59_共同戦線 4
それからベッドに入るまでの間にも、ジョセフィーヌの独り言、というか俺に対する駄目出しの雨あられは、やむことがなかった。
細かなところでは髪をとかす櫛の置き場所から香油を付ける量まで、自分がしていたときと違う部分を散々指摘された。
最も大騒ぎだったのは、やはり下の用を足すときと湯浴みをするときだった。
絶対に見るな、触るな、全部アンナにやらせろと、できないことをそれこそ発狂せんばかりに頭の中でがなり立てる。
俺だって当然、うら若き女性の身体に触ることを申し訳なく思っているのだが、しかしもうこの身体になってから半年近くも経つのだ。
いまさらそんなことに構っていたら、日常生活が立ち行かなくなる。
『分かった。あのおじいちゃんの精霊いたでしょ? あの精霊の力で男の身体に変えてもらいなさいよ』
ベッドにもぐり、アンナも彼女の自室に戻り、ようやく一人になったときにジョセフィーヌがそう言った。
「よく考えて発言してくれ。俺が男の姿に戻るってことは、ここからジョセフィーヌがいなくなるってことだぞ?」
『…………』
「アカデミアで少し姿を見せなかっただけで大騒ぎになったのを忘れたのか?」
『よ、夜だけ。せめて夜だけでも』
「着てる物もいっしょに丸ごと置き換わってるみたいだし。男の状態で身体を洗っても、ジョセフィーヌの身体は臭いままだぞ? 多分」
『く、臭くなんかないし! あんたオリアンヌのことはあんなに意識してたのに、何で私の身体についてはそんなにデリカシーないのよ!』
「だから、悪いとは思ってるよ。でも、どうしようもないだろ?」
どこの馬の骨とも知れない男がうら若き乙女の身体を好き勝手にしている問題は、このへんで休戦にしてもらいたかった。
そうでないと他の重要な問題に関する情報交換ができない。
「あんたはいつから俺のことを見てたんだ?」
『ねぇ、もう敬って話しなさいってのは諦めるけど、“あんた”はやめない?』
むむ。確かにそうだ。
ジョセフィーヌの方がこんなだから、俺も釣られて粗野な喋り方になっていたが、流石に姫様相手に“あんた”はあんまりだな。
ローランですら、もう少し気を遣っている。
「どう……呼んだらいい?」
『普通にジョセフィーヌじゃない? 姫様は嫌。なんか逆に馬鹿にされてる気分になるし』
「ジョセフィーヌは今は俺の呼び名だしなあ。とっさに呼ばれても反応できるように染み付いてるし、それだと俺が混乱しそうだ」
『……じゃあ、ジョゼ』
思わぬ提案だ。愛称呼びを許すとは思わなかった。
『今はお母様かお父様しか私をそう呼ばないから、そこまで混乱しないでしょ?』
「分かった。ジョゼがそれでいいならそう呼ぶ」
『っ……!』
「なんだよ? 自分でそう呼べって言ったんだぞ?」
息を飲む声に、頭の中でジョゼの赤面する顔が浮かび、こちらも慌てる羽目になった。
『ごめん。不意打ちだったから……。でも今だけよ? 元に戻れたら絶対にそんな呼び方許さないんだから』
「戻れたらか……。一体いつになるんだろうな。それ……」
『あんたはいつから私になってるのよ?』
「あっ」『あっ』
“あんた”呼びはお互い様だったことに同時に気がついた。
まあ、王女と田舎領主の息子じゃ立場が違うし、別に俺は“あんた”でもいいが、ジョゼはそもそもまだ俺が何者かを知らないからな。
『……ねぇ、名乗れないって言ってたけど、やっぱり駄目?』
正直に言うと、大分前からジョゼには話していいかと考えていた。
多分、今ジョゼがそれを知っても誰にも伝えられないだろうし、協力を仰ぐ上でこちらだけ身元を伏せるのはフェアじゃない。
「……俺の名は、ユリウス……。ユリウス・シザリオンだ」
『ユリウス……って、私の書いた小説の主人公じゃない!? どういうこと? まさかお話の世界から出てきたなんてこと……』
自分で創作した話を本にするくらいだから、ジョゼは想像力が逞しい女性なのだろう。
まあ、同じように錯覚して一人で震えていた俺が笑える話ではないが。
「俺はれっきとした人間だ。不落砦の主、ヴィクトル・アークレギス・シザリオンの一人息子。辺境の貧しい領地だが、一応は貴族だ」
『アークレギス……。どのへんなの?』
「知らないのか? 西の境の砦村だ。小さいけど、この国の防衛の要だぞ?」
この国の次期女王ともあろう人間が? と心無い言葉を続けそうになったが、それは何とか我慢した。
『だって興味ないんだもん』
くそっ。僅かでも今のアークレギスに関する情報を得られればと思ったのだが。
『でも、待って。砦村の領主の息子で名前がユリウスって……、でき過ぎじゃない?』
「ああ。俺もあれを読んだときは驚かされたよ」
『ちょっ! ちょっと待って。……読んだの? アレも?』
「あ、ああ。ごめん……。アンナが見つけてくれて」
『ごめんじゃないわよ。もう! 恥ずかしー。やっぱり鍵は別の場所にしとくんだったあ』
「いつ元に戻れるかも分からなかったし、少しでも……、ジョゼのことを知っておきたかったんだ」
『……もう諦めた。王女たる者、個人のプライバシーなんて存在しないのね』
王女であることと、書きかけの物語を勝手に読まれることとは関係ないと思うが、現在進行形でそのプライバシーを踏みにじっている俺としては、下手に感情を逆撫でしないように黙るしかなかった。
『何の話してたんだっけ?』
いろいろ話が飛んだ気がするが、俺がまず確認したかったのは……。
「いつからジョゼが俺の頭の中にいたのか」
『私から言わせるとユリウスが私の中に入ってるんだけど』
「……いつから俺の行動を見てたのか。……これでいいか?」
『オリアンヌの部屋、じゃなくて、オリアンヌの部屋の外の階段ね。気が付くと天井がひっくり返ってて、体が燃えたちっちゃい生き物が浮いてるのが見えたわ』
「あのときか……」
階段を転げ落ちた衝撃がきっかけになったのだろうか。
『なんだか夢を見てるみたいにボーッとしてて、はっきり物を考えられるようになったのはオリアンヌの部屋の中ね』
「それ以前は? こうなる前の最後の記憶」
『はっきりしないけど、多分このベッドの中。熱が出て、すっごいだるくて、身体中痛くて、もう駄目、私もうこのまま死んじゃうだあって思ったのは覚えてる』
「俺がこの身体の中で目覚めたのはその後だ。あれは俺も本当に死ぬかと思った。よく生き残れたよ」
『じゃあ、私の代わりに、あの苦しみに耐えてくれたんだ……。それはー……、うん。褒めて遣わす』
「…………」
ジョゼのその言葉はおどけていたが、俺にとっては強く胸を打つものがあった。報われた気がした。
あの病床の苦しみを本当の意味で分かち合った間柄だということに、戦友のような感情を抱いた。
『今までのを聞いてる感じだと、ユリウスも何でこうなってるのか分かってないのよね?』
「ああ、俺の場合、元の身体だったときの最後の記憶があやふやなんだ。王都じゃなくて、アークレギスにいたはずなんだが……」
『やっぱり魔法? あのちっちゃいおじいちゃんみたいな精霊の仕業?』
「わからない。けど精霊は普通、自分から魔法を使ったりすることはないって聞いてる。今ここに来てる精霊たちは、多分ミスティに頼まれて俺を助けてくれているんだと思う」
一部、助けになっているかどうか怪しい精霊たちもいるが。
『ちょっと待って……! ……ミスティって?』
「ああ、アークレギスにいる俺の幼馴染。精霊魔法が凄く得意で───」
『嘘でしょ!? いい加減にしなさいよ。まんま私の小説のパクりじゃない』
「そんなこと言われても……。こっちの方が聞きたいくらいだ」
『私をからかってるわけじゃないわよね?』
「どんな手間の掛かったからかい方なんだよ、それ」
『だとしたら……、やっぱりあんた……。ユリウスなんじゃない?』
「あ、ああ。ユリウスだけど……?」
『っ……。いや、そうじゃなくて。自分は人間だと思い込んでるけど、本当は私の作り出した架空の登場人物が自我を持ち始めて、病気で窮地に陥ってた私を救いに現れたのよ? そうなんでしょ?』
「いや、そうなんでしょ? って言われても……」
『……ああ、そうね。自分が人間じゃなくて架空の存在だったなんて受け入れ難い事実だもんね。ごめんなさい。あんたに聞くのは酷だったわ』
「いや、違うと思うけど……」
『ああ、私の精細な筆致と豊か過ぎる想像力が、こんなにも悲しい存在を生んでしまったなんて。自分の才能が恐ろしい!』
「誰が悲しい存在だよ。いい加減、怒るぞ?」
『だ、だってぇ……。私が生み出した空想上のヒーローだとか、私自身の別人格だって考えた方が、まだ救いがあるじゃない。どこぞの田舎貴族の息子ふぜいに、身体の隅々まで全部見られたんだって考えるよりよっぽどぉ。お願い、そうだと言って? そういうことにしといてよぉ……!』




