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14_離れにて 2


 この娘も貴族の令嬢であるはずだが、エミリーは使用人のアンナにも引けを取らないぐらいの手際で俺の着せ替えを終えてしまった。

 以前もこのようにエミリーがジョセフィーヌの着替えを手伝っていたのだろうか。


「嗚呼、なんとお可愛らしい。わたくし、このお姿を絵画にして家に飾っておきたいくらいです」


 エミリーがうっとりした声でそう褒め称える。

 褒められているのは自分ではなく、あくまでジョセフィーヌなのだが、自分に向かって投げかけられる言葉によって、どうしても気恥ずかしさが募った。


 そして、それほど賞賛される姿がどれほどのものかを見てみたくなる。

 俺は、部屋の隅にあった大きな鏡のところに歩いていく。

 鏡の前に立つと、そこには見知らぬ少女が立っていた。

 いつも寝室の鏡で見ていたジョセフィーヌとはまた違う、別の顔がそこにあった。


 あちらが成熟した女性の顔だとすると、こちらはまだ少女のあどけなさを残した無垢な顔。

 今年で十六という女性は、こういった奇跡的な()()()に存在しているのかもしれない。


 鏡の中の少女がこちらを見つめながら小首を(かし)げた。

 その愛くるしい表情に不意を打たれ、ドキリと高鳴る自分の鼓動に動揺する。

 そのように身体を動かしたのは、ほかならぬ自分なのに。


 印象の違いに驚くあまり思わず出た所作……、だったと思うのだが、身に着ける物に引きずられて、自分でも意識しないままに表情や動作を変えてしまっているのだろうか。


「お似合いでしょう?」

「え、ええ。……以前の、自分がお気に入りだったというのも、頷ける気がしますね」


「まあ! まあまあ! やっぱり! やっぱりお姉様は本心ではそうお思いだったのですね? そうですとも。着飾るのが嬉しくない女性がいるはずがないのです」


 エミリーは急に感情が振り切れたようにはしゃいだ声を上げると、その興奮に任せてジョセフィーヌの胸に顔を埋めるようにして抱きついてきた。


「えっ!? いやっ、ちょっと? エミリー!?」


 エミリーの抱擁から逃れようとしてジタバタと腕を振った俺は、体勢を崩し、エミリーもろとも後ろのベッドへと仰向きに倒れ込んでしまった。


「あら? 申し訳ございません……」


 俺を押し倒したような格好となったエミリーは、すぐに俺の上から体重を逃がしたものの、両手はそのまま俺の身体を囲うようにベッドに突き立てて離れず、俺の顔を見下ろすという艶めかしい構図で固まってしまった。

 顔を近付け、真っ直ぐこちらを見つめるエミリーの瞳に気を取られ、俺もすぐには反応できずにいた。



「姫様!」


 大きな声がした方を向くと、アンナが蒼白になった顔でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「エミリー様、お(たわむ)れが過ぎます」


 アンナがこれほど刺々しく話すのを聞いたことがない。


「違うの、アンナ。ちょっとバランスを崩してしまっただけで……」


 とっさにエミリーのことを(かば)おうとしたが、アンナは有無を言わさず俺とエミリーの間に割って入り身体を引き離した。


「いえ、姫様。これはそういうことではございません」

「わたくしはただ、お姉さまが着たいとおっしゃるのでそのお手伝いをしようと……」


 しおらしく目を伏せながら、物凄い剣幕のアンナに対し言い訳をするエミリー。


「そ、そうです。私の好きだった衣装に着替えれば記憶が戻るのでは、というエミリーのアイデアを聞いて、私からお願いしたのです。彼女を責めないであげて」


 俺は、自分から着たいと言ったわけではなかったのに、とは思いつつも、とにかくアンナの怒りを鎮めなければとエミリーを擁護した。

 いつもジョセフィーヌの身体のことを心配しているアンナのことだ。おそらく黙って離れまで歩いて来たことも含めて怒っているのだろうと思った。


「姫様のお好きだった衣装、ですか……」


 そう言ってエミリーの方を一瞥(いちべつ)するアンナの声はゾッとするほど冷たいものだった。


「エミリー様? 貴女は姫様のご記憶が戻られた後のことを、お考えになったことがございますか?」

「えっ!? あ、あの……、そ、そうね……」


 エミリーの目が急に忙しなく泳ぎ出す。


「姫様。侍女の身で差し出がましいかと存じますが、このまま黙って見ていることもできませんので、私の知る以前までの姫様についてお話ししておきます」


 アンナが今度はこちらに向き直って言った。

 ジョセフィーヌについて知ることができるのは、俺にとって願ったり叶ったりだ。俺は倒れ込んだベッド上から自分の身体を救い出し、乱れた衣服を手で直してから頷いた。


「以前のジョセフィーヌ様は、そういった衣装をお召しになることを大層嫌っておいででした」

「ん……えっ?」


 何だと? それでは全く話が違うではないか。


 どういうことかと問い詰めるように、俺はエミリーの方を見た。

 俺のその視線には気付いたはずだが、エミリーは自分の服の裾をいじりながら、もじもじとするのを繰り返し、俺と目を合わせようとしない。


「でも……、この部屋はジョセフィーヌ様の……あっ、私、私の部屋なのでしょう?」

「さようでございます。しかし、この部屋の中にあるほとんど全ての物は、エミリー様が姫様への贈り物として持ち込んだ物ばかりなのでございます」


 何だそれは。それでは一階にある品々と変わらないじゃないか。


「私が知る限り、姫様は何か頼み事をする場合の見返りとして、エミリー様のリクエストにお応えし、渋々お召し替えをなされていたようにお見受けいたします」


 俺にも段々と事情が呑み込めてきた。

 エミリーが俺を懸命にこの部屋に誘ったことには、俺の記憶を取り戻すという建て前以外に、極めて個人的な動機があったらしい。


「くれぐれも、この部屋の品々をもって、かつての姫様の趣味趣向を勘違いなさらぬよう、ご注進申し上げます」

「ちょっとアンナ。それは言い過ぎです」


「何が言い過ぎなのですか?」

「アンナは物の一面しか見ていないのですわ。本当に嫌な物なら部屋に置かせたりするものですか」


 ……まあ、確かにそれは一理あるか。

 俺は全くの第三者として、この一件を通してジョセフィーヌという女性の人となりを想像していた。


「分かりました……。しかし、それはそれとして、私には姫様とエミリー様のご関係を正確にお伝えしておく義務がございます」

「ど、どういうことよ?」


 身構えたエミリーの袖口に向かって、アンナが突然手を潜り込ませる。


「あっ」


 アンナがエミリーの袖口から引っ張り出したのは、細長く折られた厚手の紙片だった。


「姫様、これを……。いつもクローゼットの目立つところに貼り出されていたものです」


 俺は手渡されたそれを恐る恐る広げて、中に書かれた文字に目を通した。


《絶交リスト》

 次にこれをやったら絶交します。

・私の胸を揉む。

・私に口づけする。

・私の裸を見ようとする。

・私の食べかけのお菓子を持ち帰る。


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