52_還りし者 1
いや、駄目だな。
依然として外は人の目で溢れている。
貴族然とした身なりであればいざ知らず、半裸で、傷だらけの姿とあっては人目を引くのは避けられないだろう。
何か上に羽織れる物でもないかと見回していると、部屋の奥に大きな鏡があることに気がついた。
そうだ。
オリアンヌがショックを受けるほどの火傷がどれほどのものか、確かめておこうと思い立ち、その鏡の前に歩いていく。
全身を映せるほど大きな鏡だ。
これだけ広い敷地に、あれほど多くの貴族を集めるアカデミアを主催するだけあって、このオースグリッド家も王族に負けず劣らずの大きな資産を有しているのだろう。
王位継承の件に関しては国王のブレーズに同調を示しているという話だったが……。
鏡の中に映る自分の姿は、記憶にあるものよりも大人びた相貌に見えた。
自分で自分の年齢を推測するというのは奇妙な感じだ。
努めて客観的に推測するに、二十歳を超えているかどうか、といったところだろうか……。
『うっそ。いい男じゃん!?』
ん?
鏡の中の自分が眉をひそめる。
気のせいか……。
俺は鏡に背を向けて、自分の背中を確認する。
火傷の痕は左右の肩甲骨から腰の辺りまで広範に及んでいた。
外側の皮膚が見事にただれ、その下から覗く内側の皮膚も赤く腫れあがっている。
『うーわっ! いったっそー……』
「誰だ!?」
俺は慌てて辺りを見回した。
鏡の後ろや、オリアンヌのベッドの裏側、クローゼットの中まで開けて確認する。
『ちょっと、ちょっとー。女性の寝室を物色するなんて幻滅なんですけどぉ?』
声はすれども姿は見えず。
それにどの方向から声がしているのかもまるで分からなかった。
どうも、鼓膜を震わせて聞こえている音とは思えない不思議な感覚。
「誰なんだ? 出てこい!」
『何? 何々……? 誰かいるの? 怖いんですけど』
女の声だ。
口振りからして随分軽薄そうな、若い女だ。
一旦部屋のドアを開け廊下の様子を窺う。
予想どおり誰もいない。
部屋の外から聞こえるような声ではなかったからそれは分かっていた。
確実にしておきたかったのは、今自分が発した声を誰にも聞かれていないという事実確認だった。
俺は小窓からもう一度外の様子を確認しつつ謎の声の主に語りかける。
「お前だ。さっきから騒がしいお前。俺の声は聞こえているんだろう?」
先ほどよりも声をひそめてしゃべってみた。
そして自分の両耳を手で塞いでみる。
『……え? もしかして、私?』
やはり、声は俺の頭の中から聞こえる。
正確には、音として響いているというよりも、誰かがそうしゃべったであろう、という情報が頭の中だけで理解されるような感じだ。
「そうだ。もしかしなくてもその私だ」
『…………』
何も聞こえないが、相手が息を飲んで黙ったことが伝わってきた。
「お前は誰だ?」
『……あんたこそ誰よ?』
「俺は……、すまないが今は明かせない」
『うそ。ほんとに通じてるの……?』
どうやら敵意を抱いた相手ではないように感じられる。
敵意どうこう以前に、相手も俺と同じように、この状況に対し戸惑っているふうだった。
「君が何者かを教えてくれれば、場合によっては俺も身元を明かせるかもしれない。俺は命を狙われているんだ。だから用心は怠れない」
『……何だか物騒な話ね……。いいわ。私も困ってたから教えてあげる。けど、教えるからには、あんた私に協力しなさいよね』
「分かった。俺が許容できることなら最大限協力しよう」
『……よし……。聞いて驚きなさいよ……? なんとぉ、私はー……』
随分ともったい付ける。名前ぐらい早く名乗れ。
俺が知りたいのは何故頭の中から声がするかという話であって、どうせ会ったこともない人間の名前など聞いたところで何も分かりはしないのだ。
と、心の中でそんな苛立ちを口にするくらいの間はあった。
『この国の王女にして次期女王でもあるジョセフィーヌ・カルドエメフ、その人よ!』
「…………」
……何を馬鹿なことを言い出すんだ、この女は。
『どーお? 驚いて声も出ないかしら?』
「……姿が見えないと思って無茶苦茶なことを……」
『何よ? 嘘だって言うの?』
「嘘にもなってない。姫様を名乗るなど単純に不敬だ」
『はあっ!? あんたのその口の聞き方の方が不敬なんですけど? お父様に言って斬首刑にしてやろうかしら』
頭の中で大声で話されると頭が痛くなる。
いや、言っている内容自体も頭を抱える内容ではあるが。
……だが、こちらをからかっているとも思えないし、騙そうとするならもう少し利口にやるだろうという気もする……。
あとは、自分のことを本当に姫様だと思い込んでいる頭のおかしな女である可能性か……。
頭の悪そうな口振りからして、その可能性は十分にあり得るとは思ったが、決めつけるのは良くない。一応確かめてみよう。
「ジョセフィーヌ様専属の侍女の名は?」
『アンナよ』
「じゃあ、ジョセフィーヌ様の一番の親友の名前」
『……シャクだけど、エミリー・エリシオン……。あんた馬鹿にしてんの? そんなの本人じゃなくても分かることじゃない』
確かにそうだ。
ジョセフィーヌ本人しか知らなさそうな情報には何があるだろうか。
「あっ……。秘密の日記だ。秘密の日記を隠してある人形の名前は何だ?」
『……ウサッポス……』
「え? もう一回言ってくれ」
『ウサギのウサッポスよ……』
「やはり偽物だったか」
『ちょっと! ちょっと待ちなさい。何であんたがそのこと知ってんのよ? あんた誰!? もしかして中身も読んだの?』
「落ち着け。大声でしゃべられると頭が痛くなる」
『エミリーから聞いたの?』
「まあ、そうだけど、彼女を責めてやるなよ? 彼女に悪気はないんだから」
認めたくないが、俺の中ではすでに忌まわしい結論が固まりつつあった。
『……クマダリオン。熊のぬいぐるみのクマダリオン』
はあ……。
俺は心の中で大きく溜息をついた。
『どう? 分かったでしょ? 何とか言いなさいよ』
「分かった。信じるから少し静かに考えさせてくれ」
そうは言ったものの、何をどう考えれば良いのかすぐに頭が回らない。
『そうね。信じたんならまず、私に対する口の利き方は考えないとね』
勝ち誇った彼女の弾むような口調に比して俺の心は暗く沈んでいった。
何か……、大切に築き上げてきた何かが崩れ去るイメージ。
「……悪い。今更それは無理かもしれない」
『ちょっと、それどういうことよ。このミザリスト王国の王女が相手なのよ?』
「……ショックなんだ。俺が命懸けで守ろうとしていた姫様がこんな品位の欠片も感じさせないガキだったなんて……」
『はあっ!?』
それに、頑張って王女ジョセフィーヌを演じていたつもりだったが、これまでの俺の振る舞いは、本来の彼女とは似ても似つかぬものであったということもショックだった。
ここまでかけ離れたイメージで、よくブリジット様やエミリー、アンナが俺を別人だと気づかなかったなと思う。
『何? 何、何、何? 何なのよ! もう、みんなして……。王女が……どんな性格だって、別にいいじゃないのよ……』
最初思う存分怒鳴り散らかしたかと思うと、その声は次第に寂しげなトーンへと変わっていった。
それを聞いて俺は今のは失言だったと後悔する。
こんな砕けた調子では久しくしゃべっていなかったから、つい調子に乗ってよく考えもせず口にしてしまった。
以前にも思わず口にした言葉でミスティを傷付けたことがあったのを思い出す。
俺は何も成長していないな……。
「ごめん。悪かったよ。この国の王女の立場がどれほど大変なものなのか。俺が一番分かってるはずなのにな……」
『ふんっ。知ったふうに。何様のつもりよ。……そうよ、あんた結局誰なのよ』
そのとき、誰かが階段を上ってくる微かな音が聞こえた。




