122_ユリウス 対 マーカス&ダノン
部屋を出た途端、こちらに駆け寄ってきた一団と鉢合わせた。
中で俺が戦っている間に誰かが報せに走っていたのかもしれない。
新手は六人ほどだったが、その中にはあのマーカスもいた。
話に聞いたとおり、左眼に眼帯はなく、代わりに右眼の周りに大きな痣ができていた。
俺はアンナを背中に隠して剣を構える。
「またお前か!? 一体どうやって入って来やがる」
呆れたように悪態づきながらマーカスも剣を抜いた。
それから俺の肩越しに部屋の中を覗くように首を持ち上げると、オエッと吐き出すような仕草をしてみせた。
「化け物かよ。軽く三十人はいただろうが」
「悪いが斬った人数を数える趣味はない」
俺は相手に疲労を悟らせまいと、意識して背筋を伸ばす。
やれるだろうか……。
雑兵六人ならわけもないが、この男が相手では心許ない。
適当にあしらいつつ隙を見て逃げるか?
背後にした廊下の先をチラリと振り返る。
幸い挟撃にされてはいないようだが、屋敷の構造が分からないことと、アンナを連れて、というのが無理筋だ。
……やはりこの男を正面から打ち倒すしかなさそうだな。
頭目を潰せば、残りも戦意を喪失するだろう。
そう覚悟を決めて柄を握り直したところへ、連中の後ろからダノンが遅れて姿を現した。
他にもダノンとよく似たローブを身にまとった男たちを数人従えている。
彼ら全員がダノンと同じく呪術を扱えるのだとすれば相当な脅威だった。
しまったな。
マーカスを視界に入れた瞬間に仕掛けていた方がまだ勝機があったかもしれない。
ためらっている間に切り抜けるのが余計に難しくなってしまった。
「いいのか? 姫様の方を追わなくて」
「おい、どういうことだ!? 逃げられたのか?」
さほど効果を期待した牽制ではなかったが、呪術士連中は俺の言葉にかなりの動揺を見せマーカスの方に詰め寄った。
「知らねーよ。そっちの話は聞いてねー」
「……チッ、役立たずめが」
ダノンの合図で、ローブを着た者たちとゴロツキ数人が連れだって階段を降りていく。
戦力差は多少マシにはなったが……、焼石に水か。
「屋敷の外には出られる筈がねー。全部の出入口に十人以上は見張りを置いてるからな」
ハッタリかと疑うような数だ。
いや、ハッタリにしては現実味がなさ過ぎる。
既にかなりの数を倒したと思ったが、ここにいる手勢以外にもそれだけのゴロツキを従えているということか?
「戦争でも始める気だったのか?」
「ふんっ、場合によってはな」
「マーカス!」
ダノンが声を荒げる。
「心配いらねえ。こいつはここで殺す。きっちりとな。こないだの借りは返させてもらうぜ」
会話と視線で牽制し合っていた空気が突如として変わる。
マーカスが身体を真横に向けて、奇妙に身体を揺らすステップで距離を詰めてきた。
見慣れぬ動きに翻弄される。
片手で繰り出される刺突がグイと眼前に迫る。
俺はそれを、あわやというタイミングで横に弾いていなした。
マーカスは弾かれた剣とともに一瞬崩しかけた体勢を戻しながら後ろへと下がる。
俺が構え直したときには、すでに相手も次の攻撃の準備を整えていた。
やはり強い!
テンポや軌道を次々と変えてマーカスの剣が躍る。
目の覚めるような鋭い攻めに対し、俺の頭に自分が敗れた場合の想像がよぎった。
一度退けたことがある相手とは言え必勝とはいかない。
負けはしないまでも、大きな傷を負う羽目になればと思うとどうしても攻め気が削がれる。
それで足が止まった。
『動いてユリウス! 呪文!』
ジョゼの声を聞き反射的に横に跳び退く。
忌々しげな舌打ちがこちらの耳にまで届いた。
マーカスの陰から、こちらを狙ってダノンが呪文を唱えていたのだ。
どうやらヴェスニヨールの本家が書き残していた呪術の弱みに関する分析は正しかったようだ。
相手を酩酊に誘う呪文は、詠唱中、相手を視界の同じ位置に留めておかねばならないらしい。
つまり常に動き回るようにすれば、そう易々と食らいはしないということだ。
「しっかり足止めをしておかんか!」
「だったら、あんたがやってみるか!?」
相手も攻めあぐねている。
そのことに力を得た俺は、右に左にフェイントを掛けつつ、マーカスに攻撃を浴びせた。
廊下の幅をいっぱいに使い、なるべく大きく動くことには、ダノンに的を絞らせないこと以外に、マーカスの手勢をアンナの側へと抜けさせないようにする意味もあった。
だが、とにかく忙しい。
俺が少しでもぬるい打ち込みを見せれば、それを狙ってマーカスがカウンター気味に切り返してくる。
マズいな。
防戦に回ったマーカスを攻めきれない。
そうやって俺が内心で焦り出した頃合い。絶妙にこちらの間を外すようなタイミングで、マーカスが不意に力を抜き、剣を下して後退った。
「駄目だ。疲れた。お前らちょっと交代しろ」
手下に向かって振り返りながらそう言った。
ほんの一瞬前まで命のやり取りをしていたとは思えない気の抜けた会話。
間合いが遠い、が隙だらけだ。
今全力で踏み込めば届くか?
いや、もしや誘われているのだろうか?
それより、このタイミングでアンナと一緒に踵を返して逃げ去ればあるいは……!?
一瞬のうちに様々な考えが過ぎる。
そのとき足元で陶器が割れるような小さな音がした。
思わずそれを確かめるために視線を下に向けてしまう。
そこには割れたガラスの小瓶と、そこからこぼれ出た白い粉末状の何かが見て取れた。
慌てて後ろに跳び退こうとするが、その時にはすでに足に力が入らなくなっていた。
耐え難い眠気。
そうだった。
聞いていたのに……!
これは、今日の昼間警護の兵たちを昏倒させた、相手を眠りに誘う強力な呪術。
俺はガクリと膝を突き、忽然と意識を失った───。