71_探り合い、助け合い 1
「───違います。そもそも私の家柄ではとても釣り合わないお方です」
「そ? 良かったぁ。じゃあ、もう一人のオラついた感じの奴? それとも奥にいたデッカイの?」
俺が店のカウンターまで歩いていく間に、プリシラの方はすでに機嫌を直しエミリーと何やら楽しげに喋り合っていた。
「どういったお話ですか?」
俺は打ち解けようと思い、その女性同士の会話に気安い感じで加わろうとした。
「エミリーの本命が誰かって話よ。ヴェロニクは知ってる?」
「プ、プリシラさん! 駄目です」
「何? 内緒にしてんの? えっ、さては恋敵だったり?」
「違います。違います、けど、もうこのお話は……」
恋……。恋愛の話題だったか。これは迂闊。
「それより精霊魔法のお話を聞かせていただけませんか?」
「えー。釣れないなー。普通女子三人集まって話すってなったら恋話じゃん」
「男のかたを三人もお待たせしておりますので……」
「ちぇーっ。まあいっか。それで、どんな話が聞きたいの? あ、先に言っとくけど魔法の実演を期待されても無理だからね?」
「魔法を研究しておいでの方でも、ですか?」
「世界の魔力が枯渇してるんだから。使い方が分かってたってねえ……」
枯渇……。やはり枯渇しているのか。
アークレギスでは逆に魔力が異常な高まりを見せていたが、それはやはり他の場所から魔力を吸い上げていたからなのだろうか。
『慎重にね?』
言われなくても分かっている。
アークレギスの名を出すのはプリシラがどこまで情報を知っているのか探った後だ。
「何故、魔力が枯渇してしまったのでしょうか?」
「さあねえ。それが分かれば世話ないって。なくなってからもう百年も経つし、残されたアタシたち元魔法使いの一族は、それ以来、魔法そのものじゃなくて、何で魔力が枯渇したのかを調べるのが仕事になっちゃったってわけ」
百年……。なんだかスケールの大きな話だ。王都から魔力が失われてそんなに経つのか。
魔法の研究者なら魔力の濃い場所を探して研究を続けていそうなものだが。
「一度に全部、いっぺんに無くなったわけではないのでしょう? ここのように魔力の薄い地域もあれば、濃い地域もあるのでは?」
「……何でそう思うの?」
飄々とした口調は変わらないが、今のは不自然な間があった。
「王宮の古い書物で読んだのです。魔力が特に濃い場所では精霊がよくその姿を見せると」
実際は書物ではなくミスティから聞いた話なのだが、場所によって魔力の量に偏りがある理屈はそのことでも説明が付くはずだ。
我ながら滑らかにアドリブができたものだと、言い終わった後から遅れて鼓動が速くなるのを感じた。
「いやそれ、大昔も大昔ね。実体化した精霊なんて……。今じゃ、ほんとにいたかどうかも怪しいもんよ?」
「あら? 精霊さんなら、私たち先日お会いしましたわよね? お姉さま」
『あっ』 あっ。
しまった。エミリーに言い含めておくべきだった。
今は相手からより多くの情報を引き出すための戦いのとき。
何を話し、何を秘密にしておくべきか、エミリーとは足並みを揃えておくべきだったのに。
「またまたぁ。冗談、ポイよ? 専門家を担ごうったってそうはいかないんだから」
はっはっは、とプリシラが快活に笑う。
そうだ、冗談。ひとまず冗談ということにしておこう。
俺はエミリーに向けて懸命にそれが伝わるように目配せをした。
エミリーはその俺の目線に気付いて力強く頷く。
「本当ですよ。目撃者は沢山います。先日オリアンヌ様の御屋敷で二体の精霊が現れて大変な騒動になったんです」
『あちゃー』
伝わらなかったか……。
「なに? マジなの……? ヴェロニク、あんた、あちゃーって顔してんじゃないわよ」
俺が頭を抱える様子を見て、プリシラはエミリーが本当のことを言っているのだと察したようだった。
「アタシの知識が欲しいなら、あんたも知ってること全部話しなさいよね? ギブアンドテイクよ? この世は」
……確かに一方的に情報を得ようというのは公平ではないな。
情報の出しどころは重要だが、なるべく大きく勝とうとして出し渋り過ぎても良くないということか。
「申し訳ありません。国の安全に関わることなので、私も慎重になっておりました」
「じゃあ、やっぱり本当なの? 精霊が出たって。王都の真ん中で? いつ? どんな姿だった? 詳しく教えてよ」
プリシラのその興奮は、精霊の目撃が如何に稀有な事例であるのかを窺わせた。
このうえ、アークレギスの話を知ったらどういう反応をするのだろう。
「あれは、四日前……でしたよね? エミリー」
「はい。お姉さま」
「四日? そんなに最近なんだ……。三週間ぐらい前だったらピッタリだったのに……」
「何故、三週間前だと?」
三週間前といえば王宮の襲撃があった頃が思い浮かぶ。
「これ」
プリシラが机の上に無造作に置いてあったあの奇妙な形の道具をジャラリと軽く持ち上げて見せた。
「これ、うちに先祖代々伝わるもので、空気中の魔力量を測る道具なんだけど、あの日の夜、ほんの少しだけどこれが回ったのよ。あっ、あの日ってのは王宮の襲撃があったって言われてる夜ね」
ほう。そんな凄い道具だったのか。
そのわりに随分粗雑に扱っていたようだが。
「魔力に反応した、ということは王宮で使われた呪術の影響でしょうか?」
「いや、何度も言ってるじゃん。呪術は別物なの。これが反応したってことは、明らかにその時、この周辺に、精霊を起源とした魔力が満ちてたってことよ」
「……精霊を、起源に……」
俺はあの夜、誘拐された先のベッドの上に現れた火と水の精霊二匹と、彼らがどこへともなく飛び去って行ったことを思い出していた。
「一応親の言い付けでね。毎日朝と夜にこれを持って確認するように言われてたんだけど、本当にこれが反応したのを見たのはあの夜が初めてだったの。もしかしたら、この世界の魔力が回復してきてるのかもしれない。実はさっきもね……」
プリシラはひとりで喋りながら段々と興奮の度を高め、おもむろに立ち上がって手に持った鎖の柄を高く掲げた。
その鎖に繫がった奇妙な形の仕掛け細工が机の上から持ち上がると、その途端、目の前でそれがくるくると不思議な動きを見せ始めた。
「おっ!? おおっ!」
プリシラが素っ頓狂な声を上げる。
動き出してみるとそれが複数の……、大まかに言って円形のリングが重なり合い、色々な角度で回転するような構造をしていることが分かった。
プリシラがその動きをもっと良く観察しようとして鎖を手元に引き寄せる。が、それまで勢いよく回転していたそれはすぐに緩やかになり、やがてほとんど動きをなくしてしまう。
「ああ、何だよ。もう終わり? 今すっごい……、あ、あれ?」
プリシラが落胆してそれを机の上に戻そうとすると、それは再び回転を始めた。
道具自体に動力になりそうな仕掛けは見当たらない。
当然室内に風が吹き込んでいるようなこともない。
おそらく、さっきプリシラが説明したように、魔力を感知し、それによって回転しているのだ。
リングの各所に出っ張って付いている色とりどりの宝石のような石がその役割を果たしているのだろうか。
「おっ! ……おぉぅ。……おおっ! ……お? ……おお。お、これは……、なるほどなるほど……」
プリシラはしばらくその鎖に吊り下げられたリングの場所をあちこちに変えながら、回転する様子を観察していた。
その回転するリングが急に目の前に迫ってきたので俺は思わず仰け反って避ける。
「ははぁーん。ヴェロニク、ちょっとこれ持ってみて」
プリシラがテーブル越しにリングを吊った鎖の持ち手を差し出してくる。
俺が立ち上がって恐る恐るそれを受け取ると、リングはそれまでで一番盛んに回転を始めた。
五つほどあるリング全てが回転し、そして時折、いくつかの輪は回転する方向を変えたりもした。
「これは、どういうことでしょう?」
「分かんない」
期待と不安を込めて尋ねた俺の質問を、プリシラは拍子抜けするくらい、にべもなく切り捨てた。
エミリーがキラキラと瞳を輝かせて触りたそうに見ていたので、同じようにして鎖の持ち手を渡してやる。
エミリーの手に渡ると、回転は明らかにその勢いを失ってしまった。
それから、エミリーがリングを俺の方に近付けるとそれは回転を早め、遠ざけると遅くなるのを繰り返した。
「……知らないけど、調べれば何か分かるかも」
わーきゃー言いながら無邪気に遊ぶエミリーをしばらく眺めてからそう言うと、プリシラは店の中をうろうろと歩き始め、書棚の中の無数にある本の中から一冊を取り出してテーブルの上に置いた。
パラパラとページをめくっていき、やがて人体と思しき簡素な図が描かれたページを見つけて指で差す。
「似たような事例は過去にも記録されてるの。人の体を介してどこからか強い魔力が流れ出して来るって現象」
本はこちらから見て逆さまだし、のたくったような細かい文字がびっしりと書かれているしで、何が書いてあるのかは判読できないが、図中の矢印に“門”という文字があるのはどうにか読み取ることができた。
「随分手際よくこの本を探し出したように見えましたけど、この本のことはご存じだったのですか? 内容も?」
「まあ、大体はね」
「先ほどは、ほとんど把握されていないような口振りでしたが……」
「んなわけないでしょ。専門家を舐めんなよ? 全ページ丸々暗記してるってわけじゃないけど、どの本にどんな内容のことが書かれてるかぐらいは把握してるわよ」
ハッタリだろうか?
俺にはとてもそんな芸当ができる規模の蔵書量には思えないのだが、本当にそうなら、これだけの蔵書に支えられた見識を、目の前のこの年若い女性が持ち合わせていることになる。
「それでその……、人体から魔力が流れ出す現象というのはどういった場合に起きるのでしょう? 放っておくとどのような影響が考えられますか?」
「知りたいわよねぇ、そりゃあ。アタシだって知りたいもん……。
確約はできないけど、当たりを付けて調べてけば何か分かる可能性はあると思う。今だってもう、あの辺の文献っていう目星は幾つも付けてあるんだから。
……けど、本当に何が起きてるのか確実に知りたいと思うんだったら、アタシたち、もっと協力する必要があるんじゃないかしら?」
プリシラの目付きは、こちらの反応を窺う鋭いものに変わっていた。
負けじとこちらも見つめ返す。
「ヴェロニクも本当は自分の身体に起きてる事に、何か心当たりがあるんじゃない?」
「何故……、そう思うのですか?」
「魔法に興味があるって言ってた割に、自分の身体から魔力が湧き出てるって知っても驚いた様子がなかったもの。落ち着き過ぎよ。何か心当たりがあったんじゃない?」
実際はかなり驚いていたのだが、つい癖で動揺を悟らせないようにしていたのが却って徒となったか……。
「さっきも言ったでしょ? ギブアンドテイク。貴女は何か困ってることがあってここに来た。アタシはそれを助けてあげられるかもしれないけど、今のままだと無理ね。お互い歩み寄りが必要よ」
確かに俺が知っている情報を提供すれば、この身体に起きている現象のことをもっと知ることができるかもしれない。
しかし、駄目で元々と、思い切って打ち明けてみるには背負っているものが大き過ぎる。
「……分かった。アタシの信用がないのね。だったらまず、こっちから手札を見せるわ」
俺がなお考え込むのを見てプリシラの方が先に折れた。
「ヴェロニクのお尻の下にあるやつ一冊取って」
そう言われて自分が腰かけた本の柱を覗き見る。
「一番上のやつね」
立ち上がり、今まで自分が尻に敷いていた本を手に取った。
少し温かくなっている。
「それ貸してあげる。あのスカしたノッポに見せたっていいけど、ヴェロニクを信用して貸すんだから絶対返してよね」
「何が書かれている本なのですか?」
「呪術についてよ」
「ええー!? プリシラさん、さっき知らないって、おっしゃってましたよね?」
俺の代わりにエミリーが口を尖らせて抗議した。
「当然でしょお? 王宮襲撃した連中との繋がりを疑われてんのよ? はい、知ってまーすって言った時点でお縄になることだって十分ありえるんだから……。ヴェロニクも、アタシがそれくらいの覚悟で手の内見せたことは分かってね?」
立ったまま本を開いて中身を検めてみる。
……読めない。これは外国語か?
『ラーティン語ね。確かにそれっぽいわよ? 将来災いとなるかもしれない分家の邪法に対抗する手段として書き残す、とか、そういうことが書いてある』
顔を上げると、どう? 分かったでしょ? という顔でプリシラがこちらを見ていた。
ジョゼの意外な博識には驚かされたが、今はそれどころではないな。
とにかく、お陰でプリシラと変な腹の探り合いを続けずに済んで助かった。
「……逆に、何故そんな危険を犯してまで譲歩してくれたのかと、思ってしまうのですが……」
「アタシはベスニヨールの娘よ? 純粋に研究者として、アタシ個人が知りたいという欲求もあるし、それに、魔力が枯渇した世界で、もしこれが魔力回復の契機になるのだとしたら、アタシがやらなきゃ。魔法技術の継承や再興は一族の……、いいえ、父さんの悲願だった。このチャンスは逃したくない。アタシがやるの」
静かだが、その瞳の奥に帯びた熱がこちらまで伝わってくるようだった。
俺にとってのアークレギスと同じだ。
それが、彼女の大義なのだ。
「……分かりました。貴女が背負う大義を信じます」
瞳を閉じ、長らく考えた後、俺ははっきりとした口調でそう言った。




