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77_帰宅の途 1


 俺たちは警戒を解いて、互いに適当な距離を取って歩いていた。

 陽が傾き、赤く染まり始めた頃。無事に大通りまで戻った後のことだ。

 馬車との合流地点を目指している道すがら、大分落ち着きを取り戻したプリシラは、王女を危険な貧民窟へと連れ出した理由を語った。


「貸した本の中にも書いてあるけど、呪術で用いる力の源は人が発する負の感情なの」

「負の感情?」


「恨みとか(ねた)みとか、絶望とか? そういう良くない感情が(おり)のように積もり積もって空気中に満ちていくのだと考えられているわ」

「……精霊ではなく、人間が生み出す魔力、ですか……」


「魔力って言っていいのか分かんないけどね。精霊のものとは違って、それは人間たちが暮らす周囲に寄り集まって大きく濃くなって行くんだって」

「なるほど。それで魔力が枯渇している王都でも、呪術だけは自由に使えているというわけですね」


 それで合点がいったと、したり顔で相槌(あいづち)を打つと、プリシラが身体を屈ませて俺の顔を下から覗き込むようにした。

 なんだろう。何か失言があったか?


「……まあ呪術に関しては、()()()()、って言い方より、王都だからこそ、って感じかなー。ここぐらい人が多い場所じゃないと多分使い物にならないと思う」

「そうなのですか……?」


「アタシのご先祖様があの本を書いた百年ぐらい前は、まだ王都が今ほど大きくなかったんだけど、どんどん人が増えて大きくなっていく街に対して、ご先祖様は結構な危惧を抱いてたみたい。分家の連中が研究してた呪術が後々大きな災いになるかもって考えてたの。アタシのお父さんは、それに加えて最近の貧民窟の拡大のことも危ぶんでた。さっき見せたあれよ」


 なるほど。呪術が力を増す土壌がある上に、呪術自体かなり最近生まれた魔法だから、誰もその存在や対抗手段を知らず手を焼いたというわけだ。


「ジョゼに死なれたんじゃアタシも困るからね。呪術が力を持った原因を分かってた方が対策も立て易いかと思って」


「それを説明するためだけに、ジョセフィーヌ様をあんな危険な場所にお連れしたのですか?」


 セドリックが露骨に非難がましく会話に割って入る。

 また、喧嘩になっては敵わない。俺はすぐに身振りでセドリックに自重を促した。


「ごめんね。物取りの件もそうだけど、まさかあんな現場を見せちゃうことになるなんて」

「いえ。血には慣れておりますから」


『慣れてないわ。すごくショックだった。もっと謝罪させなさい』


「どうせ御貴族様は王都の華やかな部分しか知らないと思ってね……。見たことないものは聞いただけじゃ正確にイメージできないでしょ?」

「確かにそうですが、私が現状を知ったところで、あの貧民窟をどうにかできるとでも?」


 プリシラの言うとおりなら、呪術の力の源である悪い気が溜まる環境を取り除くことができれば、ジョセフィーヌの身体を(むしば)むあの厄介な病魔───今はそのなりを潜めているが───に悩まされることもなくなるかもしれない。

 だが、聞いたところ、今日目にしたのはほんの一部に過ぎず、同じような場所は王都全域に無数に存在しているという。

 国庫を開いて多少の施しをしたところで、根本的な解決にはならないだろう。

 ブレーズ王の治世においても、定期的に巡回し、行き過ぎた者を取り締まるくらいしか手がないのだ。


「正直、ただの町娘のアタシにはどうしたらあの状況を改善できるかなんて全然分かんないよ? ……でもジョゼなら、もしかしたら、何とかできるんじゃないかと思って」

「買い被りです。今日会ったばかりの人間にそんな期待を掛けるものではありません」


「えー、そう? ジョゼだってアタシのこと何にも知らないのに信用してくれたじゃない」


「ちょっと、プリシラさん。さっきからお姉さまに馴れ馴れしくし過ぎではございませんか? わたくしでもそんなに気安く名前をお呼びしたことはありませんのに」


 エミリーが自分の身体を間にねじ込み、俺とプリシラを引き離す。

 それで一旦、それに関する話題は途切れた。


 綺麗に石が敷き詰められた道を歩きながら、プリシラから言われた途方もない無茶振りについて、しばし思いを巡らせる。

 アークレギスにおいて、人は力だった。

 人がいれば森を切り開けるし、畑だって耕せる。当然、砦の守り手も増える。

 だが、ここでは……、この硬い石畳の上では耕す土地もないし、狩る獣もいない。

 この巨大な街に集う人々全てに食い扶持(ぶち)をあてがう仕事がないのだ。

 ジョゼは怠け者ばかりと言って呆れていたが、彼らは必ずしも好きで怠けているわけではないだろう。

 道端にうずくまり無気力にしていた男たちと、喧嘩の騒ぎに色めき立った男たちの姿が繰り返し頭に浮かんで見えた。

 やはり人は力だ。見えづらいが彼らの中には確かに熱い力がある。

 ただその力を振るう場がないから、今日見たような無為な殺し合いや、身を滅ぼすような薬に手を出したりといった良くない向きに向かうのだ。

 何か切っ掛けが……、仕事があれば……。

 だが、王都に暮らす大勢の臣民の暮らしの成り立ちを満足に知らない俺の頭では、それ以上の具体的な想像ができずにいた。


 大きな石造りの橋の傍で待っていた馬車に五人全員が乗り込むと、それを見送るプリシラが最後に馬車の中に顔を入れながら言った。


「呪術への対抗策って理由も嘘じゃないけど、純粋にこの街が良くなって欲しいっていうのもアタシの本音。どっちも本当。身を守るついでに王都の問題も解決されたら、みんな万々歳じゃない?」

「お気持ちは分かりますが、さっきも申し上げたように私の力では……」


「ううん。期待する。ちょっとぐらい期待させてよ。なんたって、ジョゼはこの国で初めての女王様になる人、なんでしょ?」


 プリシラはニッコリ笑ってドアを閉め、ガラス窓に向かって手を振った。


 女王様か……。

 軽いノリを装って、最後に重いことを言い残してくれる。

 元の身体に戻れば、その期待を背負うのは俺ではなく、ジョセフィーヌ本人ということになるのだが、彼女には今のプリシラの言葉がどのように響いただろうか。


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