25_馬車の中での反省会
「ほんっとーにっ、心臓が止まるかと思いましたわ」
馬車が走り出すなり、エミリーから大声でどやしつけられた。
それだけのことをしたという自覚があるのでお叱りは甘んじて受けるしかない。
俺は黙って頭を垂れた。
「もうっ。ずるいです。そんなふうにされては、わたくし、文句を言えなくなってしまいます」
「ごめんなさい。反省しています」
「反省する心積もりがおありでしたら、次からは是非、実行なされる前にそうしていただきたいものです」
俺もそう思う。今にして思えば本当にどうかしていた。
ただ、あのときは泣き出したエミリーを見て、どうしても黙っていられなくなったのだ。
「それにしても、あのローラン様と立ち合いをされてよくご無事で済みましたね。それだけは本当に良かったと思います」
「あの方も直前になって、女性を打ちのめすことに気が引けたのだと思いますよ? わざと負けていただいたのです」
「あの女嫌いの乱暴者がですか? ありえません。仮にそうだとしても……、そうですわ! ローラン様のあのお腹のお怪我。あれがお姉さまのなされたことだとは、今でも信じられません」
不味いな。エミリーはかなり疑問を持ってしまったようだ。
今日あの場にいた他の者は知らないことだが、エミリーだけは俺が十五年間の記憶を失っていて、かつ、大病から回復したばかりだということを知っている。
病み上がりの、そして記憶も持たない女性が、男性を剣で負かしたことに、何かもっともらしい理由を見付けなければ。
「偶然が重なったのです。女の力でも、剣を綺麗に回転させれば先端の方はとても勢いがつきますから」
「……何やらお詳しいですわね?」
エミリーは真面目な顔で俺の瞳を覗き込んできた。
ローランの大きく裂けた服や、腹の赤く腫れた痕という強い印象を打ち消すために、それが物理的に十分あり得ることなのだと説明したつもりだったが、逆効果だったようだ。
「立ち合いの前になされていた素振りも、素人のわたくしの目にもとても美しく見えました。一体、いつの間に剣の鍛錬などなされたのでしょうか?」
「体力を付けるのに、丁度良いかと思いまして……」
我ながら苦しい言い訳だ。
男ならともかく、女が体力作りのために剣を振るなど聞いたこともない。
「もしかして、セドリック様がおっしゃっていたように、サナトス様からご教示を?」
「え? ええ、そう。そうなの。こっそりとね」
「よりにもよってあの御方に? わたくしも、一応お噂は存じ上げておりますが、お屋敷でお見掛けする限り、いつも飲んだくれておいでのようですよ? お姉さまがお近づきになって問題のない御方なのでしょうか? わたくし、心配になってしまいます」
自分の顔が引きつるのを感じた。
何も知らないのに安易に話に乗っかるのは不味いな。
サナトスが飲んだくれだとは思わなかった。
俺を見つめるエミリーは渋い表情をしているが、幸いこれは疑っているというよりも、そのサナトスという男への嫌悪感のように見える。
「それより……、あの、セドリック様について教えていただけますか? 私のことをご存じのようでしたので」
これ以上サナトスという男の話が続かないように別の話題を振った。
「あ、そうでした。それについては本当に申し訳ございません」
「?……何故、エミリーが謝るのですか?」
「アカデミアの中でお会いになることも十分考えられましたのに、わたくし事前のご説明を怠っておりました」
「はぁ……」
「あの御方は、お姉さまの元婚約者なのです」
「はぁ……。えっ!? 婚約?」
思わずジョセフィーヌとしての演技を忘れて素の驚きの声が出てしまう。
「元、でございます。今は違いますよ? ご幼少の頃、そういう話があったのですが、国王様がお姉さまを次のお世継ぎにというお考えを示されたことから、いつの間にやら立ち消えになったと伺っております」
「そう、なの……」
貴族の子女にとって、幼少の頃から家の事情で嫁ぎ先が決まっている、というのはさほど珍しいことではない。
ただ、知識として知ってはいても、砦村の片田舎の風習が染み付いた俺には、親同士が決める婚約という話には新鮮な驚きがあった。
年頃の女性がその話を聞いて、どういった反応をすれば良いのかも分からない。
「お互い、どれくらい相手のことを知っていたのかしら?」
「そうですねぇ……。ご婚約といっても、ほんのご幼少の時分のことですから……。特に交流はなかったと思います。少なくとも以前のお姉さまの口からセドリック様のお名前が出たことはないと記憶しています」
それなら以前の記憶がないことについてバレる心配もないか……。
「まあ、お姉さまの人生にはもう一ミリだって関係のない人なのですけどっ、一応世間的にはそういう見方をされてしまいますので。くれぐれも今日のような、少しでも気があるように見える素振りはお控えくださいね」
エミリーの言葉が妙にトゲトゲしくなった。
「え? 気のある……素振りに見えましたか?」
「見えましたとも。周りの女性陣のやっかみの声が聞こえておりませんでしたか?」
「あっ……、あぁ……」
思い当たる節はある。
男の俺が、男に色目を使ったと糾弾され、女性からやっかみの対象にされるとは。何の冗談なのだろう。
だが、俺以外の人間から見れば、セドリックとジョセフィーヌは間違いなく男と女でしかないのだ。しかも、元婚約者同士であり、片方は王位継承権を持つ国王の一人娘。
確かに変な勘繰りを受けないよう、接する際の言動には十分気を付けなければ。
この身体を持ち主のジョセフィーヌ様にお返ししたときに、色恋の話が変にこじれていては申し訳が立たない。
「えっと、他には? 気を付けなければならないところはない? あ……、オリアンヌさんのこととか」
ジョセフィーヌのことを知っていそうだ、という点で言えば彼女の方が要注意だった。
「はい。お分かりかと思いますが、オリアンヌ様はあのアカデミアの創設者であるオースグリッド卿の年の離れた妹君で、平時におけるアカデミアに関する一切の管理を任されておいでです」
「現場の責任者ということですか?」
「はい。普段は他の方と同じように講義を受けておられますが、アカデミアで何かいざこざが起きた際にはあの方が調停に入って処理をいたします」
「私のことをよく知っているような印象を持ったのだけれど?」
「はて? 個人的なお付き合いは存じ上げませんが。人脈の広い方ですので、おそらく主だった貴族全員の顔と名前は頭に入っているのでしょう。わたくしのこともご存じのようでしたし」
そうだった。エミリーと一緒にいたので俺が誰なのか気が付いた、というようなことを言っていた。
「ご交友の件はさておき要注意人物であることは間違いございません。ご身分的にはお姉さまの方が断然上でございますけど、アカデミアの中のことにおかれましてはご用心くださいませ。彼女の不興を買ったせいで、良からぬ噂を立てられ、表の場に顔を出せなくなった方のお話もしばしば耳にいたしますので」




