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107_プリシラの推論 1


「どうでしたか? パトリック様とご一緒の舟遊びは?」

「ぇえっ、ちょっと、やめにしない? その言葉遣い。こっちはもう中身が男だって分かってるんだから、二人きりのときはなんか落ち着かないよ」


 慣れない手付きでボートを漕ぎながら、プリシラが眉根を下げる。

 自分も漕いでみたいと言うのでプリシラに漕ぎ手を任せてみたが、ボートはなかなか前に進まず、まだ船着き場からほど近い場所を漂っていた。

 セドリックが操るもう一艘のボートは、こちらに気を使っているのか、多少距離を取った位置に浮かんでいる。


「駄目です。気を抜く癖ができて、他の人の前でボロを出しては一大事ですから」


 俺がボートの上で気を失ってから丸二日経ったが、俺たちはまだアークレギスの湖畔に逗留していた。

 女性陣にとっては自然の景色以外に見るべきところは何もない場所だが、離れて警護に当たっているお付きの者たちも含む男性陣にとっては、何日居ても足りないといったところだろう。


 俺はアンナを通じてローランに言伝し、こちらは最初から全く咎め立てする気はないから夜間は存分に羽を伸ばすようにと指示してあった。

 俺たちが寝泊りしている宿の警護を順繰りに分担したとしても、三日もあれば、全員例の高級娼館とやらに遊びに行く機会を作れたことだろう。


「結構引き摺るんじゃないかと思って心配したけど、その分なら大丈夫そうね」

「ええ。せっかちな誰かさんが、ゆっくり落ち込むことも許してくれませんでしたから」

『どうしようもないことで、いつまでも落ち込んでても仕方ないでしょ?』


 ときに前のめり過ぎてハラハラさせられるが、ジョゼのその前向きな性分には、正直かなり助けられている。

 彼女が目を覚ましていなければ、プリシラとこうして懇意になることもなかっただろうし、今頃はまだ、王都の外に出ることもなく、真実も知らず、いつまでもミスティからの連絡を待ち続けていたかも知れない。


「それで、どうでした?」

「ほんとに聞きたいの?」

『聞きたい聞きたい』


「決して悪い話ではないと思いますが」

「そりゃそうだけど……、私なんかでいいのかって思っちゃう」


「プリシラさんとパトリック様がご一緒になれば、私もプリシラさんとお会いし易くなります」

「何よ、その理由」


「女性がお一人であの家にいらっしゃるのが心配だというのもありますし」


 プリシラの店は治安の行き届いた表通りと、それとは真逆の貧民窟のちょうど中間ぐらいに位置している。

 ちょっとした小銭を巡って簡単に人殺しが起きてしまうような、あの現場を見てから、俺はプリシラの身の安全が気に掛かっていた。

 これまでもプリシラの家には一応、簡単な警護を付けてもらっていたが、今となっては俺にとって彼女の重要性はさらに増している。

 魔法技術の失われたこの百年後の世界において、ほぼ唯一と言っていい専門家の身に、万が一のことがあっては一大事だった。


『そんな打算はいいから。異性として好きかどうかを聞きなさいよ』


 まあ、それはそうか。

 ひとまず、安全と恋愛の話は分けて考えるべきだな。


「パトリック様のことは置いておくとして、プリシラさんさえ良ければ、一時王宮の方に身をお寄せになってみてはどうでしょう?」

「いや、こないだのあれは酷過ぎただけなんだって。いつもはもっと平和なの。これまでもアタシはあそこで普通に暮らしてきたんだから。心配し過ぎよ」


 ようやくプリシラがコツを掴み、ボートが岸辺から離れ始めた。

 ボートをひっくり返すのではないかと訝し気にしていたセドリックも、それを見て安心したように自分のボードをさらに沖へと漕ぎ出す。

 そのとき、何の前触れもなく、ヒョイとばかりに水の精霊が姿を見せた。


『あっ……』


 水の精霊は俺の胸元から顔を出し、キョロキョロと周囲を見渡したかと思うと、ボートの周りの湖面を滑るように飛び回り始める。


「ここ、なかなかいい所ね」

「全然! 良くないよ。燃えそうなものが何もないじゃないか」


 振り返ると今度は火の精霊が、同じように湖面に浮かび、不機嫌そうに腕組みをしていた。

 本当にいつでもどこでもお構いなく出てくるな。


「頼むから、ボートは燃やさないでくれよ?」


 俺は話が通じるかどうかも分からない子供のような精霊に向かって注意を促した。

 さらに俺は自分の周囲、腰の後ろや足元などを用心深く見回す。

 これまでは、この二匹と大体同じタイミングであの老精霊が出て来ていたので、今回もそうなりはしないかと警戒心が働いたのだ。


「あ、また別の女といるー。ほんとに節操ないんだからぁ」


 女性型の水の精霊は、どうも俺が女性の近くにいることがお気に召さないようだった。

 だが、他の精霊に比べてまともに会話が成立しそうな気配はある。

 姿は変わっていても俺がユリウスだという認識もできているようだ。

 俺は慎重に言葉を選びながら彼女に語りかけた。


「信じてくれ。俺はミスティ一筋なんだ」

「……どうかしら?」


 それだけ言い残して水の精霊は遠くの方へ飛び去っていった。

 確かに会話はできるが、どうにも気まぐれ過ぎる。


「い、いぃ……いっ、今のっ、今のは!?」


 ああ、そうだった。プリシラは精霊を見ること自体が初めてか。


「精霊だよ。水と火の。話しただろ? あ……、お話しいたしましたでしょ?」

『ほんとに非常識な連中ね。こんな調子でホイホイ出て来られたら、いつか私の身体が発生源だってバレちゃうわよ?』


 そうだな……。そういえば、その問題も残っていた。


 この旅に出発してすぐ、すでにプリシラには、俺たちがあの道具を使って調べた魔力量の変化に関するメモ書きを渡してあった。

 はじめ俺が三十六でジョゼが五十四と書き記した数字は、徐々にその差を縮めながら、現在は二人とも二十四と記すまで小さくなっていた。

 リングが一回転するのに掛かる時間がそれだけ短くなっている、ということは、つまり、この身体の中から湧き出ている魔力は確実に増加しているということだ。


「あれが精霊? あんなにはっきり見えるんだ。……いやぁ、なんて言うか、本で読むイメージとは大分違うものねぇ」


 プリシラは感心しながら、遠くの湖面を飛び回っている二匹の精霊を目で追っていた。

 セドリックたちがこちらの安全を気遣って声を掛けてきたが、俺は心配には及ばないと分かるように手を振って応え、そのままプリシラとの会話を続ける。


「本当はアークレギスに近付けば、もっと頻繁に精霊が飛び回っている様子をお見せできるはずだったのです。空気中の魔力量も、素養のない私ですら感じ取れるぐらいに濃密でした」

「まあ、本当にそんなことになってたら、絶対王都にも噂が伝わってるって」

『確かにねー』


 確かにそうだ。

 アークレギスと王都の交通事情は、俺が知る百年前とは随分様変わりしている。

 一番の難所となるはずの山岳地帯が丸ごとなくなっていたとは言え、これほど容易く短期間で行き来できるとは思わなかった。

 こんな距離感では、何か異変が起きたとすれば、とても秘密にはしておけないだろう。

 本当なら、アークレギスの存在が王都で注目を集めていないことについて、もっと関心を払い、しっかり考えてみるべきだったのだ。


「魔力の偏重と突然の消失に関する究明が父さんの……、私たち一族の長年の研究対象だったの。まさか、当時の状況を知る人物が目の前に現れるなんて……。ユリウス。あんたには悪いけど、私は今、もの凄いチャンスに巡り合えたと思ってるわ」


 そうやって熱を込めて話すプリシラが、俺にとっては残された最後の希望だった。


「もちろん協力は惜しみません。今望むのは、この身体から流れ出る魔力をどうにかして止めることと、このジョゼの身体から私の心と身体を分離する方法を探ることです。できそうですか?」


 プリシラは掌の上に自分の顎を載せて考え込むようにした。

 ボートを漕ぐ手はとうに止めている。


「それねぇ。できるかどうかはさておき、多分それが解決するとしたら両方いっぺんね」

「……ここで詳しく説明できますか?」


 そう言いながら俺は、セドリックたちのボートとの距離を目測し、声が届く距離ではないことを確かめる。


「人や物から魔力が漏出するっていう現象は、百年よりもっともっと前から知られてたみたいなんだけど、それって特に高度な魔法を使ったときに、その魔法の残滓のような形で観測されたみたいなの」

「高度な魔法と言うとつまり……」


「そう、例えば人間一人を百年以上先の未来に飛ばしたり、別の人間の身体に乗り移らせたり、みたいなことは間違いなく“高度”って言えるんじゃない?」

「……それで、さっきおっしゃった解決する方法というのは?」


「まだ早い。先にもう少し説明させて? 過去に観測された魔力漏出現象っていうのは、魔法を発動するために準備された魔力の、余剰分が還元されたものじゃないかって考えられてたの」


『へー、面白そうね。私も魔法について勉強してみようかしら』

「ジョゼ、ごめん。俺の理解が追い付いてないから、ちょっと黙っててもらえないか?」


 俺は目を閉じてジョゼに語りかけつつ、手を前に立ててプリシラの話を一旦遮った。


「……私が見た過去の夢では、精霊魔法使い同士が魔法を撃ち合った後、相手の位置が暗闇でも分かるようでした。先ほどのお話にあった、魔法の残滓というのも同じことでしょうか?」

「へー。なるほどね。うん、多分同じよ。……なるほどなるほど。するとこれは……」


 ブツブツと独り言を言いながら、プリシラがボートの中を這ってこちらに近付いてきた。


「プリシラさん? あまり片方に寄ると……」


 俺がそうたしなめる声も耳に入らないように、何やらおもむろに夢中になったプリシラは、目をつぶり俺の身体の匂いを嗅ぐようにした。

 両手を舟板に突いて自分の前傾になった身体を支え、顔を俺の……、ジョセフィーヌの胸元に寄せてくる。


「確かに、ジョゼの近くにいるとなんかドキドキする感じがするのよねぇ。これが魔力ってことなのかしら。やっぱ、私ってばベスニヨールの血筋なだけあって、生まれつき魔法の素養が……?」


 その呟きによって、俺にはプリシラが何をしているのか大体分かったが、傍目に見ればこれほどいかがわしい姿はない。

 案の定、岸辺からエミリーの甲高い声が聞こえてきた。


「プリシラさん!? 何をなされているのですか! そんなことをさせるために二人きりになるのを許したわけではありませんよ!? 信じられません! 破廉恥です! もうお戻りください!」


 その横ではパトリックが顔を真っ赤にして棒立ちになっている。

 俺はプリシラの肩を押して元に戻るように促した。


「エミリーがジョゼにベッタリなのも、もしかして無意識に魔力を感じ取ってるからかしら?」


 いや、それはどうだろうか……。


「そんなことよりも、お話しの続きを」

「そうね。魔法を使うと多かれ少なかれ魔力の痕跡が残るって話。あと、実際に消費される魔力量よりも空気中から多くの魔力が持ち出されて、発動した後に余った分が返って来るってイメージね。分かる?」


「はい。なんとか」

「今、ジョゼの身体に起きてる現象も、多分それと同じで、揺り戻しが起きてるのよ」

『揺り戻し……』


「ということは、魔力の漏出は、じきに収まるということでしょうか? 何もせずとも?」

「理屈で言えばそうだけど、その揺り戻しがどれだけの時間続いて、どれほどの規模で起きるかは見当も付かないわ。時空を超えて人一人を転移させる魔法なのよ? 一体誰がそんな凄い魔法を構築したのかしら?」


「ベスニヨール家にはそういった魔法は伝わっていないのですか?」

「ないない。あるわけない。途方もなさ過ぎて誰も考えたこともないでしょうよ」


 だとすると、やはりミスティの仕業だろうか。そんな凄い魔法をミスティが?

 確かにミスティは自分一人で新しい精霊魔法の使い方を考案するほどの、村の精霊使いたちの中でも特に卓越した才能を持ち合わせていたが……。


「まあ、これから戻って来るはずの余剰の魔力がどれほどなのかは知る由もないけど、そのとき使われた魔力の総量なら分かる」


 その事実はプリシラにとっても、かなりの衝撃として受け止められているのだろう。

 俺がしっかり理解するための間をたっぷり取った上で、彼女はこう続けた。


()()()()()()()()()。この世界の魔力が完全に枯れてしまったのは……、ユリウス、貴方が百年の時間を飛び越えて来たのが直接の原因なんだわ」


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