15_離れにて 3
「ええっと……。これは……」
《絶交リスト》なるものを見て俺は戸惑う。
書いてあることは理解できるものの、記憶を失くしたジョセフィーヌであるところの俺が、これを見てどういう反応をすべきなのか、正解が全く分からない。
辛うじて頭を働かせられることがあるとすれば、リストに挙げられている、ということはつまり、それらについて最低でも一回以上の前科があるのだろう、ということだけだった。
「エミリー様は以前から姫様のことを慕っておいででしたが、それが少々度が過ぎておりますので、姫様も手を焼いておいでのようでした。私には姫様のお気持ちは分かりかねますが、せめて、ご記憶がお戻りになるまでは、節度を持ったお付き合いをされることが望ましいかと……」
節度、という厳粛な響きを耳にして、先ほどアンナに見られたベッドの上での自分たちの姿を思い出す。
それだけではない。
ジョセフィーヌの寝室からここまで歩いてくる間の身体の触れ合いや、着替えるときのエミリーの視線にも違った意味合いを感じ、今さらながらに、落ち着かない気持ちにさせられた。
過度な接触を訝しむ気持ちは当然あったものの、年頃の王侯貴族女性同士の親睦の深め方など分からないので、そんなものかと許していたが、やはりあれは、行き過ぎたスキンシップだったのだ。
「手を焼いてたって、アンナにはそう見えたってだけでしょう? お姉さまは素直でいらっしゃらないから、他人からは分かりにくいのですぅ! このお召し物だって、先ほどのご様子では随分気に入っておいでのようでしたし。わたくしは、今がお姉さまの本心を知る絶好の機会だと確信しておりますわ」
エミリーからの反撃が始まった。
俺は本来は全く別人である自分の反応を、ジョセフィーヌの本心から出た反応だと誤解されることに、申し訳ない気持ちであったが、自分の秘密を隠したままに、その誤解を解く方法が分からず、ただおろおろとするばかりだった。
「エミリー様は姫様のご記憶がないのをいいことに、ご自分好みの姫様に仕立てようという魂胆なのでございましょう? そうは参りませんよ」
「まあ、何て人聞きの悪い。自分の方こそ。本当は、お姉さまのご記憶がこのまま戻らなければいいと思っているのではなくて? なにせ以前は、お姉さまからよく叱責されていましたから。お優しいお姉さまのお傍にいられて、今はさぞや楽しい毎日なのでしょうね?」
「私は姫様がどのような姫様であろうとも誠心誠意お仕えするだけです」
「どうかしら? わたくしばかり悪し様なおっしゃりようでしたけど、貴女だって内心何を考えているのやら……。今は入浴から何から、全て自分がお世話して差し上げています、って先日私に向かって言った言葉。随分自慢げに聞こえましたけど?」
「たっ、ただの事実です。ただ事実を申し上げただけです! ええ、分かりました。貴女がその気なら、以前の姫様でもご存じなかった貴女のやましい行為の数々を、今この場でお伝えしてもよろしいのですよ?」
「やっ、やましい事なんてありませんけどぉ? でも、言葉にはお気をつけになった方がよろしいのではなくて? 使用人の、アンナさん」
みる間に二人の応酬はどんどん白熱していった。
このままでは、どちらかが、いや下手をすると二人ともが、この屋敷にいられなくなってしまうかもしれない。
「待て! そこまで! 二人ともそこまで!」
二人の口論がピタリとやんだ。
二人が揃って驚いた顔を並べるのを見て、自分の口から飛び出た言葉が粗野に過ぎたことに気付く。
今の口調は今まで俺が演技で口にしていた上品な言葉遣いとは明らかに違っていた。
思わず剣の試合を止める際の号令のような声を出してしまったのだ。
ヤバイ。何とかフォローしなければ……。
「えっと……、その……」
「姫様? もしやご記憶が?」
「?……いいえ? 戻っては、いませんが。ついとっさに……。ごめんなさい。乱暴な言葉になってしまって……」
どういうことだろうか。
しかし、とにかく今は二人の仲裁をするのが先だ。
「あの……、お二人が、仲違いをされるのは……、とても困るのです。自分のことも、何も分からない、心細い状態で、ようやっとお二人のことも分かってきたところだというのに……」
「姫様……」「お姉さま……」
「お二人には傍にいて、何も知らない私のことを助けていただかなければなりません」
「もちろんです。ずっとお傍におりますとも」
「申し訳ございません。わたくし、お姉さまのご心労を何も分からずにいたようです」
二人が俺に向かって恭しく頭を下げる。
その姿が今度は俺に引け目を感じさせた。
二人が頭を下げるべき相手と慕っているのは、あくまで彼女らが知るジョセフィーヌであると分かったからだ。
この身体の中に以前までと全く異なる人物がいる、などという馬鹿げた事実を知っているのは俺しかいないのだから、無理もないことではあるのだが……。
「私は、ジョセフィーヌではありません」
静かにそう言った。
しばらく間が空いたあと、アンナが尋ねる。
「それは……どういうことでしょう?」
「この国の王女として育った十五年間の記憶が何もないのですから、もはや私は、全くの別人と言ってもよい身です。今の何もない私には、父や母、それにお二人の記憶の中のジョセフィーヌ様を奪ってここにいるという負い目があります」
その気持ちに偽りはない。
これは、今の状況に対する俺なりの贖罪の念が言わせた言葉だった。
「そんな……、お姉さま……。お姉さまは何も悪くないのに……」
「……しかし、この国にジョセフィーヌという王女の存在が求められていることも理解しています。嫌だと言って投げ出すことはできません。ただ、私の力でたちどころに記憶を取り戻せるわけでもない……」
「姫様……」
「もう一度始めから習得していくしかないのです。かつてお二人が私に抱いていた通りの私に成り代わることはできませんが……、私が全く新しい別のジョセフィーヌであったとしても、これからも私のことを助けていただけますか?」
以前のジョセフィーヌの面影を借りて二人に接するのが嫌だ、というのは完全に俺の気持ちの問題で、わがままだ。
それに、殊更に別人だと言って強調することには、多少奇異な言動があっても大目に見てもらえるのでは、という打算もあった。
「ご安心ください。たとえ、ご記憶がなくとも、お姉さまはお姉さまでございます」
「姫様……、ご立派になられて……」
自分で口にしながらも、何て手前勝手な言い分なのだと感じていたが、そんな利己的な訴えであっても、二人の反応は至って好意的なものだった。
アンナに至っては涙ぐむ有り様だ。
俺は二人のその様子を見て、またも罪悪感に苛まれたが、これは明かせない秘密を持つ以上、どうあっても避けられないものだと割り切る以外にないのかもしれない。
「これは、貴女にお返ししますね」
俺は自分の手に持て余していた 《絶交リスト》 をエミリーの手に持たせた。
「……? あの……、これはもう、このリストは無効、という意味でいただけばよろしいのでしょうか?」
「え? いえ、そうではなくてですね……、これは幼い時分から育んだ親密さ故の戯れ、なのでしょう? それはどうか私の記憶が戻ったときに、貴女から私に返してください」
「あ……。そ、そうです。もちろんです。子供の、戯れでございましてよ?」
ぎこちなく笑うエミリー。
横で泣いていたアンナが噴き出して、共に笑い始めたのを見て、俺はようやく胸を撫で下ろした。




