125_最後の記憶
生い茂る枝葉の隙間からアークレギスの夜空を覗き見る。
すでに東の空は白みかけていた。
村からはもうかなり離れた。
ミスティは、ドルガスの背中から降りて自分の足で歩いているものの、苦しそうな様子は相変わらずだった。
「ユリウス様。ここで休みましょう。手当てをしなければ」
巨大な岩陰に身を隠し腰を降ろす。
焼けてボロボロになっていた上着の残骸を剥ぎ取ってみたが、手当てに使える道具の持ち合わせがあるわけでもなく、それ以上は手の施しようがなかった。
太腿を穿った弩の矢は、村を出た後、敵を振り切って早々に引き抜いてある。
当たり所が良く、太い血管を傷付けることがなかったのは幸いだった。
ミスティが俺の背中に手をかざし、一旦魔法で治癒しようとする素振りを見せたが、やがて諦め首を振った。
「駄目……。今、治癒魔法を使ったらどんな結果になるか分からない」
うな垂れ、申し訳なさそうに呟く声。
ミスティには過去に何度も、生命を司る精霊に働きかけて治癒力を高める魔法を掛けてもらったことがある。
だが今のミスティの状態では、それを使ったとしても狙い通りの効果が保証できない、ということらしい。
「大丈夫だ。これくらい放っておけば治る」
「さっき通った場所に薬草がありました。取ってきましょう」
ドルガスがそう言って、来た道を引き返そうとするのを手を引いて制止する。
「それどころじゃない。早く父上たちと合流しなければ」
「……そうですな。少し東に行き過ぎました。ここから北に向かえば渓谷に出ます。それに沿って進めば峠に通じる岩壁にたどり着くはずです」
「村を襲った連中は、その道を伝ってやって来たということはないか?」
「いや、あり得ぬでしょう。誰しもが通れる道ではありません。あれほどの数の者が、我らの目を盗んで忍び込めるとは思えませんから」
「うん……。奴らの装備も動きも、素人同然だった。だとすると、やはり……」
「中央の者らでしょうな。まさか同胞に裏切られるとは」
「一体、何のために!?」
俺の声は、やり場のない怒りをぶつけるような強い調子で響いた。
「……アークレギスに起きてる異変のせいだと思う」
俺の問いに答えたのはミスティだった。
だが、わざわざ言葉にするまでもない。
俺にしたところで、そのことに関係があることは、とうに分かっていた。
村を襲った連中のほとんどが精霊魔法の使い手であったことが、そのことを強く示唆していた。
「我らも、もう少し中央の情勢に目を向けておくべきでしたな。今は精霊魔法に通じた一族が権勢を誇っているという話は私も耳にしておりましたが……」
確かにあの魔法の威力は凄まじかった。
もしもあの力を自在に操ることができたのなら、戦のあり様を一変させるぐらいの大事であることは俺にでも分かる。
だが、その力を得るために、味方の村を襲う必要がどこにある?
「ミスティ、敵の位置は分かるか?」
あまりの理不尽に憤慨し、ジッとしていられなくなった俺は、腰掛けていた岩から立ち上がった。
「もう行くの? ……位置は、分からないわ。魔法を使った痕跡は、しばらくすると消えちゃうもの。追って来てないかもしれないし、すぐそこまで来てるかもしれない」
俺に続いて立ち上がったミスティの足は、まだふらついているように見えた。
「だとしたら、もう少し休むか? 凄く苦しそうだ。あっちもこちらを見失ってるってことだろ?」
「それが……、あっちからは私の位置がよく分かると思う。今の私、きっとあいつらからしたら魔力の塊みたいに見えてるはずだから」
「それ……、その魔力、早く使ってしまえないのか? 魔法にして使わなくても、元の空気中に返すとか」
「よく分からないの、私にも。焦ってたし。普通は魔法の発動前に少しだけ、呼び水みたいにして使うプロセスだし、魔力をこんなに大量に取り込んだことも、こんなに長い時間溜めてたことも初めて」
「……あれからもう随分経つが、大丈夫なのか、身体は?」
精霊魔法に関する知識がほとんどない俺には、ミスティの説明を聞いたところで、どうしてやることもできなかった。
「ずっと、どうやって消費すればいいか考えてるとこ。昔から伝わってる魔法はどれも単純なものばかりだし、下手に使ったら多分、村で使ったときと同じみたいに、とんでもないことになる」
その言葉で俺は村をめちゃくちゃに吹き飛ばした暴風のことを思い出した。
「……ドルガス、予定を変えて俺たちはここで迎え撃つか? ミスティのあの様子じゃ、きっとあの岩壁のルートは越えられないぞ」
俺は自分たちが背にしていた巨大な岩を見上げた。
丁度いい。
この岩を盾にしつつミスティに高威力の魔法を撃ち続けてもらえば、追手を撃退できるのではないか、などとこの場を凌ぐための戦術を頭の中で組み立てる。
問題は、ここに釘付けにされては、父上が行うであろう反撃の攻勢に加勢できないことだが……。
そんなことを考えていると、ミスティが俺の見ていた岩に向かって両手をかざして瞑想を始めた。
「ミスティ?」
「黙って。集中するから。思い付いたことがあるの。二人とも、この岩から離れて」
俺とドルガスは顔を見合わせて、ミスティの言うとおりにした。
ミスティはそれからしばらく目をつぶって手をかざしていたが、やがて手を下ろし、何やら考え事をするように口の中でモゴモゴと独り言を始めた。
これは時間が掛かりそうだ。
そう思った俺は、周囲を警戒するため岩に沿ってブラブラと歩き始める。
ドルガスも俺とは反対の方向を受け持ち、俺たち三人は自然とミスティを中心として互いに距離を取る格好となった。
そうして岩の裏側の死角になった辺りを覗き込むようにしたときのことだ。
何かに見られているような嫌な気配に気が付いた。
気配の元に目を向けると、少し離れた木々の間に姿を溶け込ませるようにして立つ男の姿があった。
「いるぞ! ドルガス! 岩の後ろだ!」
一人の姿に気が付くと、続いて、他に何人もの男たちの姿が目に飛び込んできた。
丁度森の中に射し込んできた朝陽が、彼らの姿を次々に浮かび上がらせる。
あの火線で狙われては敵わない。
俺は急いで身を隠せそうな遮蔽物を探す。
だが、それができそうな大岩からはかなりの距離があった。
「手負いの男から狙え! 女には当てるなよ!」
どこからともなく、そんな号令が聞こえた。
狙われているのは俺か。
ただちにミスティが狙われることがないと知れたのは好材料だった。
斬り込もう。
そう思って足を前に踏み出す。
……そのはずだったが、気持ちに反して俺は膝から崩れ落ちていた。
強烈な眠気が襲ってくる。
自分の周囲に何とも言えない嫌な空気が漂っているのを感じた。
魔法……?
これも魔法か?
身体が、重い。
だが、まだだ。まだ戦える!
俺は懸命に眠気を振り払い立ち上がる。
「ユリウス!」
ミスティの声を聞き、顔を上げた瞬間、自分に向かって降り注ぐ無数の火線が視界に映り込んだ。
次の瞬間には何も見えなくなった。
何も、考えられなくなった。