31_王のいない王宮 1
過去には女性の王を拝した国の例もないではない。
だが、ミザリスト王国においては先例がないし、今の近隣諸国を見渡しても女王誕生というのは久方ぶりの大変珍しい事例ということだった。
政治に関心のなかった俺は、女が王になり得るという発想を持ち合わせていなかったので、ジョセフィーヌが王位継承権を持つという話がなかなか理解できなかった。
女に王位を継承させることには王の周囲も当然良い顔をしなかった。
にも関わらずブレーズがジョセフィーヌを次の国王に推したのは、愛妻ブリジットが第一子以降、子供を授からなかったことが最大にして唯一の理由だった。
ブレーズはとにかく自分とブリジットの血を引いた子が王権を継ぐことを望んだ。
自分たちの愛の証を後世に残し永久のものとすることが、夫妻にとっての大義だったのだろう。
それだけを聞くと、現国王のブレーズは相当ブリジットに入れ込んでいて、他の妃や妾などは持たなかったのだろうと思うのだが、実際にはもう一人、ブレーズ王にはテレーズという第二妃がいた。
血統はブリジットに遠く及ばず、後ろ盾もほぼないに等しいテレーズだったが、ジョセフィーヌに第一位の王位継承権が与えられた翌年、彼女が男子を出産したことで雲行きが変わった。
国王にはやはり男子を、と願う者たちがテレーズ側に集まり始めたのだ。
ジョセフィーヌにとっては腹違いの弟であるテオドールという八歳差の男子が現在第二位の継承権を持つ競争相手なのである。
現国王が推すとは言え、前例のない女王誕生までの道はなかなか険しい。
この国において王位継承権の順位は原則として現国王が決めることとなっているのだが、最終決定には諸侯が祝福を以って合意するという形を取っている。
国の成り立ちの当初、国を束ねる王の力がそれほど強くなかった時代の名残りであり、今はほとんど形だけのものではあるのだが、それでもあまりに信を得ていない者が王位に就こうという場合には、諸侯が揃って王に再考を促すことができる。
だから、実際に譲位がなされるそのときまで、現在の継承順位はある意味暫定的なものに過ぎないわけだ。
ジョセフィーヌにとって今は、テオドールが表舞台に出て来る前に、こちらの才覚を見せて人脈の地盤を固め、できるだけリードを広げておきたい、そういう時期だった。
本来なら、間違っても記憶をなくしたりしている場合ではないのだ。
俺は自分の身に起きた謎の現象の正体を突き止め元の身体に戻る、というミッション以外に、ジョセフィーヌが次期王位に就くために相応しい振る舞いを見せ、本物のジョセフィーヌにバトンをしっかり繋ぐというミッションも担わされているのだった。
まったく、片田舎で剣を振ることしか知らなかった男には荷が重い仕事だ。
*
ブレーズとブリジットが多くの供を連れてスカージに向けて出立するのを見送った日の午後、エミリーが馬車いっぱいの荷物と共にやってきた。
ブリジットの計らいにより自分が不在にする間のお目付け役として、彼女が王宮に泊まり込むことになっていたのだ。
俺が言うのも何だが、エミリーのお目付け役としての適性は甚だ疑問だった。
俺の本音を言えば、日中は剣の稽古や勉強などに当てたかったのだが、王宮での外泊というイベントが嬉しかったのか、エミリーは着いて早々はしゃいだ様子でジョセフィーヌを王宮内のあちこちに連れまわした。
王宮内は王の警護や世話役の使用人がかなりの数出払ってしまったこともあり、全体的にガランとした印象があった。
普段なら立ち入れないような場所も比較的自由に歩き回れるので、広い王宮をエミリーと一緒に転々して見て回るだけで時間が過ぎていった。
謁見の間の圧巻の広さと清潔さに打ちのめされた後、兵士たちが利用する食堂の素朴で乱雑な感じに気を休める。
日が暮れる頃には、まあ自分が居る場所の地形を把握することも重要なことだよな、と遊び回った一日を正当化する理由を自分に言い聞かせていた。
*
夕食の後、離れの一室で寛いでいると、エミリーが今日はここで寝ましょう、と言い出した。
確かに二人が寝転んで十分余るくらいの大きさのベッドがあるにはあるが、子供同士ならいざ知らず、うら若き女性と一つのベッドで寝るというのはいかがなものか。
「お姉さま。最近貴族の年頃の女性の間では、枕を並べて眠ることで互いの親愛を深めるというまじないが流行っておりますのよ?」
何というはしたない遊びなのだ。
やはり王都という平和に浸りきった場所だからか。暇を持て余した貴族というのはろくなことを考えない。
「それぐらい心を許しあった仲という証なのでございます。わたくしとお姉さまほどの間柄でそれがまだというのが、わたくし密かに気後れに感じておりましたの。皆様がなされていることです」
エミリーの胸元から覗く白く透き通るような肌をチラリと目にしながら、万が一にでも間違いが起きたらどうするのか、という言葉が出掛かったが、万が一など起こるはずもない自分の身体を思い出す。
「なりません。姫様のお休み中に何かあっても、このお部屋では私のお世話が行き届きませんから」
傍にいたアンナがそう言って諫めてくれた。
親友としての間柄を盾にされてはなかなか断りづらい流れだったので、アンナが止めてくれるのなら助かる。
「あら。でしたらアンナさんもご一緒なさいます?」
「えっ!? ……わ、私も……ですか? ……いえ、流石に三人だと狭いのでは?」
意外な成り行きに慌てふためくアンナに対し、エミリーは無言で部屋の隅にあるソファーを指さした。
「あっ……、ああ、そうで、ございますね……」
何をそんなに動揺する必要があるのかと思うほど顔を真っ赤にしたアンナは、必要なものを取って参ります、と言って逃げるように部屋を出ていった。
そうして俺の意向を問うことなく、いつの間にか今晩はこの部屋に三人で泊まる流れになってしまっている。
アンナが部屋を出て行ってすぐ、エミリーは持ち込んであった自分の荷物の中から籐で編んだ小洒落たカゴを取り出して見せた。
「お姉さま、今のうちです」
俺は何が今のうちなのかとカゴの中を覗き込む。
その中には以前エミリーが持ってきた不思議な食べ物の容器が二つ並んでいた。
「アンナが戻らないうちにいただいてしまいましょう」
エミリーがその内の一つとスプーンを手渡してくる。
「三つは用意できなかったの? 何ならアンナと私で分けても構いませんよ?」
前回、アンナも食べたそうにしていたのを憶えていたので、何だか仲間外れにしているようで気が引ける。
「そうではございません。アンナが知ったらまた止められてしまいますので。下々の食べ物を姫様のお口に入れるだなんて!? って」
うーん。確かにそうか。
若干の後ろめたさはあるが、今は未知の食べ物に対する興味の方が勝った。
アンナは何をするにも恐ろしく仕事が早い。神出鬼没で、いつも気が付けば後ろに控えていたりする。こうしている今も、いつ戻ってくるか分かったものではない。
エミリーに急かされ、俺は子供の頃、大人の目を盗んでつまみ食いをしたときのような懐かしい感覚を思い出していた。
器の中から柔らかなその一匙をすくい上げ口に運ぶ。
「!? ……これは……」
「いかがです?」
エミリーがしてやったりというような自慢げな顔で感想を求めてきた。
「……甘い」
舌の上で溶けるような滑らかな口触りに驚くほどの甘さ。
砦村でも祭りの日には甘みの強い焼き菓子にありつけたものだが、食感といい甘さといい、これはそんなものの比ではない。王都にはこんな美味いものがあったのか。
「わたくしがお姉さまに食べていただきたいと思ったのもお分かりいただけるでしょう?」
「ええ、ええ。これは美味い。いや、えっと……、甘い。こんな美味しい物、初めていただきました」
二口、三口、四口、とスプーンがひょいひょいと器と口の間を往復する。
俺は小さな器の中身をあっという間に平らげてしまった。
なおもスプーンで容器の中をさらい、何とかもう一口を口に入れようと格闘する。
その様子を見てエミリーがくすくすと笑った。
「まあ、お姉さま。あまりそのようになされると、はしたなく見えてしまいますわ」
「す、すみません。あまりにも美味しかったので、つい……」
「模倣したものも出回っていますが、味や品質はやはりここのお店のものが一番ですの。お教えしますので、今度一緒にその店に参りましょう?」
「ええ、そうね。是非お願いしたいわ」
俺は一も二もなくそう返した。
早くアークレギスに戻りたい、元の身体に戻りたいという気持ちは変わらないが、仮にその見通しが立ったとしても、そうするのはこの菓子をもう一度食してからでも構わないのではないか。
俺自身にそんな思いを抱かせるほど、それは甘く魅惑的な体験だった。




