82_オースグリッド邸の合宿 1
オースグリッド家に到着すると、敷地内では既に大勢の子供たちが広大な芝生の庭を駆け回るようにして遊んでいた。
その周囲には子供たちと同じか、それ以上の人数の大人たちがそれを見守ったり、あるいは、子供たちの遊びに付き合わされて、あちこちに引っ張り回されたりしている。
子供たちはいずれも貴族の年若い子息や子女だった。
どの子供も、先日貧民窟で見た子供たちとは雲泥の差で、皆血色良く、上等な服を着させてもらっている。
もっとも、そのうち何人かはすでに、その上等な服を泥で汚したり、脱ぎ捨ててシャツだけの格好になったりしているようだが……。
本来、彼や彼女らがアカデミアに顔を見せるにはいささか早いのだが、今日はオリアンヌの仕切りで、歳の頃で言えば七つから十くらいの子供たちが集められていた。
周囲の大人たちはその付き添いで、主にその家の使用人のようだが、中には母親らしき姿も見える。
幼い子たちが本格的に貴族の社交場に出る前の練習兼顔合わせの場という体裁で企画されたのが今回の合宿なのだった。
合宿の目玉は、陽が沈んでから行われる精霊を探そうというイベントである。
先日、アカデミアに現れた精霊のことは貴族たちの間で噂になっており、もしかしたら、まだどこかに隠れているかもしれないその精霊を、皆で探してみようという謳い文句で子供たちを誘い出していた。
そうまでして子供たちをこのアカデミアに呼んだ裏側には、俺とジョゼの画策があった。
なんとか公にならないように、第二王子のテオドールと会って話ができる場をセッティングできないか。と、ジョセフィーヌからオリアンヌに向けて秘密の書簡が送られられたのは、約一週間前のことだった。
ただし俺たちは、それを実現する手段がこんな大掛かりなものになる、などとは思ってもみなかった。
それに、企画の立案から実行までが異様に早い。
「よく、これだけ多くの家がこんなにも急な催しに応じていただけましたね」
オリアンヌから貴族の各家に宛てて招待状が配られたのは、僅か三日前のことだった。
俺は純粋にオリアンヌの手腕を賞賛する思いで聞いた。
「形式ばったことしか好まない家の方とは、そもそもお付き合いしておりませんの」
高価そうな磁器のティーカップを優雅に扱いながらオリアンヌが言った。
「オリアンヌ様の革新性の高いお考えはすでに多くの貴族たちが知るところですから」
隣に座るセドリックがそう言い添える。
セドリックには、まだその種の世情に疎いジョセフィーヌを、それとなくサポートして欲しいと頼んであった。
もう一方の隣の席には、お定まりのエミリーが座る。
元気に遊ぶ子供たちの姿を見通せるテラスに設けられたお茶会の席だ。
給仕係も含めて人払いがしてあり、今この会話を聞く者は丸テーブルを囲むこの四人しかいない。
「まあ。そうでしたか」
旧態依然とするのを好まないオースグリッド家が、女王擁立に賛成の立場を示しているのは当然か。
俺は素直に好意をもって感心の声を上げていた。
『あ、ちょっと得意げになったわよ。オリアンヌ。絶対喜んでる。チョッロぉ』
「こういった機会を皆が望んでいたということもあるのでしょうね。実際に催してみて分かったことですから、ジョセフィーヌ様には感謝いたしませんと」
自分の子が貴族社会で上手くやっていけるかは、それぞれの親の重要な関心事だった。
従来社交場に出る前の貴族の子供は各家同士の個別の付き合いでしか接点がなく、同年代の子供が一同に会するこういった催しは、確かに願ってもない機会だったのかもしれない。
「オリアンヌ様の人脈と人望があればこその結果だとお見受けいたします」
『いいよー。もっといい気にさせて。自尊心くすぐってー』
「わたくしなどは……。ただ兄上の威光を笠に着ているだけでございます。それで……」
俺の目にもオリアンヌの感情の起伏が見て取れるようになった。
オリアンヌの方から物欲しげに話を催促していることが、彼女のガードが下がっている証拠だ。
「ええ。そうですね。当然全てはお話しできませんが。ご質問はお受けいたします」
「では……。正式にあの方をご紹介いただけるのは、いつのことになりますか?」
おいおい。最初の質問がそれか?
ジョゼの提案によりオリアンヌを脅迫……、もとい、オリアンヌに協力を依頼する材料として提示した餌が、“火傷の君”に関する情報提供だった。
《賊によって攫われたジョセフィーヌを救出した謎の男の身元に心当たりがある。協力してもらえれば明かせる範囲でその情報を教えても良い》
そういう交換条件によって、テオドールとの面会の手配を取り付けたのである。
アカデミアに精霊が現れたあの日、件の火傷の君がオリアンヌと会っていたことを、こちらが承知しているということも暗に匂わせた。
自分の部屋からユリウスを取り逃がして以来、気が気でない思いをしていたはずのオリアンヌにとって、それは脅迫にも等しい提案であっただろう。
さらに、俺は気乗りしなかったが、ジョゼからの強い推しによって、手紙には、《時が来れば直接ご紹介することも可能です》といったことも書き添えられていた。
オリアンヌがいきなり尋ねてきたのは、途中の話を全部すっ飛ばして、その紹介できる日というのはいつ頃なのか、という質問なのだった。
俺にとって、最も答えにくい質問。
それこそ俺の方が聞きたい質問だった。
一体いつ俺は、元の身体に戻ることができるのだろうか。
「そ、そうですね。彼は大きな問題を抱えているようでした……。おそらく、その問題が解決したならば……、公に姿を現すことも可能だろうと」
「どちらの地方のご出身だとか、そういったお話はなさいましたか?」
その質問もこちらの痛いところを突いている。
アークレギスが関わっていることは今最も秘密にしたい情報だった。
「秘密にしたいご様子でしたので、そこまでは……。ですが、王国領内の貴族の出自であることは間違いないようです」
そう言いながら俺はさりげなくセドリックの顔色を盗み見た。
俺がこの作戦に認めた利点の一つが、謎の男ユリウスが襲撃犯に組する者ではないと、王宮や王国の警備筋に伝わるよう間接的に情報を流布できることだった。
『こいつはホント。何考えてるか分かんないわねー』
ジョゼの観察眼でもお手上げか。
「……やはり。身分の卑しい御方ではないと思ってはいましたが……。それで、あの方が抱えている問題というものに何か心当たりは?」
「はい。何者かに追われているようでした。ですから、その者たちを打ち滅ぼすか、追われる理由を取り除かない限り、名も出自も明かせないのだと思います」
オリアンヌはそれでしばらく考え込むようにした。
「お手紙ではあの方の身元にお心当たりがある、とのことでしたが?」
「王国内のどこかの領地の貴族というだけではご不満ですか?」
「……それだけでよく、わたくしに紹介できます、などとおっしゃることができましたね? 本当はもっと詳しく調べが付いているのではありませんか? ……いえ、はっきり申し上げますが、わたくしは疑っております。初めから、お二人はお知り合いだったのではないかと」
「それは……」
苦しい。助けてくれ、ジョゼ。お前が書かせた約束のせいだぞ。
『ほら。やっぱりあの手で押し徹すしかないって』
くそっ。
「……実はあの日、私がこのアカデミアで迷子になった際に、彼とはもう一度お会いしているのです」
オリアンヌの細い眉根がピクリと動いた。
「……わけあって今は姿は出せないが、事が済めば必ずお礼に参じると……。そう伝えて欲しいと言伝を……」
「わたくしにですか?」
急にオリアンヌが身を乗り出して聞いてきたので、俺は驚いて言葉も出ず、ただコクコクと頷いた。
「な、なるほど……。なるほど分かりました。それで貴女が彼の火傷の手当のことをご存知だったことの謎も解けましたわ」
『ふっふっふ。上手くいったわ。全部私の手の内よ』
……そうだろうか?
俺だったら、他人からの言伝をその場で伝えず、あまつさえ自分の交渉材料にするなんて、と怒り出すのではないかと思うのだが……。
顎の辺りに手をやり、物思いにふけるオリアンヌは怒り出すどころか妙に嬉しそうに見えた。
「お待ちください」
俺とオリアンヌが同時にセドリックの方を見る。
二人の美女に見つめられているというのに、このセドリックという男は何ら臆するところがない。
俺だったら、間違いなく赤面し、終始うつむいたままでいる自信がある。
「申し訳ございません。知らぬ話題ゆえ控えておりましたが、どうやら先ほどから話題の中心にいるのは、先日ジョセフィーヌ様をお救いしたという正体不明の男のことであるご様子。……間違いございませんか?」
『うわ。めんどくさ』
堅物なのだ。仕方ない。
かく言う俺も矢面に立つのは御免なので、冷めた紅茶をすすりオリアンヌに説明を譲った。
「これは失礼を。すでにお話は通っていると思っておりましたので……。然様でございますよ?」
「ではやはり、あの時お部屋にかくまわれておいでになったのは、襲撃犯の一味と目される男……」
「わたくしたちの話をお聞きでしたらお分かりになったはず。あの御方は賊の仲間などではございません」
「それはその者がそう主張するだけなのでしょう? 正体を明かせぬというだけで十分胡乱な男です」
「顔を合わせてお話しすれば分かりますわ。言動や所作の一つ一つに隠しきれぬ気品がございましたもの」
『気品だってよ? ユリウス』
ジョゼがからかうように言った。
好意的に受け止められているのは分かるが、ただの田舎貴族への評とは思われないオリアンヌの言葉……、それを目の前で聞かねばならないことに、どうにも居心地の悪さを覚える。
オリアンヌと話したあの日、直前までジョセフィーヌを演じていたせいで、そんな気品を感じさせる話し方になっていたのだろうか。
「ならばあの時、隠し立てなどせずに、私も御目通り願いたかったものです」
「大変なお怪我をなされておりましたから。安静を第一にと考えた結果です」
「ですが先ほどのお話……。ジョセフィーヌ様の誘拐先に現れた謎の男と、オリアンヌ様のお部屋にいた男が、同一人物だということはお認めになるのですね?」
オリアンヌは無言で紅茶をすすろうとしたが、カップが空と見るや、自分でその器に新しいものを注ぎ足し始めた。
高貴な立場の人間が自らすることではないと聞いていたが、給仕がいない今のような時はその限りではないらしい。
そうしている間にどう答えるべきか思案を巡らせているのだろうか。あるいは、そのままセドリックの追及を無視してうやむやにするつもりなのか……。
俺もオリアンヌに倣って同じことをしようとすると、エミリーがさっとそれを取り上げて、給仕のように世話をしてくれた。
俺がありがとうと礼を言い、エミリーがニッコリ微笑むその横では、オリアンヌとセドリックの剣呑な言い合いが再開されていた。
「───困ります。オリアンヌ様。危険な男かも知れぬのです。警備のためにも情報は共有していただかなくては」
「警備ですか……。セドリック様は単に、あの御方が剣術の手練れと聞いて手合わせをしてみたいだけなのでは?」
オリアンヌの声には明らかに険があった。
自分の非を指摘されて、やり返したくなったのだろうが、流石にそれはセドリックに対して失礼だろうと思われた。
俺の見る限り、セドリックほど王宮や王都の安全を憂慮している者はいないのだから。
「無論です。私は、あの者が他の誰かの手に掛かって捕まってしまう前に、私自身が立ち合って、打ち倒す機会を得たいと考えています。ご協力願えませんか?」
予想外のセドリックの答えに俺は危うく紅茶を噴き出しそうになる。
否定しないばかりか、無論です、と来たか。
俺だって、叶うことならこの男と真正面から剣を交えてみたいのは山々だが。
『ユリウスってば、モテモテじゃない』
俺が、というよりもセドリックは、単に真剣勝負というものに飢えているだけだろう。
どうもセドリックという男の行動原理を見誤っていたかも知れない。
文武両道の優等生というより、こいつは単に頭が回るというだけのガチガチの武闘派だ。




