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51_アカデミア事変 4


「あの、生き物……。いえ、果たして生き物でしょうか? あれは一体何だったのかしら? 何か言葉をしゃべっていたようだけれど」


 オリアンヌが水で濡らした布で、俺の身体の肩や腕に付いた血を(ぬぐ)いながら言った。


 俺は結局、オリアンヌに押し切られて彼女の部屋で傷の手当てを受けていた。

 不味い状況だが、今逃げて外に飛び出しても周囲の人間に見つかれば同じことになる。


「精霊です。火と水の。俺の故郷では沢山見ましたけど、やはり王都では珍しいのですね」

「精霊? 書物では読んだことがあります。まさか本当に実在するなんて……。あっ……」


 オリアンヌは何かに気付いたような声を上げた後、考え込むようにして黙り込んだ。

 あまり内心を窺わせないオリアンヌの意外な様子に、俺は思わずその顔を直視する。


「あ……、失礼。少し思い出したことがありまして……」


 俺の視線に気付いたオリアンヌは、さっと顔を伏せ、血で汚れた布をタライの水に浸けて洗った。

 女性に対して失礼だったと俺の方も顔を逸らす。


 落ち着いて周囲を見回すと、女性の部屋にいることを改めて実感し緊張してきた。

 さっきは水の精霊から浮気呼ばわりされたことを心外に思ったが、女性の部屋に二人きりでいるなど、確かにそう責められても仕方のない状況だ。


「……貴方の故郷というものに興味がありますね。何故、この場所にいたのか問い詰めるつもりでしたけど、貴方からはもっと貴重なお話が聞けそうです」


 こちらの身の上を知られるのは困るが、言い逃れできそうな作り話も思いつかない。


「まず、貴方はどなたです? 誰の口利きでこのアカデミアへ? ご存知でしょうけど、今日はほうぼうから人を集めておりますので、全員の顔と名前を把握できておりませんの」

「身元が不確かな者まで招き入れているのですか!?」


 かく言う自分がその身元の不確かな者の筆頭なのだが、そんなことは棚に上げて、俺の口調は思わず非難がましい調子になってしまっていた。

 王女の暗殺未遂があった矢先、そんな不用心なことをして、ジョセフィーヌの身にもしもの事があれば、どうするつもりなのかと憤る気持ちが湧いたのだ。


「常連の貴族と同伴でなけば敷地には入れておりません。それにわたくしが把握せずとも、身元は入場の際に衛兵がしっかりと検めております」


 オリアンヌは心外だと言わんばかりに口を尖らせる。


「それは……、失礼いたしました。……ですが、そうまでして大人数を集める必要があったのですか? 姫様も、その……面食らっておいでのようでしたよ?」

「それは当然。華やかな方が良いでしょう? ……でも、そう。面食らっておいでしたか。わたくしにはそんな表情、少しもお見せにならなかったけれど……、そう……。ふふふ……」


 ジョセフィーヌとして相対しているときには、オリアンヌが何を考えているのかまるで分からなかったが、こうしている今は、彼女の見栄っ張りな性格や、ジョセフィーヌに一泡吹かせたことを喜ぶ幼さが分かり易く見て取れた。


「お嬢様。消毒用のアルコールです」


 使用人の女が戻ってきてオリアンヌに小瓶と包帯を手渡す。


「ありがとう。貴女、次は火傷に塗る軟膏も探してきて頂戴」


 新たな指示を受け、使用人がまた忙しなく部屋から出ていった。


()みますわよ」


 オリアンヌはそう言って、アルコールを含ませた布を俺の腕の傷に当てた。

 俺は顔をしかめて痛みに耐える。


「痛ければ声をお出しになれば良ろしいのに」

「うめき声を上げたところで痛みは変わりませんから」


「ほら。やっぱり痛いのではありませんか」


 からかうようなオリアンヌの口調。


「男子たるもの。多少の痛みで声を上げてはならぬと……。父上の教えです」


 子供の頃は少しの怪我でも大泣きをして母上を困らせていた。

 その度に父上にそう言って叱られ……、だが、結局母上がご存命の間にその癖は改められなかった……。


 俺が無為に古い記憶に思いを馳せていたときだ。

 外の方から微かに女性の悲鳴が聞こえてきた。

 続いて何事かを叫ぶ男の怒声も。

 オリアンヌが立ち上がって部屋の奥の窓に駆け寄るのを見て、俺もその後に続く。


「大変。どうしましょう」


 小さな窓から覗いた先には、お茶会のテーブルの周囲で逃げ惑う女性たちの姿が見えた。

 剣術試合に出ていたローランたち男は、剣を抜いて宙に向かい、それを振り回している。

 その剣をヒラリヒラリとかわして飛んでいるのは、あの火と水の精霊だ。


「貴方、あの精霊に詳しいのでしょう? どうすれば助けられるのか教えてくださる?」


 眉根の下がった心細げな表情。

 オリアンヌの深刻な声の響きに、俺は自分が持つ感覚とのギャップを感じた。


「いえ。大丈夫ですよ。あいつらは基本的にそんな悪さはしません。まあ、ちょっと火の粉で火傷くらいはしますが」

「ちょ、ちょっと!? ちょっとどころではありませんよ! 貴方、我慢強いにも程があります。ご自分がどれほどの大火傷を負ってらっしゃるかお分かりになってないの!?」


 ああ、そうか。

 オリアンヌは俺の背中の火傷をあの火の精霊にやられたものだと勘違いしているのだ。


「いや、これは……」


 これは違うんですよと言いかけて、俺は自分の背中にできた火傷の理由を知らないことに思い至り口をつぐんだ。

 違うとしたら一体何と言って説明すれば良いのか……。そう、そもそもこの火傷は何なのか。

 今の自分の……、ユリウスの姿については、上半身裸である理由も分からないし、色々と謎だらけだ。


「このアカデミアで、ジョセフィーヌ様にもしものことがあったら……」


 再び窓の方に目をやるオリアンヌ。

 ジョセフィーヌの姿を探しているようだったが、隣に俺がいるので外をいくら探しても見つかるはずはない。


「とにかく大丈夫です。ただの自然現象のようなものなので」


 俺はオリアンヌの両肩をつかんでこちらを向かせ、彼女を落ち着かせるようにして言った。

 言いながら、俺が風の精霊を触ろうとしたときにミスティから叱られたことを思い出す。


「あっ、うっかり触ったりしないように。それだけです」

「わ、分かりました。わたくしが行って伝えてきます。貴方はここにいなさい。怪我人なのですからね!?」


 やるべきことが定まった後のオリアンヌの行動は素早かった。

 俺を置いて部屋から飛び出していったかと思うと、すぐに外からオリアンヌの大きく通る声が聞こえてきた。


「皆様! 落ち着きなさい! こちらから手を出さなければ、我々に害を成すものではありません! さあ、貴族らしく、優雅に! 精霊様にご挨拶をいたしましょう!」


 その一声が効いたのか、貴族の子女たちは落ち着きを取り戻し、一様に空の一点を見つめるようになった。

 小窓からではよく見えないが、その視線の先にあの精霊たちがいるのだろう。

 やがて、その視線が別の向きに流れていったのを見て、精霊たちがその方向に飛び去ったのだと分かった。


 精霊を見送った後には、貴族たちは早速今目にしたばかりの不思議なものについて、おしゃべりに興じ始める。

 何かを知っているふうであったオリアンヌも彼らに取り囲まれているようだ。

 今ならば、ここから逃げ出せるだろうか……。


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