124 大エントランスにて
グリュンターク家当主、グレン・グライブ・グリュンタークは頭を抱えていた。
何故、自分がこんな理不尽な目に遭わねばならないのかと、自分の身に次々と降り掛かる不運な出来事を呪った。
元をただせば全て他ならぬグレン自身が、三年ほど前に企てた王女ジョセフィーヌの暗殺計画に端を発する事態であったのだが、それとて、この男にとっては、薄気味の悪い呪術士の老人にそそのかされただけ、という徹底した被害者の立場で捉えられていた。
そもそもこの男にとって、王女の暗殺は国の行く末を憂いた忠心に基づく行いであり、それに関しては何ら恥じるところはないと今でも固く信じている。
自分に落ち度はないと信じる男にとって、ここ最近起きた出来事は悪夢そのものだった。
まず、王女の暗殺を依頼したあの老人が、勝手に王宮を襲撃し、王女を直接攫うなどという暴挙に及ぶことが想定外だった。
あくまで呪術という得体の知れない手段だからこそ成立する企みだったというのに、そのことがまるで分かっていない愚か者だった。
それにすら失敗し、一旦姿を消したかと思えば、次は大勢の仲間を引き連れて現れ、あろうことか、こちらを恐喝し屋敷に居座ってしまった。
ただの浮遊民の類かと思っていたら、背後にランバルドの影をちらつかせてくる豹変ぶり。
極めつけは、王女ジョセフィーヌ当人による深夜の訪問である。
聞けば、昼間攫われた侍女を助けに来たのだと、縛り付けられた椅子の上で踏ん反り返って息巻く始末。
一体この世のどこを探せば、侍女一人を取り返すために、深夜単身でノコノコと乗り込んで来る非常識な王女がいるというのか。
まったく、感情に任せて理屈も屁ったくれもないことをしてくれる。
これだから女という奴に国の統治など任せられぬと言うのだ。
正式な使者を使って正面から来るのであれば、何事があろうと知らぬ存ぜぬをつき徹せたものを。
屋敷中にたむろするゴロツキどもの姿を見られ、しかも当人を縄で縛り上げた後となっては、もはやこのまま王宮に突き返すこともできはしない。
「グレン様。王女の護衛役を名乗る者たちが屋敷への立ち入りを求めております」
……来たか。
その連絡がくるのは予想できていた。
あの忌々しい王女の言によれば、自分が戻らなければすぐにこの屋敷に迎えが来る手筈になっているという話であった。
「分かった。すぐに行く。絶対に敷地の中には入れるなよ」
あの呪術士連中は、王女を解放するつもりがなく、どうやらランバルドに連れ去る魂胆でいるらしい。
グレンには、これからここにやって来るはずの王女の迎えをあしらって追い返す役目が課されていた。
もはや助かる道はそれしかない。
覚悟を決め、グレンは椅子から腰を上げる。
どれだけ苦しい言い訳であろうと、今晩王女はここに来ていないと言い張って誤魔化し徹すしかなかった。
奴らを国外に……、いや、この屋敷の外でもいい。とにかく、追い出しさえすれば、王女がここにいたという確たる証拠は何も残らないのだから。
グレンが屋敷の正門に向かうためエントランスまで行くと、あろうことか、すでにその場所が騒ぎの中心となっていた。
入口の大扉は大きく開かれ、そこを境とし、家人と外から詰め寄せた者たちとで押し合いになっている。
深夜の来訪者はグレンが思っていたよりも遥かに大人数で、そして物騒だった。
皆、武器を携え、今にもその暴力に訴えようとせんばかりに気性を荒くしていた。
ふむ……、やはりあいつか。
中に押し入ろうとしている集団の先頭に、ジョセフィーヌ派の急先鋒と目されるセデューク家の息子セドリックの姿を認め、グレンは二階の手すりから大声で呼び掛けた。
「誰が屋敷への立ち入りを許可したのだ! これは重大な犯罪行為であるぞ!」
広間中に響く男の声によって、双方が動きを止める。
セドリックが人垣を縫って踏み入ってきた。
人を押し退けるでもなく、まるで当然のように道を開いて悠然とそこに進み出る。
「そなたは既に当家の領地を侵犯しておる! しかも無許可で帯剣してとあっては罪は免れぬぞ!?」
そこまで言い放ってからグレンは中央の大階段を下りて行った。
そこにいる全員を睨みつけて、場を支配しようとでもするかのように、エントランス中央に位置する階段の踊り場で立ち止まる。
「国内治安法五条第三項は既に申請され承認済みです。グレン様。貴方には先日の王都襲撃、ならびにジョセフィーヌ王女誘拐未遂の主犯としての嫌疑がかけられております」
大声を張り上げるグレンとは異なり、セドリックの声は落ち着き払っていた。
広場にいる皆が、事の成り行きを見守るため、動きを止め、二人の会話にじっと耳を傾ける。
「ならば日を決めてまた後日来られよ! いずれ不当な嫌疑と侮辱を受けた罪で訴え返すことになるだろうがな!」
「王女様の誘拐に関しては、現行の疑いがございます。同法註文其ノ一に従い、王族の権益及び人命を守るため、直ちに立ち入り調査を執行いたします。家人を下がらせてください」
セドリックの言葉を聞いて、グリュンタークの家人の中から悲鳴のような声が上がる。
そんな、まさか、と動揺を隠さぬ声。
今晩ジョセフィーヌがこの屋敷で捕らえられたことは、ほとんどの家人が知る由のないことであった。
だが、数日前から得体の知れない者たちが、この屋敷に我が物顔で出入りしていることは皆が知っている。
そのせいで、以前からそこに住まう家人たちは自由に屋敷の出入りができない有り様だった。
思い当たる節があるだけに、セドリックの発した言葉はすぐに皆の動揺となって広がった。
「無効である! その疑いが妥当であることを示してもらおう!」
実際には無効の申し立てなどできようもない状況であったが、グレンはここで大人しく引くわけにはいかなかった。
通らぬ言い分と知りつつも大声で無効を主張する。
それに対しセドリックは大仰な溜息で応えた。
「グレン様。無駄な血を流したくはありません。ジョセフィーヌ様ご本人より、今晩こちらの屋敷へ行くという伝言が残されております」
「こんな夜分にか? 非常識が過ぎるな。さすが、お転婆で鳴らしたお姫様だ。なあ、お前たち?」
当主の嘲るような声に釣られて、家人たちが困惑しつつも、それにおもねるような笑い声を上げる。
家人たちとは逆に、王宮側の兵たちはグレンの言葉によって、すでに十分殺気立っているのだが、グレンはそれにも気付かず、さらに彼らの心情を逆撫でするような言葉を続けた。
「道に迷われたのではないか? 当家には来訪されておらぬようだ」
「ふざけんな! 裏口から入ってく女の姿を、こっちの見張りが見てんだよ!」
「ローラン!」
人垣の後ろからがなり立てる男をセドリックが鋭い声で咎める。
見張りという言葉にグレンは一瞬顔を引きつらせたが、姫ではなく、あえて女の姿とぼかされたことで、彼らがつかんでいる情報もその程度なのだと推測できた。
「話にならん。屋敷には女の使用人もいるのだ。家人の誰かと見間違えたのだろう」
そこへちょうど折良く、武器を携えた屋敷の衛兵が数人駆け付けるのが見えた。
裏口の門番どもが、この騒ぎを聞きつけて応援に来たのだろう。
「ほら、お前たち! さっさと扉を閉めて追い返せ! 正義はこちらにある! 抜剣を許す! 正当な武力行使だ。手荒にしてでも追い払うんだ!」
まだまだ数では劣るが、ここは勢いだとばかりに、グレンが自分の手勢をけしかける。
王都の真ん中での流血沙汰は避けたい。相手がそう考え、一旦退いてくれれば、しめたものだった。
「セドリック!」
「……仕方ない。お前たち、武器を持たぬ者には絶対に手を出すなよ」
セドリックが剣の柄に手を掛ける。
「お、お前たち! 身体を張って侵入を防げ! これは陰謀だ! 我がグリュンターク家を貶める企みだ! 絶対に、絶対に中に入れるなっ!」
広間では今まさに武力衝突が起きようとしていた。
*
ジョセフィーヌが勢い良く扉を開けると、吹き抜けになった広間の真下に多くの人々が集っている現場に出くわすこととなった。
向かって右手の屋敷出口に陣取っているのが王宮側で、屋敷奥側の左手に陣取っているのがグリュンタークの家の者たち。そのことはすぐに分かった。
きっと中に入れる入れないで押し問答をしているところなのだ。
ラッキー!
……じゃなくて。計算どおりだわ!
ジョセフィーヌは死にそうな思いで堪えていた身体の痛みも忘れ、小躍りしたい気分で駆けだした。
「アンナ。そこの扉。ちょっと閉じて足止めしといてくれる?」
振り返り、後ろ向きで走りながら、遅れてやってきたアンナに向かって指示を出す。
アンナは先ほどまでとは明らかに異なるユリウスの様子を訝しみながらも、その物言いに何処かしら懐かしい匂いを感じ取っていた。
「ちょっととは!? どのくらいです? 私のことを守っていただけるのでは!?」
そう抗議しながらも、ユリウスから言われたとおり、両開きの扉を後ろ手に閉め、背中で体重を掛ける。
何もしないよりはマシだろうが、女一人の力で後ろから迫って来る追手を防ぎ切れるとは到底思えなかった。
とりあえず靴か。
襲撃の夜、医者の男を離れの部屋に閉じ込めたときのように。
まずは靴を脱いで扉に噛ませよう。
それから……。
アンナが必死で頭を巡らせる間にも、自分のことをユリウスと名乗り、彼女を守るという顔が赤らむような台詞を言ってのけた男は、そのアンナのことを置き去りにして、エントランス二階の通路を駆けて遠ざかっていく。
きっと何か考えがあるのだろうと信じ、その姿を目で追っていくと中央の大階段の前で立ち止まるのが見えた。
彼がその場で息を大きく吸い込み、スッと目を閉じる。
「!」
背中からの強い衝撃。
思わず前につんのめるアンナ。
扉の向こうから、追手がこちらに押し入って来ようとしているのだ。
開き掛けた扉を押し戻し、足を突っ張らせて懸命に防ぐ。
まだですか!?
そう声を張り上げようとして、もう一度ユリウスの方を振り向いたときだ。
大きな広間の全体に眩い光が煌めき満ちた───。