16_アカデミア 1
それ以来、エミリーとアンナの二人とは、彼女らが知るジョセフィーヌの性格について、これまで以上に話をするようになった。
目の前にいる本人の過去としてではなく、あくまでここにいない別の誰かの話という体裁を取ることで、話が弾む効果があったようだ。
以前のジョセフィーヌは、二人以外の前では過分に猫を被って振舞う傾向にあったらしい。
寝室にあった日記も、わざわざ母親や父親の目に触れることを前提に書きしたためたもので、彼女がエミリーに語ったところによると、〈いい子ちゃん日記〉なのだそうだ。
もっと良いものがあります、と言ってエミリーは縫いぐるみのクマダリオンの腹の中から、日記帳を取り出して見せた。
そのジョセフィーヌの本物の日記には、なかなかに辛辣な内容が書き綴られていた。
先に読んだ〈いい子ちゃん日記〉から形作られるジョセフィーヌの人物像とはまるで違う、お転婆で、冷笑的な……。一国の姫君に対する不敬を承知で、言葉を飾らずに言えば、生意気な悪ガキによる日記だった。
貴重な情報源ではあったが、体面を気にした表の日記に比べ、裏の日記はジョセフィーヌの人となりを知ること以外では、役立ちそうな情報に乏しかったので途中で読むのをやめてしまった。
いや、丹念に読み解いていけば役立つ情報もあるかもしれないが、一国の姫君……、というか女性というものにあまり幻滅したくなかったから、という理由もある。
「まあ、でも……、お菓子を取られてむくれるところなどは、年相応に可愛らしいところもあったのでは? ……あっ、自分で言うのも何ですが……」
アンナによる本物のジョセフィーヌ評があまりに辛口だったので、彼女のことをフォローするつもりでそう言った。
結果、自己弁護のようになってしまうのはご愛敬だが。
「ご日記にそのようなことが?」
「えっ? ほら、例の 《絶交リスト》の最後にあった……。お菓子を取ったら絶交って、あれだけ妙に微笑ましいなと思ったのを憶えていたので」
「姫様! あれはそのような意味ではございません」
「? ……心得違いがあったのなら教えていただけますか?」
「あっ、と、その……」
「今後、エミリー以外の貴族の子女とお付き合いすることもあるでしょうし。そのときに粗相があると困りますので」
「あぁ……。良いのです。姫様はそのようなことをお知りにならなくても。ただ、やはり、お付き合いされるご友人は、よく選ばれた方が良ろしいかと……」
*
アンナがそう言ったから、というわけではないが、それからしばらくして、本当にエミリー以外の貴族の子女と接する機会が巡ってきた。
父母の勧めで、貴族の子女たちの間で、アカデミアと呼ばれている学びの集いに参加することになったのだ。
もちろん、体調が良い日を狙って、少しずつ身体を慣らすようにしての参加となるが、外出の許しが出たことは大きな前進だった。
このまま順調に回復すれば、アークレギスへ直接行くことも可能になるかもしれない。
アカデミアは、ある貴族が自らの所有する邸宅を開放し、貴族の若い子息を集めて剣術や戦術、その他各種の学問を教える場とした私塾のようなものだった。
主催者に乞われた高名な学者が出入りすることで、学者同士の交流の場にもなっており、開始から数年経った今、益々盛況な賑わいを見せているという。
基本的には毎日昼の決まった時間帯に講義が行われているが、参加の申請などは不要で、各自が自由気ままに訪れ去っていくというスタイルを取っていた。
体調に不安のあるジョセフィーヌにとっては都合が良い。
体調万全で臨んだアカデミア参加の初日、エミリーの家から馬車が迎えに来た。
王族がアカデミアに参加することも禁止ではないが、やはり目立ってしまうので、体調を気遣った父母やエミリーの提案で、最初のうちは身分を隠して環境に慣らしていこう、ということになったのだ。
俺にとっては、アカデミアもさることながら、馬車に乗ることからして、かなり気構えのいる体験だった。
俺の知る馬車とは言ってみれば単なる荷馬車だ。
俺にとっては、作物などを載せて運ぶ田舎の生活に根差したものを馬車というのであって、エミリー邸からやってきたそれのように、貴人を運ぶことに特化して誂えた豪華な乗り物としての馬車は目にすることも初めてだった。
俺は田舎者だとバレないように平静を装っていたが、内履きに履き替えなくても良いのかと尋ねたところで早速馬脚を現し、エミリーに笑われてしまった。
靴に付いた泥で中を汚しては不味いのではと考えてしまったのだ。
それほど中は清潔で、一つの小さな住まいのようだった。
馬車が動き出した後も驚きだった。
走り出してしばらく経つというのに、中が思ったほど揺れないのだ。
恐る恐るエミリーに聞いてみると、王都の町は大部分が硬い石畳で舗装されているため、揺れが少ないのだという。
弾むように走るデコボコの道しか知らない俺は、そのことを信じ難い思いで聞いていた。
できることなら王都の街並みとその舗装された道をこの目で見てみたかったが、生憎と馬車は全面が覆われて、採光用のスリットが僅かにあるだけだったので、道中、周囲の様子は見ることができなかった。
出発した王宮から、どういった方向にどれほどの距離を進んだのかも分からなくなった。
自分の足で立ち、野山を駆け回っていたアークレギスでの生活とはまるで勝手が違い、自由にならないこの身が、俺には大層不安で窮屈なものに感じられた。




