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53_還りし者 2


 部屋の前まで来てその足音が止まる。


「お待ちください。オリアンヌ様」


 セドリックの声だ。

 階段の下から二階に向かって呼び掛けているようだった。

 俺はドアのところまで近付き聞き耳を立てる。


「何です? わたくし少々急いでいますの」『あー、やっぱりあれオリアンヌだったんだ』


 実際の耳で聞いている音と、頭の中で聞こえる声が重なって混乱する。


「悪い。ちょっと静かにしてもらえますか? 姫様」


 俺は(ささや)くような声で頭の中のガキンチョにお願いした。


「───それで、そちらの侍女の方にお尋ねすると、何でも背中に大きな火傷を負っていらっしゃるとか」

「そうです。わたくしをかばって火傷を負われたので、今は部屋で介抱させていただいております」


「どこのどなたかお聞きしても?」

「……何故、貴方がそこまでご執心なのか、逆にお尋ねしてもよろしくて?」


『あれきっと、自分が知らないってことを言いたくないから逆に聞き返してるのよ』


 なるほど。

 先に相手から情報を聞き出そうという駆け引きかと思ったが、確かにジョセフィーヌが言うような理由もありそうだ。

 負けず嫌いで見栄っ張りな性分……。

 段々とオリアンヌの人物像がつかめてきた。


 重い足音が階段を上って近付いて来る。


「襲撃の夜、ジョセフィーヌ様が一時誘拐の憂き目に遭われていたのはご存知でしょう?」


 ドアの前。二人きりでの内緒話か……。


『嘘……。誘拐って……、どういうことよ?』


 実際はドアを挟んだ裏側に二人の聴衆がいるのだが。


「知っています。それが何か?」

「エミリーから聞いた話ですが、ジョセフィーヌ様をお救いした男の背中には大きな火傷の痕があったとか。もしかすると、と懸念いたしまして」


『あ……、あんたのことね? 命懸けで守ったって、さっき言ってたのはそのこと? もしかして、それであんな大火傷を?』


「……そうですか。大変興味深いお話をお聞かせいただけました」

「オリアンヌ様? 危険な人物かもしれません。エミリーは姫を救った正義の使者のように証言していますが、我々の間では賊の仲間割れではないかという見方が大半でございます」


「それはそうかもしれませんね。ですが、あれから二週間は過ぎているのですよ? あの方のお背中の生々しい火傷の痕はそんな時間が経ったものではございませんわ」

「そう……ですか……」


「安静にして差し上げたいので、今日のところは……。わたくしの恩人にご興味がおありでしたら、いずれご紹介いたしますけど?」

「いえ。ですが、それほどの大怪我であれば医者を呼んできましょうか?」


「もう呼びに行かせております」


「おーい、セドリック。ちょっと……」


 階段の下から大きな声で呼び掛けるローランの声がした。

 セドリックが階段を下りて行く音を聞いて俺は急いでドアの前を離れる。

 するとすぐにドアが開き、薬の容器と包帯の束を手にしたオリアンヌが入ってきた。


「お聞きになられました?」


 どうやら聞き耳を立てていたのはバレていたようだ。


「そう警戒なさらずに聞いていただきたいのですが……。貴方はここに招かれておいでになった貴族の子弟ではありませんわね?」


 質問というより確認めいた口調。

 こちらの反応を探る目的でそう切り出したのだろうと思われる。

 先ほどのセドリックとの会話を立ち聞きしていた俺は、当然その言葉に緊張してしまう。


「まあ、お座りなさいな。手当ての続きをいたします」

「俺が危険な人間だとは思わないのですか?」


「階段から落ちそうになったわたくしを、かばっていただいたのは間違いないでしょう? それにあの精霊とやらの対処方法も教えていただきました。わたくしも貴族の端くれです。受けた恩義には報いたいと思います」


 オリアンヌから身振りで勧められ、俺は仕方なくその指図に従い、小さな丸椅子に腰かける。

 座ってすぐ、背中にオリアンヌが顔を近づけ、つぶさに観察する気配があった。

 先ほどセドリックから聞いた話と、目の前の火傷の痕を照合しているのだろうか。


()みますからね。声を上げてもよろしいのですよ?」


 そう声を掛けてからオリアンヌは俺の背中にアルコールをドバドバと垂らした。


 ぐぅうっ!


 気構えしていなければ声を出していたかもしれない。

 焼けるような強烈な痛みに身を強張らせる。


「まあ。強情な方……」


 布で軽くはたくように背中のアルコールを(ぬぐ)ってから、今度はそこに軟膏薬を塗り付ける。

 オリアンヌが持って来た軟膏は、何とも言えない強烈な臭いを放っていた。

 これは良く効きそうだ、と痛みとは別の理由で顔をしかめる。


『ねえ、痛い? 痛いの?』


 頭の中のジョセフィーヌがこわごわと尋ねてくる。

 俺と目や耳は共有していても痛みや臭いは感じないのか。

 それはなんと便利で(うらや)ましい。


「気が散るから少し黙っててくれ」

『えっ、何?』「えっ、何です?」


 駄目だ。この状態ではジョセフィーヌと意思疎通できそうにない。

 オリアンヌに聞こえないぐらいの小声でしゃべるとジョセフィーヌにも聞こえないようだ。


「いえ、あの……。俺をどうされる、おつもりですか?」

「そうねえ。どういたしましょう……」


 そう言いながらもオリアンヌは手を止めず、手際よく軟膏を塗り込んでいた。


「貴方はおそらく、言いたくないか、言えないことがおありなのでしょう? わたくしはその逆で貴方からできるだけ多くの情報を得たいと思っています」


「それならさっき、俺を捕らえさせて尋問すれば良かったのでは?」

「まあ、なんて短絡な」


 軟膏を塗り終わったオリアンヌは自分の手を拭き、包帯を巻くのに取り掛かる。


「情報は限られた者だけが持つからこそ価値があるのですよ? 憶えておかれるといいわ」

「公に俺を捕らえると多くの人間に情報が知られてしまうから、ですか?」


 一体俺が持つどんな情報に価値があると考えているのだろうか。

 ジョセフィーヌの身体を操っているのが彼女本人ではなく、目の前にいるこの田舎貴族の男だという事実は、確かに天地がひっくり返るほどセンセーショナルな情報だろうが……、流石に今の段階でそんな突拍子もない発想には至っていないだろう。

 オリアンヌが俺のことを賊の一味だと思っているのだとすれば、ジョセフィーヌの暗殺を(くわだ)てる誰かとの繋がりやその証拠を探ろうとしているのかもしれない。


「全部口に出してしまわれるのね。その辺は貴族らしくない、というか……、あまり世慣れていらっしゃらないのかしら?」


 包帯を胴に回すために正面に回り込みつつ、下から覗き込むようにこちらの顔色を窺うオリアンヌ。

 追い詰められているというのに俺は、その妖艶(ようえん)な微笑みを見て思わず美しいと感じてしまう。


 いかんいかん。こういう手管(てくだ)なのかもしれん。


『あ、ねえちょっと。オリアンヌの左側。ああ、違う、右か。彼女から見て右の首筋。もうちょっと近付いてよく見てくれる?』


 ジョセフィーヌの言葉に反射的に従い、思わずオリアンヌの首筋から胸の辺りに目をやってしまう。

 真上から覗き込むようにして見えた胸の谷間に動揺し、俺は慌てて首を持ち上げ、部屋の天井を見上げた。


『あ、ちょっとぉ。ねえ、首筋だってば』


「どうかされましたか?」

「い、いえ。その……、俺は賊ではありません」


「あら? もう教えてくださるの? でも、貴方が王宮を襲撃した賊の一味でないことは察しが付いていましてよ?」

「……その理由を、お聞きしても?」


「その言葉遣いがすでに貧民窟(ひんみんくつ)の住人のものではありませんもの。それにその凛々(りり)しいお顔立ちも……。きっと、真っ直ぐに生きてこられた御方なのだとお見受けいたします」


 一応褒められているのだとは分かる。

 分かるが、剣の技量に関してはともかく、女性からのそういった類の賞賛に慣れていない俺は反応に困った。


『えっ、もしかしてオリアンヌ、誘惑しようとしてんの? うーわー』


 ……その一部始終を観察している第三者の存在も俺を動揺させる要因だった。


「じっ、自分の正体は明かせませんが、貴女やジョセフィーヌ様を害する者でないことだけは、誓って、お約束いたします」

「ふふっ。やはり尋問など必要ありませんね」


 俺はオリアンヌの手の上でいいように踊らされてしまっているのだろうか。


「いいでしょう。貴方のそのお怪我が()えるまで……。いいえ、貴方がその身を隠しておきたいと思われるその時まで、わたくしがここで(かくま)って差し上げます」


 安易に話せぬ事情があり、この王都での身元が明確でない俺にとってオリアンヌが切り出したその提案は願ってもない話だと言える。

 だが、うまい話には必ず裏がある、というのは常々ドルガスから処世術として聞かされていたので逆に用心する気持ちが芽生えた。


「……それで貴女にどんな益があるのか、お聞かせください」

「申し上げましたでしょ? わたくしだけが知る情報が欲しいのです。知り得た情報をどのように役立てるかはその後でございます」


 俺とオリアンヌはしばらく黙り込み、その間にオリアンヌは背中の火傷痕周りの包帯を巻き終えてしまった。

 俺の頭の中では、ジョセフィーヌがその間も絶えず、首筋を覗け、もっと近付けと騒ぎ散らかしていた。


「そちらの脚は?」


 オリアンヌが俺のズボンの太腿部分にある乾いた血の跡を指して聞いた。


「大丈夫。血は止まっています。おそらく矢傷です」

「おそらく?」


「あっ」


 オリアンヌが堪えきれずといった(てい)でクスクスと笑い始める。


「本当に不思議な御方。このように傷だらけのお身体で、どうやってここに入り、何をされにおいでになったのかしら?」

「それは……、お答えできません」


「今はそれで構いません。ですが情に厚い貴方なら、いずれきっと……、恩義に感じて自らお話しいただけるだろうと信じておりますわ」


 本当にそういうねらいなのであれば、それを本人に向かって馬鹿正直に話してしまって良いのだろうか。

 いや、()えてそれを伝えることでこちらの良心に訴えようとしているのかもしれない。

 ……駄目だ駄目だ。

 オリアンヌと話していると、どんどん彼女のペースに引き込まれてしまう。


「侍女に着替えを運ばせます。それと皆が帰った後で貴方のお部屋を用意させますので、それまではここで静かにしているのですよ?」


 オリアンヌはドアノブに手を掛けながら、まるで弟か子供にでも言い付けるようにして部屋を出ていった。


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