63 外壁の上で 3
「そう言えばオリアンヌのことだけど」
『何? 突然ね』
俺は望遠鏡を外し裸眼で王都の景観を見下ろしながら、昨夜後回しにした疑問を口にした。
「結局、彼女の首筋には何があったんだ?」
俺には何も分からなかったが、鋭い観察眼を持つジョゼならきっと何か分かったはずだと思いたかった。
当人に怪訝な顔をされるほどジロジロと観察したのだ。何か成果はあって欲しい。
『何もなかった』
「……何かあるはずだったのか?」
俺はオリアンヌが意味ありげな笑みを浮かべながら、去り際のジョセフィーヌに向かって言ったことを思い出していた。
確か、幼かったときの話だから気に病む必要はない、とか何とか……。
『昔、ほんの小さい頃。オリアンヌとはよくここで遊んでいたの』
「う、うん。そうだったのか……」
エミリーと仲良くなる前の話だろうか。
『オリアンヌの方がちょっと年上で、しかもあんな性格でしょ? いっつも何か自慢してきたり、意地悪したりしてくるもんだから、私もムキになって色々とやり返してたの。遊び相手というより喧嘩相手かしら。酷いこともいっぱいしちゃった』
「……うん」
子供の時分の酷いことか……。大人になった今なら笑い飛ばせる類のものであれば良いのだが……。
『その中で一番最悪だったのが二人でチャンバラしてたときのことね』
「チャンバラ? 女同士で剣を振り回してたのか?」
『もちろんおもちゃの剣よ? でも思い切り振ったそれがオリアンヌの首筋から胸のあたりまでザックリ裂いちゃって。オリアンヌとはそれっきり。ここに遊びに来ることもなくなったわ』
「それって大問題じゃないか? なんでそんな事件があったことを、今まで誰も教えてくれなかったんだろう?」
そう口に出してみて、いや、教えてくれそうな人はそのことを知らなかったのか、と自分でその答えにたどり着く。
エミリーもそうだし、アンナがここに来たのも確かジョゼが九つの頃だと言っていた。
『多分それ、私の前では禁句だったからよ。私その時ワンワン泣いて長いこと落ち込んでたし。それきり剣を振り回すこともなくなっちゃった』
ブリジットが記憶喪失の娘にそのことを教えなかったのはそのせいか。
今さら辛い記憶を思い出させることはないと?
うーむ……。
ブリジットの顔を思い出すと、今の話、少し引っ掛かるものを感じるな。
彼女の性格なら昔のその失敗を持ち出して教え諭そうとする気がする。
オリアンヌの甥のローラン相手に同じようなことをしでかしたなら特にそうだ。
『昨日ユリウスが私に、オリアンヌは信用できる人間かって私に聞いてきたじゃない? あの傷が残ってたら私のこと絶対許してないと思うし。だから確認してって言ったの』
オリアンヌの首筋にそんな大怪我があったことを思わせる痕はなかった。
ということは個人的な恨みでジョセフィーヌと敵対することはない?
だから信用できる、とか、そんな単純な話でもないと思うが。
「もともと大した傷じゃなかったんだろ? そんなに気に病むことはないよ」
『大した傷だったわよ。剣が当たったところから真っ赤な血がジュクジュク出て、白いドレスも真っ赤に染まってたもの』
「小さい頃の記憶だからだよ。ショックのせいで印象が強く残ってるんだ」
『いいえ。あれは死んでてもおかしくない大怪我だった。あんなに綺麗に直ってるなんて逆に不自然よ。ああそうだ……。傷痕は、ない方が変なのよ。ユリウス、やっぱりオリアンヌは要警戒よ。絶対秘密を話しちゃ駄目』
俺はジョゼを慰めるつもりで取り成していたのだが、ジョゼの方は途中から何か重大なことに気付いたとでも言うように声音を深刻なものへと変えていた。
「どういうことか俺にも分かるように説明してくれ」
『本物のオリアンヌはあのとき死んじゃったんだわ。今いるオリアンヌはきっと替え玉よ』
「う、うん?」
『ごめん。今のは正確じゃなかったわね。正しくは死んだのはオリアンヌの肉体だけで、魂は新しい今の肉体に乗り換えたのよ。そうじゃないと、あんな憎たらしい性格の人間が二人と存在するわけがないもの。でしょ?』
言い直される前の方が、まだしも検討する価値のある推論だったように思う。
俺は急激な疲労感に見舞われた。
ほんのちょっと前まで、ジョゼのことを頼りになる相棒のように思う気持ちが芽生えていたというのに。
「本当にそんな荒唐無稽なことがあり得ると思ってるのか?」
『あんたこそ、今の自分がどんな荒唐無稽な存在なのか分かってる?』
う。質問を質問で返された。
だが、そう言われるとジョゼの思い付きも簡単に否定はできないのか……?
オリアンヌという女性を見極めるにあたり、俺は昔起きたその大事件に関してジョゼに尋ねてみたい質問を一つ思い付いていたが、それを切り出す前に、遠くから外壁の上を歩いてくるセドリックの姿が目に入った。
お互いに目が合い、遠くから会釈をする。
俺はドームの中央あたりまで戻り、またドレスの裾が風で捲られはしないかと気にしながら、セドリックが到着するのを待った。




