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86_ユリウス 対 ローラン


 周囲に身を隠せそうな場所はない。

 俺は振り返って全速力で廊下を後戻りした。

 T字路になっている廊下の先は、右に行けば大浴場、左に行けば玄関へと続いている。


『左、左!』


 そこにたどり着く前に、背後からローランの怒鳴り声が響く。


「おい、お前! 何者だ!? 止まれ!」


 構わず突き当りを左に曲がって走り去ろうとすると、丁度右手から、二人の侍女を伴ったオリアンヌが姿を現し鉢合わせとなった。


「!……貴方!?」


伯母(おば)上、危ない!」


『何やってんの!? 走って走って!』


 一瞬思わずオリアンヌと顔を見合わせ速度を緩めてしまったが、何も話せることがないことに気付き、再び速度を上げて左に走り抜ける。

 向こうも何か言いかけたが、最後は黙って(うなず)いたように見えた。

 見逃してくれるということだろうか。


「叔母上!」

「ローラン。ジョセフィーヌ様はお部屋に?」


「いや? こっちには来てねえよ?」

「ならば、お探しなさい。行方知れずです。あっ、こら、ローラン! あの方のことは追わなくていいですから! 戻ってきなさい!」


 二人のよく通る大きな話し声は、逃げる背中越しにもよく聞こえてきた。


 追って来る気か? マズいな。


 土地勘のない貧民窟の路地で、すばしっこい子供相手に追いついてみせたローランの脚と執念深さを思い出す。

 俺も脚には自信があるが、あいにくと今は右の太腿(ふともも)に矢傷を負っていて万全ではない。


「なあジョゼ。さっきの悲鳴、何だと思う?」

『さあ? でもオリアンヌがあっちから歩いて来たってことは大したことないんじゃない? それより今は自分のこと』


 確かにジョゼの言うとおり、追われている途中に気を取られている場合ではなかった。 

 屋敷の玄関を出た先の芝生の上で、どこか身を隠せる場所はないかと見回していた僅かの間にローランに追い付かれる。


 全く勢いを殺さずに向かってくる気配を背後に感じ、慌てて回し蹴りで牽制した。

 その脚が空を切る。

 顔を振り向けた先では、ローランが両手両足を地に突いて俺を(にら)んでいた。

 低く前のめりにする体勢はまるで獲物を狙う四つ足の獣のようだ。


 ローランが腰に下げた剣の(つか)に手を掛けるのが見えた。

 それに呼応するように、俺はさっと後退(あとずさ)り、芝生の上に転がっていた木剣(ぼっけん)を拾い上げる。


「姫さんをどこへやった?」

「知らん。その辺を散歩してるんだろう」


『ね、ねえ……、そんな玩具(おもちゃ)の剣で勝てるの?』


 予めそこに転がっているのを見て目星を付けていたのだが、いざ手にしてみると想像以上に軽かった。

 俺が構えているのは子供たちが昼間使っていた木剣なのである。

 ローランとは一度、ジョセフィーヌの身体で戦い、勝っているが、この得物の差をもってすればどうだろうか。

 少なくとも今のローランは俺に手加減をしてくれそうにない。


「事情がある。見逃してくれないか?」

「へっ。ふん縛ってから、ゆっくりその事情とやらを聞くことにするぜ」


 俺は慎重に相手との間合いを計る。

 今の場合、目印とすべきはローランが構えている直剣の方の長さだ。

 俺が持つ木剣は、尺も短いし、材質も心許ない。

 が、受け方さえ間違えなければやりようはある。


「怪我をさせたくない」

「……上ぅ等ぉだ!」


 ローランが振りかぶって上段から真っ直ぐ打ち込んできた。

 迷いのない、勢いの乗った良い太刀筋だ。

 だが、正直過ぎる。

 俺はその一閃に合わせて、真横から思い切り木剣をかち当てた。

 真上からほぼ垂直に降ってきたその鉄の塊は、俺の身体を避けて通るように、ガクンとその軌道を曲げ、その勢いのまま地面へと向かう。


 相手が前のめりに体勢を崩したところへ、胴を蹴って突き飛ばすつもりだったが、ローランはまるで自分の一撃が弾かれることが織り込み済みであったかのように、即座に体を(さば)いて間合いを取っていた。

 剣を構え直す挙動を挟むこともなく、今度は地面スレスレの位置から斬り上げるような一撃がやってくる。

 俺は一瞬木剣でそれを受けそうになり、慌ててそれを引っ込め身体を(ひね)ってかわすことになった。 


 ローランはそのまま休む間もなく連撃を繰り出してくる。

 二度、三度、後ろに、横に、と攻撃をかわすうち、癖のようなものが見えてくる。

 最初の一太刀があれほど真っ直ぐだったのに、意図したものかどうなのか、それ以後の剣は妙に受け流しがしづらい角度で振られていた。

 こちらも真剣であれば、いくらでもやりようがあるが、この木剣では下手に打ち合わせることもできない。

 避けに徹しているうちに気付く。

 これはローランの癖というよりも、彼の稽古相手の方の……。


 当たらない剣を振らされる方は、そのうち無意識に避けられることを前提として、剣を振りながらも次の攻めに意識が割かれ始める。

 重心はより後ろに残り、剣のキレは鈍くなり───


 ここ!


 やや上方から、斜めに斬り下ろされる緩慢な振り。

 その弧の動きに潜り込むように木剣を合わせて下からかち上げる。

 鉄の刃が木剣の芯にめり込むが、断ち切れずに途中で勢いが止まる。

 ローランが思い描いた剣先の軌道ではなく、根本に近い部分を狙って木剣を当てたためだ。


 刃が固く食い込んだままの木剣を、そのまま上方へ跳ね上げる。

 そうして強引に剣を奪い取るつもりだったが、ローランは意外な粘りをみせて、剣の柄を握ったまま腕を伸ばして追いすがり、一瞬、力比べになった。

 (ふさ)がった両手、密着する身体、高く浮いた重心を見て、瞬時に俺の身体が動く。

 無防備な膝裏から思い切り脚を払うと、ブンッと回転しながらローランの身体が宙に舞った。


「ごっ! ……おうっ! んんっんんっんんっんんっ───」


 背中から地面に叩きつけられたローランは、のたうちながら激しく(あえ)いでいた。

 おそらく肺への衝撃で一時的に呼吸がままならなくなっているのだろう。

 俺にも経験があるから、その辛さはよく分かる。


『うーわー……。……ねぇ! ねぇねぇ、ユリウスってもしかして超強い? 何がどうしてこうなったのか、今の、全然分かんなかったんですけど!?』


「……得物(えもの)(こだわ)り過ぎたな。剣は所詮、相手に勝つための手段の一つに過ぎないってことも頭に入れておくといい」


 きっと、幾らか得意になった気持ちがそうさせたのだろう。

 まるで、砦村で仲間と立ち合い稽古をした後のように、俺はローラン相手に講釈を()つ余裕を見せていた。

 こんな浮ついた気持ち、とうに卒業したつもりだったのに。


『凄い凄い。自分で村一番て言うだけあるわね。て言うか、この国一番なんじゃない?』

「…………」


 俺は手元に残った木剣を見つめ、そこに刺さったままのローランの直剣の柄に手を掛けた。

 力を込めて引き抜こうとしたそのとき、背後から聞こえた声に、俺はギクリと身を強張(こわば)らせる。


「是非っ、私にも一つ、ご指導……、いただけませんか?」


 かなり息を切らして途切れ途切れの声。

 ここまで相当急いで走ってきたらしい。


「気を付けろ。こいつ相当、(つえ)ぇーぞ」

「ローラン……。よく、足止め、してくれました……」


 鞘から剣を抜く冷たい音がした。


 浮ついた気分が一瞬で吹き飛び、神経が研ぎ澄まされる。

 振り向くと、セドリックがこれまでに見たこともない形相でこちらを見据えていた。


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