでも大分無理のある話だが、多少の無理は押してでも、アークレギスの現状を直接この目で見て確かめたい。

 俺の中でその欲求はすでに抗い難いものとなっていた。


『ユリウスの予想だと、今アークレギスは結構凄いことになってるんでしょ? 放っておいても、ローランやセドリックたちに勘付かれることになるんじゃない?』


 その指摘もそのとおりだった。

 俺が思い出せる記憶の中のアークレギスは、素養のない俺のような人間でも、空気中に満ちる魔力を濃密に感じられる状態にあった。

 王都の人間がそのことを知れば、その特異性が注目を集めることになるだろう。

 今や世界のほとんどから失われた魔法の力を巡って、アークレギスを中心とした争いが起きることもあり得るのではないか。

 夜毎のベッドの中、ジョゼと二人でそんな予想もしていたのだった。


 いや、実際俺が本当に心配しているのは、すでに今のアークレギスがその争いの渦中にあるのではないか、ということだった。

 連絡が絶えて久しいミスティの無事をどうにかして確認したい。

 王都にその情報が伝わっていないところを見るに、表立って敵国から侵略を受けているようなことはないと思うのだが……。


『ユリウス。ユリウス! 呼ばれてる』


 ジョゼの声で目の前の現実に引き戻される。


「おい。大丈夫か?」


 先ほどまでジョセフィーヌと顔を合わせづらそうにしていたローランが、こちらを覗き込むようにして見つめていた。

 よほど放心しているように見えたのだろう。


「え、ええ。すみません。お客様を前にして考えにふけるなど。失礼いたしました」

「いや、別にいいけどよ。まあ、そんなわけだから頼むよ」


「はい。承知いたしました。ですが、そのご旅行。私も同行することにいたします」

「あぁ!?」「姫様!?」


 当然驚くだろうな。

 だが、ここは勢いだ。


「セドリック様にはお世話になっておりますから。日頃のお返しをせねば。私で慰めになるかは分かりませんが、長旅の話し相手ぐらいは務まるかと」

『ふふっ。自分でボコっといてよく言うわね』


 そうだな。

 セドリックをダシに使うのは気が引けるし、俺がセドリックだったら放っておいてもらった方がありがたいと思うはずだが、ここは厚かましく、無神経に振舞うことにしよう。


「いや、女連れで行くような場所じゃあないんだが……」

「いいえ。必ず私が立ち直らせてご覧に見せます。セドリック様には今後もお助けいただかなくてはなりませんから」


「いやいや、はっきり言って迷惑だよ。姫様連れて王都の外に行くなんて、どう考えてもそっちの警護がメインになるだろ?」

「お忍びで参りましょう。アンナ、急いでその手配をしていただけますか?」


「ぇええっ!? おい、あんた。あんたも止めろよ。大事になるぞ? こりゃあ」


 俺が全く翻意しそうにないと見るや、次にローランはアンナの方にすがる。


「はい。これは一大事です。すぐに万端の準備をお整えいたしますので、明後日のいつ頃にご出立のご予定なのか、詳細を教えていただけますか?」


 意外なことにアンナは反対しなかった。

 傍で聞いているアンナから反対されることを見越して、最初から強い口調で、こちらの意思の固さを示威して見せたのだが、それが功を奏したのかもしれない。


「エミリーに手紙を書きます。急いで届けたいから、後で部屋に取りに来ていただけますか?」

「はい。姫様」


 口をあんぐり開けたローランをその場に残して席を立つ。


 じきにアークレギスの現状が、多くの者の知るところとなるのなら、今さら情報を出し惜しみしても仕方がない。

 むしろ、あちらで何が起こっているのか、その調査の精度を高めるために専門家のプリシラにもご同行願おう。


『マズいわね……』


 自室へ向かう途中の廊下で、ジョゼがかなり深刻な口振りで言った。

 俺は自分の手の平をジッと見つめて合図を送り、話の先を促す。


『気付かなかった? アンナの態度。これはきっと面倒なことになるわよ……』


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