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90_第二王子テオドール 1


 翌朝、他の多くの子供たちが押しかけるよりも大分早い時間に、テオドールがオースグリッド邸にやって来た。

 昨日までにすでに色々あった後だが、俺たちの本来の目的はこの面会である。


 オリアンヌに伴われて面会用に用意された部屋に入ってきた僅か八歳の子供は、ジョゼが言っていたように、見るからに聡明で利発そうな相貌に見えた。

 その小さな身体にピッタリ合わせて仕立てられた上等な服装を着こなし、背筋を伸ばして静かに歩く姿は、昨日芝生や食堂で遊び回っていた子供たちと同じ年頃だとは思えない落ち着きと気品に満ち溢れて見えた。


『髪の毛サラッサラ。肌白ぉっ。ねえ、超美人じゃない? さっすが、私の弟ね。ねっ、そう思うわよね?』


「お久しぶりでございます。姉上。本日はお声掛けをいただき誠に感謝致します」


『姉上! 姉上ですって。ねえ聞いた?』


 俺だけに聞こえるこの姉弟の落ち着きの差に眩暈(めまい)を覚えながら、俺は精一杯の微笑みを浮かべて彼を迎えた。


「お話しできる日をずっと楽しみにしておりました。……テオ、とお呼びしても?」

「もちろんです。姉上」


「……じゃあ、テオ。……とりあえず、座りましょうか」


 俺にとっては弟でも何でもない赤の他人なのだが、テオにとって俺はほとんど初めて会うに等しい腹違いの姉である。

 印象を悪くしてしまっては大変だと気を揉み、どうしてもぎこちなくなってしまう。


 会話の内容は予めジョゼと打ち合わせ済みだった。

 母親テレーズの健康のお伺いから始まり、どんな習い事をしているのか、得意なこと、苦手なこと、遊び友達などはいるのかといった質問が用意してあった。

 俺は概ねそのとおりに会話を進めて行こうとするのだが、妙なテンションではしゃぎ出したジョゼは、あれも聞いてこれも聞いてと、予定にない質問を次々と挟み込んで来る。

 テオが読書、特に物語を読むことが好きだ、と話した際にはどんな本を読むのか、その感想はどうだったかという話をうるさくせがむので、俺はあたふたとアドリブで質問の仕方を考えることに追われた。


「ジョセフィーヌ様。そう質問責めにしては可哀そうですよ?」


 これまで横で一人、姉弟の会話を黙って聞いていたオリアンヌが見かねて口を出す。


「……ああ、そうでした。ごめんなさい。私ばかり。テオの方はどう? 私に何か聞きたいことはありますか?」


 ジョゼの言葉を翻訳して質問することばかりに夢中になっていたせいで、相互の会話ではなく、事情聴取のようになっていた自分を反省する。

 テオの方はそんな姉の言動に対し、一切困ったそぶりも見せず、ずっとニコニコと応答を続けていたのだった。


「それでは……。質問ではなく、私の方からお話しせねばと思っていたことをお伝えしても?」


 一応前置きとして間はあったが、その口調はこれまでジョゼからの他愛のない質問に答えていたときと変わりない、気負いのないものだった。


『どうぞどうぞ。何でも言ってちょうだい』


「何かしら? どうぞ、気兼ねなく話してください」


 俺もジョゼも、八つ違いの可愛らしい弟に向かって気安く先を促す。


「王宮襲撃の件です。あれは、私たち親子が意図したものではありません」

「…………」『…………』


 明るい陽の光が射し込んだ穏やかな室内。

 これまで他愛のない会話の調べを乗せて、穏やかに過ぎていたひとときが、テオドールのその一言で急にその印象を変えた。


 小鳥のさえずりが間を繋ぐ中、俺は懸命に気持ちを切り替えようと努める。

 いつの間にか、短刀が喉元に突き付けられていたような気分だった。


「申し訳ありません。驚かせるつもりはなかったのです」


 テオドールはこちらを(おもんぱか)るような表情になり、さらに言葉を接いだ。


「母からもよく叱られておりまして。僕はどうも、話が性急過ぎるきらいがあるみたいです」


然様(さよう)ですね……。無用な警戒を生みますから、いずれ社交の場に顔を出すときには、そういった癖は直しておいた方が良いかもしれませんね」


 オリアンヌのその言葉は、八歳の子供に向かって(さと)す言葉にしては(いささ)か含意に富み過ぎていた。

 今このタイミングで、社交の場という言葉を出せば、どうしても王位継承権を巡る人脈作りのための社交のことが想像されてしまう。

 ここにいるのが実の姉弟としてではなく、次の王位を争うライバル同士であるという事実が白日の下にさらされ、いやが上にも緊張が高まった。


『いや……。この子と……、テオと争うなんて嫌よ』


 真っ先に根を上げたのはジョゼだった。

 当然、その言葉は俺にしか届かないのだから、それは彼女の独白のようなものだ。

 だが、俺の場合はそうはいかない。

 何を口にするにしても、その言葉には真剣勝負の刃が宿る。


 俺個人の考えで言えば、この勝負、決して譲らないと……、王位を継ぐのはジョセフィーヌだと、その強い意思に根付いた言葉を返さなければと思うのだが、ジョゼ本人とはその件について合意が取れていない。

 芯の通っていない言葉を不用意に発すれば、バッサリと斬り返されかねない。


 この面会をただの様子見と見ていた俺たちは、今ここで、テオドールと戦うための用意や覚悟が全くできていなかった。


『この話題はよしましょう? 適当にはぐらかしてよ。決めたから。私、女王になんかにならない。この子絶対いい子よ。いい王様になるわ』


 正直なところ、彼と実際に向かい合って話している俺の心証も悪くない。

 真面目で利口で性格も良さそうだ。

 だが、たった今交わしたこれだけの会話でそれを見極めるのは、あまりに性急過ぎる。

 それに、なにしろ彼はまだ八歳なのだ。これから色んなことを学び、色んな考えを身に着け、人格や主義主張を形成していくことだろう。


 ジョゼがそう言うのは、元々自分が王位を継ぎたくないという根底の思いがなせる安易な逃げだろうと思った。

 今のジョゼに従って、向こうから振られた核心の話題をこちらが避ければ、これから続く長い戦の、緒戦を落とすことになりはしないだろうか。


 どうする? 俺の一存で態度を決めるのか?

 この国の未来が、次に俺が発する言葉で決まってしまうのではないか。

 流石にそこまで考えるのは大袈裟に過ぎるだろうと思うが、その強迫観念のような圧に気持ちが押し潰されそうになっていた。


「すみません。本当に困らせてしまったようですね」


 沈黙に耐えかね、テオドールが小さく息を吐き、本当に申し訳なさそうな顔になって言った。


「姉上からお誘いがあったと、オリアンヌ様からお聞きしたとき、きっと私たち親子に釈明の機会を与えてくださったに違いないと、勝手に解釈してしまったのです。でも、今分かりました。姉上に他意はなく、ただ純粋に弟である私のことをお知りになりたかっただけなのですね?」


 目の前にいるのは本当に八歳の子供なのか、という思いを抱きながら、俺はじっと耳を傾けていた。


「また、短慮ですね、テオドール様。今のはジョセフィーヌ様に言わされたのですよ?」


 オリアンヌにそう言われて、テオドールがハッとしたように俺の目を見つめた。

 その様子に俺も驚いて、そのキラキラと輝く幼い瞳を黙って見つめ返す。


「参りました。大人の真似をして腹の探り合いなど。私にはまだ早かったようです」


『なんか勘違いされてない? ただ黙ってただけなのに』


 まったくだ。だが、助かった。

 ふと、砦村の寄り合いで、ほとんど何も喋ろうとしなかった父上のことが思い出された。

 思い返してみれば、あれは敢えて沈黙を保つことが父上の策だったのかもしれない。


「そんな、探り合いなどと……。私は単に、赤ん坊の頃の姿しか知らない貴方が、随分と大人びたものだと感心していたのですよ?」

「いえ姉上。慰めは不要です。ですが、子供は子供らしく、正直に謝って目上の方のお心にすがろうと思います」


 何となくテオドールが醸す雰囲気が変わったように感じた。

 第一印象からずっと落ち着いているように見えたが、今のこの顔付きが素なのだとすると、先ほどまではかなり緊張して喋っていたのだろう。

 テオドールの両肩が緩やかに下がっていることに気付き、それが今やっと分かった。


「……と、言うと?」

「私どものせいで、姉上の身に危険が及ぶ結果となったことをお詫びするつもりで、今日は参りました」


「先の事件は貴方がたの指図したことではないことは、先ほど伺いました。私はその言葉を信じますし、始めから疑ってなどおりませんよ?」

『そうよそうよ。裏で勝手をやる奴が悪いんだって。お姉ちゃん分かってるからね』

「おっしゃるとおりだと思います。そうでなくては、こうしてお呼び立ていただくこともなかったでしょうし。ですが、この場合、私たちの意図しないことが起きてしまうことが問題なのです」


 こちらの理解が及ぶのを待つためか、あるいはそうやって自身の気持ちを落ち着かせるためか。テオドールはそこで初めて、手元のカップを手に取り紅茶を口に含んだ。

 そうやって口を湿らせてから、しっかりとこちらの目を見つめてテオドールが口を開く。


「私は自分の王位継承権を放棄するつもりです」


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