34_襲撃の夜 1
俺の体調は一時も良くなることはなく、悪化するばかりだった。
エミリーには家に帰るように勧めたのだが、彼女は俺の体調悪化の責任を感じていることもあって頑なにそれを拒んだ。
彼女やアンナが気に病むことのないように、一日も早く体調を戻さなければと気持ちは急くのだが、気持ちだけではどうにもならない。
廊下の方から二人の立ち話が聞こえる。
「ああアンナ。わたくしもう耐えられません」
「エミリー様……」
「お休みになる度、もう次にお目をお開けになることがないのではと、良くない妄想が……」
「妄想でございます。まだ、お話しがお出来になるだけ、随分状態はよろしい方ですよ」
「でも、先ほどなどは、お食べになった物をほとんど戻しておられました」
「無理矢理にでもお召し上がりになっているからこそです。前回はもう戻す物もない状態で衰弱なさっていましたから。姫様も頑張っておいでです。どうかエミリー様も気を確かに持って姫様のことをお支えください」
「ああ、お姉さま……。こんなにも大変なご病状だったとは。聞くのと見るのとでは大違いです」
「周期がございます。おそらく今日で月の物が終わります。それが過ぎればきっと……」
月の物か……。最初にあの大量の下血を見たときにはギョッとして血の気が引いたものだが、その後、あれ自体は病気と関係なく女性には必ず訪れる生理現象なのだと知った。
いつもジョセフィーヌのことを見ているアンナが、今日がピークだと言うのであれば間違いないだろう。今回も乗り切れる。もう一息だ。
俺はベッドの中で、絶対に死んでなるものかと、気持ちを奮い立たせた。
*
その日の夜、遠くで叫ぶ誰かの声で目を覚ました。
男の声だった。
不穏な空気を感じて眠気が飛び、頭がさえる。
耳を澄ましていると、部屋の前をいくつもの足音が慌ただしく通り過ぎていった。
「あっちだ! 動けるものは全部あっちに回せ!」
王女の寝室の真ん前でがなる大声によって、明らかに何か緊急事態が起きていることを確信する。
扉が開いてエミリーが駆け込んできた。
「お姉さま! ああ、良かった。お目覚めで」
「何があったの?」
「賊です。王宮に賊が! 起きられますか?」
「…………」
賊の襲撃と聞いたのに、驚いてみせるだけの余裕もなかった。
それにそれは、俺が早くから危惧していた事態でもあった。
やはり来たか、という覚悟の据わった思いでそれを聞いた。
この病気が、王女ジョセフィーヌの生命を脅かすための呪いのような魔法の類であると仮定すると、そう仕向けた相手がいずれより直接的な実力行使に出ることも、十分にあり得ることだろうと考えていたのだ。
この方法では姫の命を絶てないと、痺れを切らして。
「っ……!」
「お姉さま!? 大丈夫ですか?」
上体を起こした瞬間、酷い頭痛に見舞われる。
気持ちはともかく、身体の方の準備はまるでできていなかった。
それでも泣き言を言っている場合ではない。
「賊は、どれくらいの規模なのですか?」
「分かりませんがこちらが押されているようです。一刻の猶予もありません」
エミリーが俺に靴を履かせている間に考えを巡らせる。
寝室の前に見張りを二人常駐させるように頼み、忍び込んで暗殺を企てるような者には一応対策していたが、まさか王宮に堂々と押し入ってくるとは。
やはり国王夫妻の留守で警護が手薄なときを狙ってか。
時期を合わせるようにジョセフィーヌの体調が急変したのは、逃げる足を止めようと?
……落ち着け。
全部俺の憶測だ。
まだ、侵入者の狙いがジョセフィーヌの命だと決まったわけでもない。
エミリーの手を借りて何とかベッドから立ち上がったが、眩暈が酷く、まともに立っていられない。
とにかく早くここから出て、どこかに身を隠さなければ。
気持ちは急くが身体に力が入らない。
ベッドから部屋の出口まで、普通に歩けば七、八歩ほどの距離だが、エミリーに寄りかかりながらでは、そこにたどり着くだけのことに気が遠くなる程の時間を要した。
「様子を見て参ります。ここでお待ちください」
エミリーがドアから廊下を覗き、少し耳を澄ますようにしてから出て行った。
一人残された俺は壁に身体をもたれ掛けさせて待つが、すぐにずり落ちて床に座り込んでしまう。
情けない。しっかりしろ。今が大義を為す時だ。
守るのは俺の命ではない。
一国の王女の、引いてはこの国の将来が懸っているのだ。
エミリーの戻りを待つ間に、悪い考えが次々に浮かんできた。
最悪の想定だ。狙いがジョセフィーヌの命だったとした場合、これまで証拠の残らない間接的な方法を取っていた者たちが、急に強硬手段に切り替えたのは何故だろうか。
ジョセフィーヌの病状を詳細に把握していなければ、そんな大胆な判断は下せないだろう。
王宮の警備が手薄なことも、寝室の前に見張りが常駐していることも敵に知られていた。
……ああ、駄目だ。
内通者の存在を考えたとき、とっさによく見知った二人の顔を思い浮かべてしまった。
そんなわけがないではないか……。
そう言えば護身用の細剣はどこだろうか。
こんな時のために傍に置いていたはずなのに。
なんとか首をもたげて部屋の中を観察する。
そこへ扉が勢いよく開きエミリーが飛び込んできた。
息を荒くし、明らかに焦っていた。
もう一分一秒の猶予もないといった様子で俺の側に駆け寄る。
「お姉さま。失礼します」
エミリーはそう言って俺を、いや、ジョセフィーヌの身体を、両手で抱えて持ち上げた。
いくら痩せた女性の身体とは言え、エミリーの細い腕や脚で容易に持ち上がるような重さではない。
よくぞ持ち上げたと言うべきだが、案の定、その状態からでは一歩たりとも動けそうになかった。
これならまだ俺が床を這い進んだ方が早いだろう。
それとも誰か男手を呼んでくるか。
いや、せめて抱えるのではなく背負うべきだ。
一瞬の間に様々な言葉が浮かんだが、何一つ口に出すことはできなかった。
エミリーが俺を持ち上げたまま前方に重心を倒し、つんのめるように勢いを付けて部屋の奥に向かって歩き始める。
そのまま倒れ込むようにして俺の身体を前方へと投げ出す。
目まぐるしく移り行く視界。
抵抗するすべもなく放り出される身体。
束の間の浮遊感の後、ジョセフィーヌの小さな身体は、部屋の隅に置かれた大きな衣装箱の中にすっぽりと収まってしまっていた。
中に敷き詰められた柔らかな衣類によって受け止められたため、衝撃はさほどでもない。
だが、くの字に曲がった身体が衣類の中に沈み込みんでしまい、身体を起き上がらせることができなかった。
俺がわけも分からずもがいていると、天井を仰ぐ視界の中にエミリーの顔が現れた。
「お静かに。ここにお隠れください。絶対に見つかってはなりませんよ?」
思い詰めたような硬い表情をしていたエミリーの顔が不意に緩み、そして衣装箱の蓋が閉められた。
視界が暗闇に染まる。
いや、暗闇の中に細長い光の筋が見えた。
俺は懸命に首をねじり、その細い隙間から部屋の様子を覗き見る。
それはもう、すがるような思いで。
衣装箱が閉じられる直前、エミリーが最後に見せた微笑みが、俺に不吉を予感させたからだった。
細長い僅かな視野の中で、エミリーがジョセフィーヌのベッドに潜り込むのが見えた。
それと、部屋のドアが乱暴に開け放たれるのはほぼ同時だった。
一人の男がドカドカと足音を鳴らし、ベッドの前で歩みを止める。
無言でシーツを取り払い、そして、ドアの方を振り返った。
「こいつで間違いないかぁ?」
「知るかよ。だが部屋はここで合ってるはずだ」
「おい! お前がジョセフィーヌだな?」
返事はないが、エミリーの嗚咽するような息遣いが聞こえてくる。
角度のせいでベッドの上の様子までは見えないが、おそらく怯えた表情で暴漢を見上げているに違いない。
「チッ……。まあいい。こいつだろう。上等な服を着てやがる」
「おい、ここで殺るのか? 捕らえろって言ってたろ。マーカスが」
「身代金貰おうってんじゃねーんだ。あいつの七面倒臭いやり方に付き合ってられるかよ」
男が剣を振りかぶるのが見えた瞬間、俺は思わず衣装箱の中から叫んでいた。
「待てっ!!」
俺が身体を思い切り横に振って暴れると衣装箱が横転し、そこから衣類とともに外へと転げ出る。
見上げると、男が剣を振りかぶったまま、こちらを振り向く姿が見えた。
……これは絶対に間違った行動だ。
今の俺は辺境領主の息子ユリウスではない。
一国の王女、それも次期女王となる定めの女性、ジョセフィーヌなのだ。
何よりも自分を、この身の安全を、最優先に守り抜く責務がある。
それにこれは、ジョセフィーヌの身代わりになろうとしたエミリーの途方もない勇気と献身を台無しにする行為でもあった。それでも……。
「非道を……見過ごすは、我が大義に非ず!」
両手両足の力を振り絞ってゆっくりと立ち上がる。
視線をベッドの前の男に合わせたまま左手を机の上に伸ばし、俺は煌びやかに装飾された細剣の鞘を握って引き寄せた。




