10_エミリーがやってきた 2
エミリーはそれから頻繁に訪れるようになったが、ただし、毎日というわけにはいかなかった。
エミリーの都合ではなく、主に俺の、ジョセフィーヌの体調が原因だ。
一時生死の境を彷徨ってから、ジョセフィーヌの体調は回復する一方と思われていたが、度々病気がぶり返すようになったのだ。
ユリウス・シザリオンの身体であったときは、多少風邪を引いても気合で動き回っているうちに気付くと全快しているものだったが、この娘の身体はとにかく虚弱で、一旦調子を落とすとベッドから起き上がれなくほどの状態が何日も続くのだった。
症状は高熱に、頭痛、眩暈、吐き気、倦怠感、それに腹痛。
しかし、俺が最初にこの娘の身体で目覚めたときの苦しみに比べれば、断続的に訪れるその不調は死を意識するほどのものではない。
それこそ、俺がこの娘の身体にいる意義だと見つけ気合を入れて乗り切る、ある種のルーチンと化していた。
ただ、俺が内心でそういった漢気を賭して戦っているさなか、唯一気持ちが挫けそうになることもある。
それは、アンナに自分の下の世話を任せなければならないときだった。
体調が最も悪化する頃には決まって、俺は寝床で股の間におしめのような物をあてられた。
ベッドの中で漏らしているわけではない。流石にそこまで迷惑はかけられないので、その用心はしているのだが、自分の意識のままならない部分で下血があるようだった。
アンナはなるべく俺にそれを見せないようにしていたが、取り替える際に盗み見ると多量の血によってその布が真っ赤に染まっており、血の気が引いた。
使用人とは言え、他人にそういった下の世話を強いるのは気分の良いものではない。
文句も言わずに甲斐甲斐しく勤めを果たすアンナに感謝をし、一日でも早くこの病魔を退けるのだと自分に言い聞かせた。
ジョセフィーヌの体調は、その下血を境として回復に向かうのを常としていた。
長期的に見れば回復傾向にあるのは間違いなく、三度目ともなると、下血が終わってから三日後には、もうベッドから出て歩けるまでに復調するようになっていた。
*
そんなある日、俺の回復の報せを聞いたエミリーが見舞いの品を持ってやってきた。
「珍しいお菓子を見つけて参りましたの。絶対お姉さまにも気に入っていただけますわ。これを食べて早く元気になってくださいまし」
ベッドの上で寝巻のままの俺にエミリーが手渡してきたのは、小さな陶器に敷き詰められた薄黄色の、これまで見たこともない食べ物だった。
始めはスープのような液体なのかと思ったが、容器を傾けても中身が動かないため固形物であることが分かった。
これも王都ならではの珍しい食べ物なのかと興味をそそられる。
「エミリー様。申し訳ありませんが」
どれ一口、とすっかり食べる気になっていた俺の手から、アンナがサッとその容器を取り上げた。
「そんな……。とても甘くて美味しいのよ?」
「ジョセフィーヌ様のお口に入る物は、私が厳重に管理させていただいております」
「少しぐらいいいじゃない」
「姫様のご病気を、毒物によるものではないかと疑う者もおります」
「そ、そうなの?」
「これ自体に害がなくとも、もし折悪く姫様が体調を崩されるようなことになれば、エミリー様もお気に病むこととなるでしょう? ですから、ご自重ください」
俺も食してみたかっただけに残念だ。
しかし、毒か。
確かに気を付けなければ。
そんな物を盛られたのでは、いくら気合で体力を戻しても意味がない。
王族というのは一々口にする物にも注意が必要なのかと、その苦労を推し量る。
「分かったわ……。それではお姉さま。お元気になられたら、必ず一緒に食べに参りましょう? 最近できた人気のお店があるのです」
「お待ちください。エミリー様。これは下々の者が作った食べ物なのですか?」
「そうよ? 堅苦しいお抱えの料理人がこんな素敵な物作るわけがないじゃない」
「ああ、信じられません。姫様にそんな得体の知れない物を食べさせようとするなんて」
アンナは眩暈を堪えるかのように額に手を当てて嘆いた。
「分かりました。分かったから、それ返してよ」
アンナの手に持った容器を指してエミリーが掌を差し出す。
「……代わりに私が毒見をいたしましょう」
手にした容器をジッと見つめていたかと思うと、しれっとアンナがそう言い出した。
お預けを食らった俺としては聞き捨てならない台詞だった。
「駄目。下賤な食べ物なのでしょう? 侍女の貴女が食中毒でも起こしたら、お姉さまのお世話は誰がなさいますの? これは持ち帰って、わたくしが責任を持っていただくことにします」
そう言うとエミリーは有無を言わさずアンナの手からそれを奪い、持参した箱の中にしまってしまった。