40_捕らわれのジョセフィーヌ 4
「眩しい……。お姉さま! ご無事ですか?」
エミリーの声に驚いて顔を上げる。
俺の方はすでに視力が回復していたが、エミリーはまだ盛んに目を瞬かせていた。
「無事です。ジッとしていて。今、縄を……」
ジョセフィーヌの気持ちのままでそう返した声は、しかし、それは野太い男の───ユリウスの声だった。
それでどうにかなるわけでもないのに、思わず反射的に自分の口を手で押さえてしまう。
ハッと気付き、次に胸をまさぐる。
あの柔らかな膨らみがない。
そこにあるのは硬く厚い筋肉が付いた男の胸板だった。
どういうわけか上半身は裸だった。
急いで自分の両腕や両足を検めて確信する。
これは俺の身体だ。
元の、ユリウス・シザリオンの身体に戻っている!
「ど、どなたですか!? お姉さまは一体どこに!?」
元の身体に戻れた喜びに浸っている暇などなかった。
たった今、自分の身に起きた現象をどうやってエミリーに説明すれば良いのか。
いや、今の出来事に限った話ではない。
これまでに俺がずっと、エミリーたちをたばかってきたことを、全て説明して信じてもらわねばならないということか?
「しっ! 静かに。落ち着いて。私です。ジョセフィーヌ、では……、ないけれど、とにかく私なので落ち着いて」
とっさにエミリーの口を塞いで黙らせる。
「とにかく静かに。今、賊に来られては不味いから。分かった?」
エミリーがこくりと頷いたのを見て俺は手を離した。
さて、どうやって説明しようか。
俺はエミリーを椅子に縛りつける縄の結び目を探りながら必死で頭を働かせた。
「お、姉、さま……、なのですか?」
似ても似つかぬ男の俺に対して、随分と物分かりが良い。
エミリーが意味ありげな目線を向けるので、俺は自分の胸元にペンダントがぶら下がっていることに気が付いた。
これは……、確かエミリーが呪術に対抗するお守りだと言って俺に身に着けさせたものだ。
そう言えば、さっきベッドで寝たふりをしていたときに、あの老人が触って確かめていたのはこれだったのか。
縄や衣服は消えてユリウスのものと入れ替わっているのに、これだけジョセフィーヌが身に着けていたとおりに残っているというのはどういうわけだろう。
このペンダントが貴金属……だからか?
あの老精霊は俺に一体どんな魔法をかけたのだ?
今さらながらに思い出して、先ほどまで自分がいたベッドの方を振り向いたが、あの老精霊の姿はどこにも見えなくなっていた。
もっと話を聞きたかったが致し方ない。
ミスティのような精霊に愛された使い手ならばいざ知らず、俺のような普通の人間がどうにかできる存在ではない。
あの老精霊に限らず、精霊とは元々、意味もなく突然現れて突然消えるものなのだ。
「先ほどの精霊の力だと思います。とにかくここを脱出して安全な場所に」
「申し訳ありません。わたくし、先ほどから驚くことばかりで。これは夢? なのでしょうか? お姉さまが男の方のお姿に? も、元にお戻りになることは叶うのでしょうか?」
これが元に戻った姿なのだが、それを悠長に説明している暇はない。
先ほどまで俺が是が非でも守り抜くと闘志を燃やしていた姫君の身体は、この部屋の中から忽然と姿を消してしまったわけだが、ここにはまだエミリーがいる。
この子を何としても無事に家まで送り届けなければ。
他のことを考えるのはその後だ。
縄を切るための刃物の類を探して部屋の中を動き回るが、使えそうなものは何も見当たらなかった。
やはりあれを使うしかないか、とドアの横の壁に掲げてある松明の方に歩み寄る。
丁度そのときだ。
部屋に一つしかないドアが開かれた。
入ってきた男と鉢合わせになる。
あの隻眼の男ではない。
奴の部下の一人だろう。
「だっ……」
誰だ!? と叫ばれる前に、俺はその男の頭に回し蹴りを見舞っていた。
革のブーツの踵が男のこめかみに容赦なくめり込む。
だらしなく伸びた男の腰から剣を奪うと、急いでエミリーのもとに駆け戻った。
手に入れた剣の刃で縄を切る間にエミリーが恐る恐る声を掛けてきた。
「あの……、お身体が……、酷いお怪我を……」
自由になった手で俺の背中の方を指差す。
そういえば、痛みがある。
火傷をしたようなピリピリとした痛みがかなり広範囲に広がっている。
実を言うと右の太腿にも矢傷を受けたような鋭い痛みがあった。
腕にも各所に擦り傷や青あざが見えたが、それらは、まあ、大したことはないだろう。
「大丈夫。これくらい。……平気です」
別に強がりで言ったわけではない。
実際、ジョセフィーヌの身体でいたときに患っていた倦怠感などに比べたら、まるで問題にならない痛みだった。
思い通りに身体が動く今は、ここが捕らわれの敵地でさえなければ、飛び跳ねて喜びたいくらい清々しい気持ちで満ちていた。
エミリーの拘束を解き終わってすぐ、ドアから二人の男たちが姿を見せたときにも、もはや俺は何の恐れも抱かなかった。
「誰だ!? てめー、どっから入った?」
俺はエミリーを背にして無言で相手に剣を向ける。
「おい、二人でやるぞ」
長髪の男がドアの前で倒れている男の身体を跨いで部屋に踏み込んできた。
その後ろから口元を布で覆ったやや小柄な男が続く。
どちらの得物も俺が手にしているのと同じ標準的な直剣だ。
後ろにいる小柄な男が倒れている男の身体を跨ぎきる前に、俺は走り寄って、その手前の長髪の男に向かって突きを繰り出した。
後ろへ下がり二人で身体をもつれさせてくれれば御の字───。
だが流石に相手もそこまで間抜けではなかった。
身体を右に捌きながら、俺の突きを横にいなす。
体重を十分後ろに残していた俺は、すぐに剣を引いて、長髪の男が体勢を完全に戻す前に、次の一撃を見舞った。
真っ直ぐ縦に振り降ろされた俺の一撃を、相手は剣を横に寝かせて防ぐ。
がら空きになった相手の胴に足の裏を当てて蹴り飛ばすと、長髪の男は壁際まで吹っ飛んで倒れた。
一対一なら追い打ちを掛けて終わりにするところだが、左手から小柄な男が迫ってくる気配を感じ後方へと距離を取る。
その男が繰り出してきた横薙ぎの振りは、そのまま退いてかわしても良かったが、意外と目で追える速さだったので、上から剣を叩きつけるようにして当てた。
鉄と鉄がぶつかる重い音が響き、相手の手から剣がこぼれる。
すかさず身体を一回りさせて横に振るった俺の剣は、呆然と立ちすくむ男の頭を捉えてカチ割った。
脳漿か血か分からないものが暗い部屋の壁に飛び散る。
右手をチラリと見やると、長髪の男は起き上がったばかりで、まだ剣を構えてはいなかった。
いける。
俺は両手で剣の柄をしっかりと握り、身体全体でぶつかるようにして、相手の腹に深々と剣を突き刺した。
鉄の剣が肉を切り裂いてはらわたの中に分け入っていく暴力的な感触を掌に感じながら、俺はこの感触を既に知っている自分に驚いていた。
稽古に明け暮れるばかりで実戦を知らない、未熟な領主の息子としての記憶だけではない。
この身体はその先の、命のやり取りを知っているのだった。




