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30_ジョセフィーヌの秘め事 3


 次の日、王宮の庭の一画でサナトスの姿を見かけた。

 昼食の時間を過ぎてすぐの、まだ陽も高い昼の最中だというのに、サナトスは酒瓶を直接口に付けてあおり、完全にできあがった状態だった。

 とてもあの朝、槍を振って頑健に息まいていた人物と同じには見えない。

 会ったのはたまたまだが、丁度良い相手だと思い話し掛けてみる。



「ブリジットではありません。わたくしはジョセフィーヌです」

「ああ、そうじゃったそうじゃったあ。どうりでぇ若いと思ったー。よぅっく、憶えとるよぉ。お転婆の姫さんじゃあ」


 不審がられないように切り出し方をいろいろ考えていたのだが、この調子なら別に構うまい。

 単刀直入に聞くことにしよう。


「サナトス様はお若いころ各地を転々とされたと聞いております。アークレギスに行ったことはございませんか?」


 サナトスは口の中で何やらむにゃむにゃと呟き、(うつむ)いて少し考え込むようにした。


「西の、シュトルム連峰の近くです」


 やはりアークレギスは実在しないのか?

 一瞬そんな不安が過り、俺は慌てて言葉を継ぎ足す。


「あったかのぅ……。あんなとこ、行ってもなんもないぞー?」


 おそらくサナトスの全盛期とアークレギスが主戦場になった時期がズレているのだろう。

 剣術や兵法の話だけでなく、父上やドルガスからもっと地理や歴史を学んでおけばよかった。

 しかし、サナトス自身が行ったことはなくとも、あんなところ、と言うからにはアークレギス自体は存在しているわけだ。それだけ分かれば十分だった。


「田舎じゃ田舎ー。ド田舎じゃー」


 た、たとえどんなに田舎であっても、国土を守る重要な要衝。

 誰かに認めて欲しいからではなく、俺や父上は己自身に命じ、誇りを懸けてあの地を守護しているのだ。

 俺は酔っ払いの老人を一人残して、さっさとその場を後にした。


  *


 ジョセフィーヌ・カルドエメフ

 ジョセフィーヌ・カルドエメフ

 ジョセフィーヌ・カルドエメフ


 俺はジョセフィーヌ自筆のサインを見つけ、それを手本に自室で筆跡を真似る練習をしていた。

 するとそこへ王妃のブリジットが現れ部屋のドアを叩いた。

 俺は机の上にあった紙をサッと隠し、顔を上げ、座ったままで彼女を迎える。


「昼間から机に向かって感心ね、ジョゼ」

「はい。お母様……」


 娘が何をしていたかは重要ではないのだろう。

 王妃はいつものように、取りあえず娘のしていることを褒めておだてた。

 ブリジットの子育ては基本的には放任主義だった。

 夜の食事の後などには、彼女からカルドエメフ家に伝わる紋様を施す編み物のやり方を教わったりして過ごすこともあるが、昼の時間にジョセフィーヌのところへ訪ねて来るのは珍しい。


「実は、明後日からお父様と一緒にスカージまで行かなければならなくなったの」


 スカージというのはミザリストの東隣にある友好国だ。


「それは……、急ですね」

「そうなの。書簡のやり取りが上手くいかなかったようで、さっき正式な日程が分かったところなの。それで皆慌ただしくしていて……」


「まあ……。何か、わたくしでお手伝いできますか?」

「……いえいえ、そういうことではないの。実は貴女のことで……」


「はい」

「私は貴女も一緒にと思ったのだけれど、スカージまでは遠いでしょう? お父様やお医者の先生はまだ無理だと言って反対なさるの」


 俺の当面の目標は直接アークレギスまで行って父上やミスティに会うことだ。

 いずれその許可をもらうためにも遠出をした実績を作れるのはありがたいが、しかし……。


「旅行は何日間ぐらいの日程なのですか?」


「あちらに着いてから決まることもあるので正確には分からないけど、最低でも半月は帰って来られないと思うわ」

「半月……」


 尋ねる前から大体予想はついていたが、それだけの日数であれば確実だ。間違いなくジョセフィーヌの体調が崩れる次の周期と被ってしまう。

 最近はすこぶる調子が良いが、前回も丸々三日はベッドの上から動けなかったことを思うと旅先でそのような状態になるのはやはり不安だ。

 世話をする人間にも迷惑がかかってしまうだろう。


「お母様。申し訳ありませんが、今回はお父様とお医者様の言うとおり、こちらで留守番をさせていただきます」

「そう……、仕方ありませんね。私としては貴女が()せっているときに傍に付いていてあげられないことが心配なのだけれど……」


「大丈夫です。症状は段々と良くなっておりますし、大事とはなりません。安心してご旅行なさってください」

「まあ、頼もしい。貴女は、頑張り過ぎてあまり羽目を外さないようにお願いね」


 そう言って部屋を去ろうとしたブリジットだったが、ドアノブに手を掛けたところで思い出したように振り向き、床から紙を拾い上げて机の上に広げた。


「貴女に自覚が出てきたのはとても嬉しいわ。戻ってきたら貴女の新しい家庭教師を探しましょうね」


 机の上に広げられた紙には、ジョセフィーヌ・カルドエメフというサインがびっしりと書かれていた。

 上手く隠せたつもりでいたが机の下に落ちてしまっていたらしい。


 ブリジットはペン立てに手を伸ばし、立ったままで余白にペンを走らせた。


 ジョセフィーヌ・ミザリスト・カルドエメフ


「貴女が公式にサインするときには、このように書くことになるのですよ?」


 この国の習いで、位のある者が名前を公称するときには、名と家姓の間に領有する土地の名を記すというものがある。

 例えば父上の場合なら『ヴィクトル・アークレギス・シザリオン』となる。


 ブリジットが書いてみせたのは、ミザリスト王国の次期女王の名であった。


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