18_アカデミア 3
お目当ての男性の姿が見えなくなった女性たちは、しばらくすると暇を持て余し、そこらに置きっ放しになっていた木剣を持ち出して稽古の真似事に興じ始めた。
楽しそうな笑い声が耳に心地よい。実にのどかな風景だった。
王宮の屋根の下では味わうことのできない暖かな陽射しを全身に浴び、ぼんやりと座っていると、エミリーがとことこと走っていき、一本の木剣を抱えて戻ってきた。
「お姉さま。わたくしたちも少しやってみませんか?」
ここが砦村であれば、真似事であろうとも、女性の身の自分が剣を持つなどできないと言って断っていただろう。
だが、和気あいあいとしたこの場の雰囲気なら許されるかと思い、その誘いに乗ることにした。
本音を言えば、先ほどから身体がうずうずしていたのだ。
あの細身の男の剣筋を見たからというのもあるが、自分がもう何カ月も剣を握っていないことを思い出す。
ベンチから立ち上がってエミリーから木剣を受け取ろうと手を伸ばしたとき、少し離れた場所から、不機嫌そうに怒鳴る男の声がした。
穏やかな昼下りの空気をぶち壊しにするその怒声に俺は眉をひそめる。
騒ぎの方に目を向けると、口周りにもじゃもじゃの髭を蓄えた男が、女性たちの手から木剣を乱暴に取り上げている様子が見えた。
その男は取り上げた先から木剣を脇の方へと投げ捨てていた。
どうやら、彼の私物を勝手に使われて腹を立てた、というわけでもないらしい。
男は女性たちの間を渡り歩くようにして次々と木剣を取り上げながら、あれよあれよと言う間に俺たちの目前まで迫って来た。
「あん? 見ねえ顔だな。また、女が増えたのか?」
男が俺とエミリーの顔を交互に見やる。
「お見逃しください。ローラン様。この方は……」
エミリーの方はこのローランという男のことを知っているようだった。
態度の大きさや他の女性たちの怖がり方などから考えて、アカデミアの中で幅を利かせている男なのだろう。
「見逃せねーよ! いるだけで目障りなのに。男の真似事までしやがって!」
およそ目の前にいる女性に向かって話しているとは思えない馬鹿デカイ声だった。
ローランのその恫喝に、エミリーは身を縮めて震え上がる。
「このアカデミアは元々剣術指南の場として創設されたんだ。今ある学術講義は、後からできたオマケだってことを分かってねー奴が多過ぎる。男のための場所に女が入ってくることが、そもそも気に食わねーんだよ!」
すでにこれだけ女性がいる中で、そんな不満をエミリーにぶつけても仕方がないと思うが。
どうやらこれは、ただの鬱憤晴らしに使われているな。
あるいは、周囲にいる女性全員に聞かせるつもりで言っているのか……。
「決めたぜ。俺から伯父上に言って、このアカデミアを本来の形に戻してもらう。お前ら女どもを全員ここから追い出してやるぜ!」
遠巻きに見ていた女性たちがそれを聞いて不満げな声を上げたが、ローランが睨むと皆すぐに顔を背けてしまった。
ローランがエミリーを避けて俺の方へと歩み寄る素振りを見せた。
片手を前に出していたので、恐らく俺の手にある木剣を取り上げようとしたのだと思うが、うつむいていたエミリーにはそれが分からなかったのかも知れない。
ジョセフィーヌに危害が及ぶとでも思ったのか、エミリーはとっさにローランの進路を塞ぎ、震える声を絞り出した。
「お、恐れながら……!」
「あ? 何だよ?」
「あ、あの……。アカデミアは自由な学びの場を志した物であるとも伺っております」
「それが何だよ?」
「女性を遠ざけるのはその志に反するのではないでしょうか?」
「ああん!? 反してねーよ! 自由ってのは、俺たち男にとっての自由だ! 女は大人しく編み物でもしてろ!」
男のその物言いは、俺の感情にさざ波を立てた。
女は女らしく、昔から決められた役割だけをこなしていればいい……。
ミスティを傷付けた、かつての自分や砦村の大人たちの言葉がそれに重なる。
女性のすすり泣く声が聞こえてきて、一瞬、幼いミスティの姿が脳裡に浮かんだ。
だが今のこれは違う。これは……。
今、俺に背中を見せて立っているエミリーの泣き声だった。
可哀そうに。男の発する怒りを真正面から受けて怯えてしまったのだろう。
自ら前に進み出たとはいえ、その行動は彼女が強いからそうしたのではない。
ジョセフィーヌを守らねばという使命感がそうさせたものだ。
彼女のジョセフィーヌに対する健気な忠節に、大義に、報いたいと思った。
「ちっ。もういい。さっさとその木剣を寄こせ」
顔に手を当てて泣き出したエミリーの身体越しに、ローランが手を差し出してくる。
トクリ、とジョセフィーヌの鼓動が胸を打つ。
「お断りします」
「ああっ!?」
「……お姉さま?」
「ここが剣術指南の場と言うのであれば、それを学ぼうという者からこれを取り上げるのは理屈に合わないのではありませんか?」
「はっ!? 学ぶぅ!? 女が剣術をか!? お遊戯じゃねーんだ。馬鹿にするな!」
「女性にお遊戯だと思われるような稽古をしているから馬鹿にされるのです」
「……面白ぇ。お前、俺を煽ってんのか?」
男が目を細め、その口調が静かなものへと変わった。
これまで怒鳴り散らしていた浅い部分での怒りとは違う。
一段深い、彼の深層の部分に怒りの火が灯るのが分かった。
「分かった。お遊戯かどうか見せてやる。構えろ!」
ローランが自分の木剣を立ててこちらに剣先を向けた。
「立ち合いの申し出、お受けいたします」
「お姉さま! 駄目です。お、お待ちください。ローラン様も! お納めください。この御方は……」
慌てて仲裁に入るエミリーの肩を抱いて落ち着かせる。
彼女の頬を伝う涙の痕を掌で拭いてやった。
「乙女の涙を捨て置くは武家の恥……」
ローランに向き直り木剣を構える。
「道を開くはこの身の大義……。女性に仇為す貴方に、誅を為します!」