55_還りし者 4
老精霊は非常識にも、横向きの俺の目線に対して真っ直ぐ、つまり建物の外壁に対し垂直に立ってこちらを見つめていた。
「困っとるようじゃの。どれ、通れるようにしてやろうか」
そう言うが早いか、老精霊は杖を掲げて上下させるあの奇妙な踊りを始めた。
ちょっ!? ちょっと待て! もしかして、元の姿に戻すつもりか?
『何、このおじいちゃん、カワイイ。ねぇ、可愛くない?』
可愛くない! 全然可愛くない!
今戻されるのはとても不味い。
いや、この際、戻してくれるのは良いが、せめてここから飛び降りた後にして欲しい。
ジョセフィーヌの細い手足では、二階から飛んで無事で済むとは思えない。
俺は必死で残りの身体半分を小窓から引き抜くと、窓の縁を蹴って地上の植栽に向かって跳んだ。
落下しつつ、無数の小枝が身体を傷付ける衝撃を覚悟する。
だが、衝撃の代わりに感じたのは身体がフワリと浮くような奇妙な感覚だった。
猛烈な風がゴウと吹き、周囲の枝木がしなる音。
それとほぼ同時にまばゆい光に包まれ視界が塞がれた。
ややあって、足の裏に地面の確かさを感じた俺はおそるおそる目を開ける。
二階から飛び降りたにも関わらず、俺は全く衝撃も受けず、二本の足で綺麗に降り立っていた。
植栽に向かって跳んだはずが、身体はその手前の何もない地面に押し戻されている。
そして、目の前には木の葉を巻き上げながら宙に浮く、風の精霊の姿があった。
フーちゃん!
俺は懐かしさと嬉しさのあまり、思わず彼女を抱き寄せようとして手を伸ばす。
……が、風の精霊フーちゃんは俺が手を近付けると、大きな旋風を巻き起こし、一瞬で姿をかき消してしまった。
ああ、しまった。そうだった。
危うくジョセフィーヌの指を飛ばしてしまうところだった。
俺は落ち着いて周囲をキョロキョロと見回し、次いで、今飛び降りてきた二階の窓を見上げた。
良かった。
今のところ誰かに見つかった様子もない。
「ありがとう。助かったよ、フーちゃん」
姿は見えなくとも精霊はどこにでもいる、と言っていたミスティの言葉を思い出し、そっと呟いた。
ドレスに乱れがないことを確認すると、足早にその場を離れる。
不思議なもので、本来自分のものではない姿に戻ってしまったというのに、俺はそのことに確かな安堵を覚えていた。
この身に纏う、薄く可憐なドレスが、どんな鎧にも増して心強かった。
……これはなにも女性の身体の方に慣れてしまったというわけではない。
川の中に魚がいて、森の中に獣がいる。そういう類の話と同じだ。
この王都の、アカデミアの中においては、身元不明のユリウスでいるよりも、ジョセフィーヌという王女の姿でいた方が自然だし、安全だというだけの話。
きっとそうに違いない。
『ちょっと……。ちょっと、ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ!』
あ、そうだった。髪は大丈夫かな?
手で頭を払うと先ほど舞っていたと思われる小さな葉が落ちてきた。
後ろに垂らした長い髪を撫でつけて綺麗に整える。
『ちょっとぉ……! 聞こえてるんでしょ!? 無視しないでよ。何が起きてるのか説明しなさいよ。フーちゃんて誰ぇ!?』
俺はもう一度周囲に人の気配がないことを確認してから、小さな声で返答する。
「後で必ず説明するから。今は黙って見ててくれ。絶対に、ボロを出すわけにはいかないんだ」
『はぁっ? そんなわけにいかないわよ。今すぐ説明して。ねえ、その声、女の人じゃない? ドレスも着てたし。私、また別の誰かの身体に入っちゃったのかって焦ったんだけど。ねえ、本当にさっきと同じあんたなの?』
黙ってくれと頼んだはずだが、余計にうるさくなった。
こんなことなら聞こえない振りをしておけば良かった。
軽く後悔しつつも俺はまた足早に歩き出す。
急がなければ。
時間が経つほど騒ぎは大きくなる。
それにエミリーが、俺の失踪にさぞや慌てふためき心配していることだろう。
敷地内で迷っていたふうを装うため、皆の前にどんな演技をして姿を現すべきか考えていたが、建物の裏手側は妙に入り組んでいて、ナチュラルに迷ってしまった。
何度目かの角を曲がったとき、ようやく建屋の中に入る入口を見つける。
入って廊下を進んでいくと、見覚えのある後ろ姿があった。
パトリックだ。
その大きな身体の陰からエミリーが姿を現す。
「お姉さま!」
こちらの姿を認めると、物凄い勢いで駆け寄って来る。
今にも泣き出しそうな表情のまま思い切り抱きつかれた。
「ごめんなさい、エミリー。心配をかけました」
エミリーをしっかり抱き留めたまま、優しくそう声を掛けた。
『は? ちょっとエミリー? 何で? お姉様は私でしょ? 何で私以外の人間にこんなに懐いてんのよ? 一体誰なのよ、あんた。私がいない間に何が起きてんの?』
「大丈夫です。お姉さま。わたくし必ず戻られると信じておりましたから。あの秘密もしっかりお守りしましたよ?」
「ありがとう、エミリー。本当に」
先にその情報を確認できたのは大きかった。
本当にエミリーには感謝しなければならない。
その後駆け付けたオリアンヌやセドリックに対し、俺は変に動揺せず、あくまで散策中に迷子になってしまっただけという筋書を説明して納得させることができた。
それもこれも、ジョセフィーヌとユリウスの関係が相手にバレていない、という確信があったればこそだった。




