78 帰宅の途 2
エミリーの家に戻る馬車の中で、セドリックからベスニヨール家にまつわる話を詳しく聞いた。
ご慧眼をお持ちのジョセフィーヌ様は当然知っているはずのことなので、馬車にいる他の同乗者と情報共有をしておくためという体裁を繕った上でだ。
大体の時代感が一致するので、ベスニヨール家が没落したのは、てっきり王都から魔力が枯渇して精霊魔法の知識や技術が無用の長物と化したことが原因なのかと思っていたが、彼らが貴族の位を追われた本当の理由は、今日の会話でも度々話題となっていた厄介な分家の連中が原因であったそうだ。
当時、王宮でもかなりの権勢を誇っていたベスニヨール家だが、過激な思想を持つ分家筋の人間が何か大変な失敗をしでかしたらしく、家長だった男がその責任を取って役職を辞し、貴族の称号も返上した、というのが直接の契機だったらしい。
その分家が起こした大変な失敗というのが具体的にどんな失敗であったかについては、それに関するあらゆる記録を残すことを禁じたその時の王の決定のせいで現代には伝わっていない。
歴史から抹消されるほどの失態とは如何ほどのものかと興味を惹かれる。
プリシラなら代々親からの口伝えで知らされているかもしれないが、ただ、そんな大昔のことを知ったところで俺やジョセフィーヌには関係のないことだった。
彼女の機嫌を損ねる危険を冒してまで聞き出す話でもないだろう。
とにかく、そこから分かるのは、その時を境にヴェスニヨールの本家と分家とは、完全に交流を断絶させたということだ。
*
エミリーの家に到着し、あてがわれた部屋で着替えに取り掛かろうとしていると、エミリーが何やらもじもじとし始めたことに気付く。
「?……大丈夫ですよ? 一人で着替えられます」
よく分からない形状の服を着るときには確かにエミリーの手伝いが必要だったが、脱ぐだけならば問題はない。
エミリーも自分の着替えがあるだろうし、そう言ってやんわりと退室を促したのだが、彼女はなおもその場に居残っている。
「あの……そうではなくて、ですね……」
『ユリウス。ハグしてやって』
は……!? ……ハグ?
ハグとは……、ハグか?
エミリーを抱き締めろと?
俺がか?
何故急に?
どうしてそんな必要が?
ジョゼがそうしたいのか?
女性同士だぞ?
いや、エミリーから一方的に抱きつかれることは数えきれない程あったが……。
一瞬の内に様々な疑問が生まれ、何が何やら分からなくなる。
『早く! 怪しまれる! そういうもんだから』
そういうもの、とはどういうことだ。女性が女性にハグをすることがか?
それともジョゼとエミリーの関係性が、そういうものだと?
混乱は深まるが、怪しまれるという言葉と、焦ったようなジョゼの口調に急かされ、俺はやむなくその声に従うことになる。
恐る恐るエミリーに近付き、ゆっくりと腕を広げる。
いつものエミリーならこの時点で彼女の方から身体を寄せてくるような場面だが、今は身体を緊張させながら、そのままこちらを待ち構えているようだった。
そんなふうにされては余計に意識してしまうではないか。
本当に、目の前のこの少女を、この俺が抱き締めて良いものか、と良心の呵責に苛まれるが、この身体の持ち主自身がそれを望むのならやむを得ないかと決心を固め、そっと、抱き締めた。
『強めにやってあげて。ギューッとね』
これは……、つまり……、実はジョゼの方もやぶさかではなかったということなのだろうか。
てっきり、エミリーの子供じみた疑似恋愛ごっこに付き合わされて、辟易としているのだろうと思っていたのだが。
だ、だとすると、いいのか?
それはそれで大丈夫か……!?
俺の頭の中にいるジョゼは、視覚と聴覚以外の感覚はないと言っていた。
俺が今こうして感じている彼女の身体の弾力も、温もりも、ジョゼには伝わっていないはずなのだ。
二人の仲に、俺という別の存在を介して大丈夫なのか?
いや、大丈夫ではないだろう……が、他にどうしようもないのか……。
ジョゼは自分自身ではエミリーを抱いてやるわけにはいかないから。
ただエミリーのために、俺を通じてでも彼女を抱擁してやるために、やむをえず俺を頼ったと……?
もし状況が、俺の想像したとおりのことであるなら、今のジョゼはどれほど切ない気持ちでいるのだろうかと想像する。
俺はさらにエミリーを抱き締める力を強めた。
「あっ……お姉さま……」
エミリーがしどけない声を上げる。
強くし過ぎてしまったかと、とっさに力を緩めるが、そうすると今度はエミリーの方がこちらを強く抱き締めてきた。
「もっとです。お姉さま。もっとお願いします」
『ちょっと? 変なところ触ってるんじゃないでしょうね? もういいわ。離れなさい』
いや、離れろと言われてもエミリーが離してくれないのだが……。
「あっ、あまり遅いとセドリック様たちをお待たせしてしまいますから」
そう言って無理矢理力を込めてエミリーの腕から逃れる。
両肩に手を掛けて互いの身体を引き離すと、瞳を潤ませるエミリーの顔が視界に現れドキリとした。
こちらにもエミリーの昂ぶりが伝わってくるようでそれに引きずられる。
上手く説明できないが、とてもいけないことをしているような罪悪感。
いや、実際問題いけないことだろう。
女同士なのだぞ? 戯れでもこのようなこと……。
俺はあどけなさの残る少女と自分が、こうやって見つめ合ったままでいるのが恥ずかしくなり、耐えきれずに目を逸らした。
「お姉さま……、わたくし……」
うっとりとした表情でエミリーがなおも迫ってくる。
『駄目駄目。もう十分。追い出して。思いっきり邪険にして』
「じゃ、邪険にって……」
「じゃけん?」
しまった。口に出していた。
「邪険にします! 今私は思い切り邪険にしていますので、出て行ってください!」
何ておかしな物言いなんだ。
耳が熱い。
自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。
その顔を見られまいとして、エミリーの身体を回れ右させ、彼女の背中を押して部屋の外へと追い出す。
「わ、分かりましたわ。お姉さま。でも、そのお顔、今のお顔をもうひと目……」
振り返って俺の顔を覗き込もうとするエミリーの顔に手を当てて押しやり、俺は部屋のドアを閉めた。
ふー。参った。
『やり過ぎよ。これ勘違いさせちゃったかもね』
「勘違い? ……なあ、こういうの、前から、こんな感じで?」
聞いて良いものかどうかも分からず、俺は曖昧に尋ねざるを得ない。
『ん。んん、そう。頼みを聞いてもらったらご褒美でね』
「ご褒美……?」
二人の関係を外野がとやかく言うのはどうかと思うが少し釈然としない気持ちがわだかまる。
『えっとー。そうね。今日のエミリー、役に立ったと思わない? だから』
役に立った、と言えばそうだが。そんな対価で釣るような関係、エミリーに対して失礼なんじゃ? 彼女のことを大事に思うなら、もっと真摯に向き合って……。
「あっ、そうだ……」
今日一日のエミリーの行動を思い返してみて、一番重要なことを忘れていたことに気が付いた。
『……何よ? 黙ってないで口に出してよ』
「……ミスティからの伝言だ。ジョゼも聞いただろ? アレ。プリシラの店の前で耳打ちされたアレ。……確かめないと」
一人しかいない部屋だから、他に誰も聞いてはいないだろうが思わず小声になる。
考えながら服を脱ぎ、王宮から着てきたドレスに着替え始めた。
「そもそも今日街へ行くことになったのもエミリーが強引に誘ったからだった。初めからあの店に行けという指示だったんだ。ミスティがどういう手段で伝言を寄こしたのか、エミリーに聞いて確かめないと」
そうであれば、最初からプリシラの前であんなにも警戒しなくて良かったのに、とミスティの伝言の気の利かなさに不満を覚える。
「……いや、でも何でそんなこと? 伝言ができるならプリシラに調べさせなくても、何が起きているのか教えてくれた方が早いのに。そもそも何でエミリーなんだ? 俺には直接接触できない理由があったのか? もしかして、ミスティは誰かに見張られていて、ジョセフィーヌとの接点を知られないようにしているのか……」
口に出すことで頭の中が整理されていくが、考えれば考えるほど腑に落ちないことが増えていった。
『あー、ユリウス……。ユリウスさん?』
俺はアンダーシャツの丸首の隙間から束ねた長い髪を通し、それからシャツの襟周りをつかんで一気にそこから頭を引き抜いた。
乱れた頭髪を、鏡を見ながら撫で付けて整える。
『ねぇねっ。私の考え聞いてくれる?』
「何だよ。聞こえてるよ。いつもこっちの都合なんてお構いなしに喋ってるじゃないか」
こうやって二人で相談できることが俺たちの強みだ。
俺が見落としているようなこともジョゼなら気が付いているかもしれない。
周囲に人がいない今のような時なら、意見を言ってくれるのは大歓迎だった。
『エミリーにあの件を聞くのは今度にしよっ? 時期尚早だよ』
「何で?」
『ほら、あの……。あんなことあったばっかだし、気まずいっていうか……』
あんなこと……って、……あんなことか。
ついさっき自分がエミリーにハグしたことすら忘れるほどに興奮していたが、忘れたところでやってしまった事実が消えるわけではない、という至極当たり前で残酷な節理を思い知る羽目になる。
「そんなことも言ってられないだろ。こんな大事なこと、分からないままにはしておけない。第一、気まずい思いで話をすることになるのは俺なんだからな?」
誰のせいでそうなったと思うんだ、という嫌味を込めて言ってやる。
『いやっ、慎重にっ。ねっ? 誰がミスティの言う敵なのか分からないんだから慎重にって、いつもユリウス怒ってたじゃない』
「いや別に怒ってたわけじゃないけど……」
『とにかくエミリーを問い詰めるのは反対。エ、エミリーだって、信用しちゃ駄目よ』
「えっ? もしかしてエミリーのことを疑ってるのか? ありえないだろ!?」
思わず語気が強くなった。
ジョゼを問い詰めるジョセフィーヌの声は、確かに怒気をはらんでいるように聞こえなくもないなと反省させられた。
しかし、怒りたくもなるだろう。
エミリーのジョセフィーヌに対する献身や熱愛ぶりは、ずっと一緒にいたのでよく分かっている。
襲撃の夜、身を呈してジョセフィーヌを守ろうとしたときのことを忘れたのか、と言ってやりたかったが、その現場をジョゼは見ていないのだったと歯がゆく思い、その言葉を飲み込んだ。
とにかくエミリーほど頼りになる親友はいない。
そんな親友のことを悪し様に言うジョゼに少し腹が立った。
「そもそも伝言されたってことは、エミリーはミスティのことを知っているはずじゃないか? ミスティがどこでどうしてるのか、俺が今一番知りたいのはそれだ」
『いやー、それが迂闊だったんだよなー』
ジョゼが何かボヤくように呟いたが、自分が熱を込めて喋っている途中だったので、その言葉は頭の中を通り過ぎて行った。
「?……とにかく、どういう方法であの伝言を聞いたのか、エミリーが一人のタイミングを狙って聞くなら何も危険はないだろ?」
『とにかく今日は……、今日は、やめにしない? 明日。いや明後日。明後日なら』
「今日だとマズい理由は何なんだ?」
『…………』
どうも様子がおかしい。
「ジョゼ、何か隠してるだろ?」
『…………』
お互い無言になる。
俺はそそくさと服を着替え、結った髪を解き、鏡に向かって身なりを整えると足早に部屋の出口へと向かった。
「やっぱりエミリーに聞いてみるのが一番早いな」
『ちょっとぉ! ちょっと待って。待ったー! 待った待った! 待ちなさい。ごめん、待って』
ふん。誰が主導権を握っているのか思い知ったか。
俺は手をドアノブから離して鏡台の前まで戻り、椅子に掛け、ジョゼからの弁明をじっくり聞くことにした。




