43_その夜の顛末 1
「良かったお姉さま。元の身体にお戻りになられて」
戻ったような、戻っていないような……。
俺としては手放しで喜べる話ではないのだが、エミリーは心底安堵したように喜んでいた。
「あのままお戻りにならなかったらどうしようかと考えておりました。何しろ、男性の姿のお姉さまの身元を証明するものがございませんでしょう? ひとまず、私の屋敷にお匿いして、お怪我が癒えるのを待って。それから仮の身分をご用意し、いざとなれば、わたくしが責任を持って一生をお添い遂げするしかないと考えておりましたの」
「……ず、随分先のことまで考えていらしたのね……」
ひとまず危機を脱したという安心感からだろうか。お互いそんな軽口を叩く余裕はできていた。
だが、まだここがどことも知れぬ敵地であることに変わりはない。
エミリーが苦心して縄を切り終わると、俺は急いでここを出ようとして身体を起こした。
「……っ!」
「お姉さま。いけません。ああ、額にお怪我を……」
痛かったのは偏頭痛のためだったが、エミリーは倒れたときに打ち付けた外傷のせいだと思ったようだ。
額に手を当てると僅かに流血していた。
王女の顔に傷を付けてしまったことは気に病まれるが、命が助かったことを考えればこの程度で済んだのはまだ幸いと言えるだろう。
エミリーは気遣わしげに、一旦俺の額に触れようとしたが、素手では不味いと思ったのかその手を引っ込める。
「わたくしが外を見て参りますので、ここで休んでいてください。止血できるものがないかも探して参ります」
立ち上がろうとするエミリーの手を掴んで引き留める。
「待って。先に……。どなたかに会っても、私が男の姿に変わっていたという話は内緒にしてください」
そんな話をしている場合ではないが、俺にとってはそれも重要なことだった。
あの話が広まれば、今度はジョセフィーヌではなく、ミスティが言っていたユリウスの身を狙う誰かに襲われることになるかもしれない。
「どうせ誰も信じないでしょうし、お母様たちを不安にさせてしまいます」
「お姉さまがそうおっしゃるのであれば……。ですが、男性のお姉さまが退治した賊のことはどう説明いたしましょう?」
そうだな……。
ユリウスの姿を見た隻眼の男やその部下たちはもうどこかへ逃げてしまった。
二階には俺が頭を蹴った一味の一人も気を失って倒れているし、ここに男の姿の俺がいたという事実は隠しおおせないだろう。
「謎の男が突然現れて、私たちを助けて何も言わずに去ったということにしましょう」
俺がそう言い終わった直後、出入口の扉がまたも大きな音を立てて開け放たれた。
一瞬、あの男が戻って来たのかと焦ったが、入って来たのは大きな剣を肩に担いだサナトスだった。
そう言えば、さっきあいつは、ヤバイ爺さんが乗り込んで来た、と言って血相を変えていた。
あれはサナトスのことだったのか。
サナトスは真っ赤な顔で、のっしのっしと部屋の中に入って来ると、何も言わず部屋中を隈なく歩き回り、人が隠れられそうな場所をしらみ潰しに探し始めた。
俺とエミリーが呆気に取られていると、その次にはアンナまでもが飛び込んで来た。
「姫様! ああ、ご無事で! 良かった……。本当に……」
俺とエミリーの姿を見つけると、アンナは駆け寄ってジョセフィーヌの前で泣き崩れてしまう。
「アンナも無事で良かったわ。……ここには二人だけで?」
「ふんっ。人手が揃うのを待っていては手遅れになると、そいつに泣き付かれてな。老体に鞭打って飛んで来たというわけじゃ」
涙を拭うのに忙しいアンナに代わってサナトスが答える。
「この場所のことはどうやって?」
あの隻眼の男とその一味がすぐに足がつくような場所に潜伏していたとは思えない。
助けが来たのはありがたいが、そもそも王宮側からの救援はあてにしていなかったので、二人がここにやって来たのは全くの予想外だった。
その疑問には、ようやく涙を拭き終わったアンナが答えた。
「医者を問い詰めて聞き出したのです」
「医者?」
「問い詰める、とは何とも穏やかな表現じゃのう」
サナトスはアンナを見やりながら、歯を剥いてムシシと笑った。
「あれは王宮の襲撃が始まる前のことです。離れの一階から高価な品を持ち出そうとしているのを私が見咎めまして、それを問いただしていたところに賊が侵入してきたのです」
医者の行動と襲撃との繋がりを直感したアンナは、機転を利かせて医者を離れの部屋の中に閉じ込めることに成功した。
襲撃犯が退いて、ジョセフィーヌが攫われたのを知った後で、サナトスにその事を告げ、中の医者を捕らえて一味の隠れ家を聞き出した、というのが二人の話すここに至るまでのあらすじだった。
その話の中で、王宮で死んだ襲撃犯四人のうち、残り二人はサナトスの手に因るものだということも分かった。
つい先ほど、ここまでの道すがらさらに一人を斬ったことも付け加えて。
「呪術を使う老人には出会いませんでしたか?」
「おったよ? 若い奴は皆酔い潰れたみたいに倒れ込んどったが、なぁに、ワシにかかればあのくらいの悪酔いは日常茶飯事よ」
自分の身の丈ほどもある大剣を悠々と担ぎながら豪快に笑う老人を見て、ヤバイ爺さんと表現した隻眼の男の心情が推し量れる気がした。
「それより、そろそろここの有り様を説明してくれんか?」
「ええっと……。恐らくなかなか信じていただけないとは思うのですが……」
今度はこちら側の事情を説明する番だった。
俺に目配せしながらエミリーが話し始めた『謎の剣士』の話は、サナトスやアンナに驚きを持って受け止められた。
客観的に考えて信じがたい内容ではあったが、すっかりいつもの調子を取り戻したエミリーの語り口はなかなかに説得力がある。
これは下手に俺が口を出すよりも良いだろうと思って任せていると、ここに現れた謎の男はいつの間にか、人ならざる流麗な動きで次々と悪漢をなぎ倒し、しかも謙虚で誠実、眉目秀麗で非の打ち所のない好青年だったという人物像で賛美されていた。
その話を聞いたサナトスは、名前も告げず風のように去っていった凄腕の剣士と立ち合ってみたかったと盛んに悔しがった。
その男が打ち負かした隻眼の男とは、サナトスも王宮で剣を交えており、その並々ならぬ実力を知っていたからだ。
「しかし、エミリー様が殿方の容姿をお褒めになるとは、珍しいこともありますね」
「え!? ええ。と、当然ですわ。真に美しいものには性別など関係ありませんもの」
おそらくジョセフィーヌのことが大好きなエミリーだからこそ、ジョセフィーヌが男性化した姿だと思っているユリウスのことを褒めそやすのだろう。
……とは思うのだが、俺はそれらの自分に関する一連の───誇大に脚色された───評価を面映ゆい思いで聞いていた。




