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76 貧民窟 4


 再び歩き出してから間もなく、俺たちの進行方向から男の大きな怒鳴り声がした。

 声の響きからして、そう離れてはいない。

 ただ、随分興奮しているようで何を言っているのかまでは分からなかった。


 それからあちこちで声が上がり、うらぶれた路地はにわかに活気づき始めた。

 その辺で放心したようにたむろしていた連中が、次々と俺たちを追い越して騒ぎの中心に向かって集まっていく。

 俺たちは互いに顔を見合わせたが、大通りに戻るにはこちらの道を通るしかなさそうだと、やむなく彼らの後に続いて歩いていった。


 一つ先の角を曲がるとすぐにその原因と(おぼ)しき、(にら)み合う二人の男が目に付いた。

 多くの野次馬に囲まれて、すでに互いに抜き身の刃物を向け合っている。

 一方の手には見覚えのある巾着袋が握られていた。


「どうしたんだ?」

「ビッケ、すまねえ。ヘマやっちまった」


 ビッケと呼ばれたのはローランが捕まえたあの子供だ。

 ちゃっかりと俺たちの後ろに付いてきていたらしい。

 ビッケの周囲には、その仲間の子供たち四、五人ほどが集まっていた。


「上納金だっつって、あのハゲがチビから取り上げちまったんだけど……」


「上納金? あいつマーカスの手下か?」

「ちげーよ、多分……。ただのゴロツキ。んで抵抗してたら傍で見てたあの髭のオヤジが取り返してやるって割り込んできて、勝手におっ(ぱじ)めやがったんだよ」


「ありゃあ相当キメてんなぁ。どっちか死ぬぞ」

「だな」


「んで、どっちが勝ってもあれは戻って来ねー」

「だな」

「ごめん……、みんな……」


 一人だけグズグズ泣いているのが巾着袋を奪われた子供に違いない。

 子供たちの中でも特に小さい。五つか六つほどの年頃に見える。


「おい」


 小さな子供を慰めながら、その場を早々に立ち去ろうとするビッケたちをローランが呼び止めた。


「取り返さねーのか?」

「無茶言うなよ。武器持った大人相手に敵うかよ。片方は薬やってラリってるし、下手に近付いたら殺されちまう」


 武器を持っていると言うならローランたちも同じだが、せいぜい殴られるだけで済む貴族相手の物取りの方が、子供たちにとっては遥かにローリスクということだろう。

 俺が偉そうに(いさ)めるまでもなく、ここの子供たちは十分したたかに生きるすべを身に着けているようだった。


 ローランとビッケがそんなやり取りをする中、野次馬たちの間では、二人の勝敗をめぐって賭け事が始まっていた。


『ね、ねえ。これ殺し合いなの? どうする? 止める?』


 敢えて俺に向かってそう聞く言葉の裏には、できるなら止めて欲しいという彼女の善良さが垣間見えた。

 だが、やはり世間知らずのお姫様だな。

 こんな状況で割って入れるわけがないじゃないか。

 子供を相手にするのとは違うのだ。

 仮に、俺が何のしがらみもなく、頑強な男の身体と武器を手にした状態であれば、無用な殺し合いはやめろ、などと言って止めに入ったかもしれないが、今わざわざ関わり合いになってジョセフィーヌの身を危険に晒すことはできない。


 それに、今さら止めに入っている暇もなかった。

 野次馬たちの声に(あお)られるように、ハゲ頭の男が斬りかかると、もう一人の髭面(ひげづら)の男の方が反撃し、それであっさりと決着が付いてしまったのだ。

 ハゲ頭の短剣は髭面の腕を傷付けはしたが、どうやら薬でおかしくなっているらしい髭面の方はその負傷に怯むことなく、奇声を上げながら突進し、相手の腹を突き刺していた。


 倒れたハゲ頭の死体に馬乗りとなり、何度も突き刺し半狂乱になっている髭面の男。

 そのすぐ側では、多くの野次馬たちによって、平然と賭け金のやり取りがなされていた。

 吐き気を催すような醜悪な光景だ。

 こんな凄惨な現場をあの子供たちは日常としているのか、といたたまれない気持ちになり、無意識に先ほどの子供たちを探したが、そのときには彼らはすでに全員が姿をくらましていた。


 俺のすぐ隣では、流血を見て気分を悪くしたプリシラを、エミリーとパトリックが心配そうに介抱していた。


「太刀筋に見るべきものはありませんでしたが、やはり真剣での戦いは精神面が大きく物を言うようですね。死んだ男は明らかに周囲の雰囲気に()まれているようでした」


 セドリックはすこぶる落ち着いていた。

 以前、自分で実戦の経験に飢えていると言っていた男に相応しいブレない感想。

 どんなことからでも吸収して自分を成長させようとする姿勢には頭が下がるが……。


「どういう印象を持たれましたか?」


 生の殺し合いを目撃したばかりの若い女性に掛ける言葉ではないな。


「そうですね……。手傷を負わせた程度では止まらぬ相手がいる、ということは常に意識して戦わねばならないと思いました」


 かつて俺がドルガスから教わった言葉だった。

 あの髭の男は何か良からぬ薬物を服用しているせいで、痛みや恐怖を感じにくくなっていたのだろうが、人を捨て身にさせるのは何も薬物に限った話ではない。


「それこそ稽古の立ち合い慣れした者ほど、瀕死の敵から思わぬ反撃を受けて命を落とすことが多いと聞きます。セドリック様もお気を付けください」


 そこまで言ってからチラリと見やると、セドリックが何やら敬服した様子でこちらに頭を下げていた。


『あんまり私の評価を上げないでくれる? 元に戻ったときに大変じゃない』

「…………」


 いつまでもここでのんびり剣術談義をしているわけにもいかず、プリシラの介抱もそこそこに、俺たちはその血生臭い喧噪の横を静かに通り過ぎ、貧民窟を後にした。


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