さるかに合戦
ある沢のほとりに仲睦まじいカニの一家が住んでおりました。
カニの子どもたちは川に遊びに行き、カニのおっとうは畑仕事に行き、カニのおっかぁはせんたくをしていました。
沢はいろんな生き物と色とりどりの小石ときれいな水でいっぱいで、子ガニたちはおいかけっこをしたり、相撲を取ったり、メンコやベーゴマで遊んだりしてました。
「おまえたち、あんまり遠くに行くんじゃないよ」
カニのおっかぁが布を絞りながら声をかけます。
子どもたちは休むことなくはしゃいで追いかけあいながら、おっかぁにわかったと大声で返事をしました。
「やれやれ。これは随分と立派な大木だ」
おっとうは畑を大きくするために気を一本切り倒しました。
「木で机も家具も作ったし、薪も沢山ある。そうだ。杵を作ろう。こんな立派な木でこさえた杵なら、さぞ美味いもちが食えるだろう」
おっとうは汗をかきながら小さくニッコリとほほえみました。
「さて、休憩だ。」
おっとうは塩の効いた大きな大きなおにぎりと竹で作った水筒を取り出しました。おっかぁが出かけるときに持たせてくれたものです。
「ちゃっ…ちゃっ…もっちゃもっちゃ…」
カニは塩の効いたおにぎりをむさぼり、合間合間にすするように水筒のみずをのみました。
「うめ…うめぇ…ちゃっちゃ…もっちゃもちゃ…」
「おう、美味そうなもん、食ってるじゃねぇか」
知らないものが、突然、話しかけてきました。
よそ者です。体中にびっしりと茶色の真っ直ぐな毛が生えていて、顔は長く赤らんでそこだけ毛が無いようでした。
腕は4本。姿は猫が一番近いでしょうか。
後ろ足で体を支えて起き上がると、前足をぶらーんとたれ下げました。
「なんだ。それ」
それは前足の片方をこちらに向け、更に指を一本だけ伸ばし他は握り、こちらにぐいと向けてきました。
「…にぎり…めしだが?」
怪しいものに気圧されまいと少し睨みつけながらカニは答えました。
「にぎり…めし…」
それはふしぎそうな顔をしながら、こちらの言ったことをつぶやき返しました。
「にぎり…めし…」
「そうだ。にぎりめしだ」
「にぎりめし…
にぎりめし、くれ」
それの唐突な問いにカニは驚きましたが、息を吸って落ち着こうとしました。
奪いに来るかもしれない。
必死なのか?空腹なのか?戯れなのか?それとも頭がおかしいやつなのだろうか?カニはそれを観察しながら、すぐには襲ってこないだろうと、それの腹も減っていたとしても倒れるほどでは、三日三晩食っていないというほどではなさそうだと判断しました。興味本位で聞いてきているように見えました。それに何かしてきても、カニには立派で大きなツメがあり、やっつけることができるのです。
「やれん。午後も力仕事でな。めしは譲れんのじゃ」
「にぎりめしというものは、食うとちから出るのか」
それは半身乗り出してくる。
「…まぁ、出る」
「にぎりめし、くれ」
「…」
ことによったらこのツメを使うことになる。
カニは取っ組み合いになる覚悟をして、深く息を吸って吐きました。
「やれん」
「そうか…」
それはそう言うと、畑の周りを物色するように眺め回したあと、前足をついて、四本脚になり、駆けて山の奥へ去っていきました。
カニはそれが視界から消えたのを確認すると、午後の畑仕事に入りました。
「そいつぁ、猿よ」
夕方訪ねてきた猫がまたたび酒をちびちびと舐めながら言います。
猫が自分で育てた栗の木に良い実が成ったというので土産に持ってきたので、囲炉裏で焼いて食うことになったのです。小さな小石の入った鉄網の中に栗を入れ、ひっかき棒と厚手の手袋で動かしながら様子を見ます。
「さる」
「そう。猿。おい。おまえたち、あぶないからよく見てるんだぞ。栗はこうして食うんだ」
猫は子ガニたちにそう言いながら器用に栗の殻の上下に力を入れると、パキリと音を立てて割りました。
「おお、あつい」
ゆびをぺろりと舐めながら、猫は器用に栗を取り出し、はふはふっと熱そうに食いました。
「やってみぃ」
猫にそう促されると、不思議そうに眺めていた子カニたちがその二股の大きなカニの爪で栗を割ります。
「殻を割るのは、やっぱりおめ達の方が上手えなぁ…で、猿よ」
「知っているのか」
「たまに見る程度だな、話したことも…一度あったな」
カニは猫にまたたび酒を注ぎながら、目で促す。
「栗をくれ、って言ってきたんだよ」
「栗。栗か、おまえのとこは」
「そう。栗だ。やらんぞと言ったら、山にフケて行った。それきりよ」
猫はその晩は泊まると、翌朝、栗のお礼に野菜と握り飯をもたされて帰っていった。
カニはその日も畑に行って、石をどけたり木を抜いたり切ったりしていた。
日が高くなり、汗を拭い、木陰を見るともう真昼の影の差し方だった。
畑の隅の小道の脇にある木陰の岩に腰掛けて、包みから握り飯を出す。
「うめぇ、うめぇ」
はっ、とカニは顔を上げる。畑の小道の向こうに歩いているのは、猿だ。
「うめぇ、うめぇ」
猿は白い何かを食っている。
なんだろう。
何を食っているんだろう。
めしだ。握り飯だ。
「うめぇ。うめぇ」
さるは大きな大きな握り飯にかぶりつきながら食っている、
「おい。その、食ってる、その、その握り飯はどうした」
猿は突然声をかけられ、キョトンとした顔でカニを見た。
「うめぇ うめぇ」
「そいつは、今朝猫にやった握り飯だ。こんな山奥に住んでるのはおらの家しかね。握り飯持って上がってくるような場所ではねぇし、おめは野営する道具をなんも持ってね。なんでお前が猫にやった握り飯持ってる?!」
さるはそのまま歩いて、去ってしまいました。
猫どん!
カニは畑仕事を投げ捨てて、猫の家に行こうとしたところを踏みとどまり、一度家に行き家族に戸締まりと猿への警戒を言ってから猫の家に向かいました。
栗の木が沢山ある家です。
戸は開いてますが、ひとけがない。
ぶーん、ぶーん、ぶーん、ぶーん
ハエが大量に飛んでいます。
カニは鼻も目も耳も特別優れているわけではないので直接はわかりませんが、もう、覚悟はできていました。
ぶーん、ぶーん、ぶーん、ぶーん
猫には嫁も子供もいたのですが、囲炉裏や屋根裏、裏手に栗の木の下、みな、無惨に亡くなっていました。
それから、もう猫の葬儀が済んでどれくらいでしょうか。
カニが畑仕事を一段落終えて塩のよく効いた握り飯を食っているときでした。
「くれ、くれ。握り飯、くれ」
猿がやってきたのです。
「やらん」
すると猿は困りつつも少し嬉しそうに見えました。
「タダとは言わん」
じゃらら…っとひとつかみ。手に持っていたのは少し縦長の茶色で…見たことのない…
「これはなんじゃ?木の種か?」
「その通り」
猿はもう一つ何かを取り出したかと思うと、カニの前に差し出してきました。干からびたなにかの木の実のようです。
「“柿”という」
「かき」
「そうだ。こうやって干して食う木の実で、柿と言う」
不審がるカニを納得させるため、猿は干し柿を半分に割いてその半分をカニに差出し、手元に残った方の割いた部分から種を取り出して、カニに見せてやりました。
「これが柿の種だ。植えて木が育てば秋に実がなれるようになる。食うてみ」
そう言いながら猿は割いた干し柿を食い始めました。
カニは猿をじっと見つつ柿をひとくち食ってみました。
頭の中で何かが弾けたような感覚に襲われ、唾液が土砂崩れのように口内に押し寄せて口の中で大波を起こしたようでした。
「んーーーーッ!」
「美味いか?」
猿が聞きます。
「…な、なんじゃぁぁ、これぇは…?」
「驚いたか?わしも最初はえらく驚いた」
猿はもう一つ、丸々一個干し柿を渡してきました。
「やる」
そおっと手を伸ばし、ガシッと掴むと、まるで真夏に3日間水を飲んでなかった者が水にありついたかのようにガブガブと食べてあっという間に食べ終えてしまいました。
「いい食いっぷりだ」
そう言いながら猿は柿の種をじゃらじゃらと渡してきました。
「植えて、実が成るまで七年」
「七年」
「まともに収穫できるようになるまでという意味でな。小振りで少数ならもう少し早くても採れる」
「ほぉ…」
「幹はこんくらい」
猿は自分の胴体を指して言いました。
「種はいま全部でそんだけだ。一本二本では枯れたり折れたら困るからな。方々に植えておけ。あとこれ」
猿は藁で数珠つなぎに下げた柿をカニに渡しました。
「柿は生のままだと渋くて食えんものがある。だがこうして軒先に干せばこのようなうまい干し柿になるぞ」
カニは大量の干し柿を頭の中で想像しながらよだれを垂らしそうになっていましたが、ふと猿の顔を見て我に返りました。
猿もまた腹をすかした顔で握り飯を見ているのです。
見られていることに気づいた猿はカニに言います。
「これもやるから握り飯、くれ」
カニは唖然としながらもうなずくしかありません。
こんなに貰い物をして、将来は柿だらけで、握り飯くらいならいくらでもと思いました。
「やる。けぇ」
サッと猿の手が伸びると、握り飯をむんずと掴んで口の中に押し込み、むっしゃむっしゃと食べていきます。
よく効いた塩が疲れ切った猿の腹に染み渡り、腕に、頭に、足に、腰に、力がみなぎってくるのがわかりました。
「おぉ!うん…めぇ!!」
目を見開けるだけ見開いておにぎりを見つめ、呼吸を忘れる勢いで食べきり、食べ干しました。
「握り飯。おぉ、こんな美味い食い物は他に無い」
猿は目を閉じてしばらく深呼吸をしていましたが、目を開けると
「馳走になった。行く」
「もう行くのけ?」
そう聞くカニに、柿は7年、うまく育てろ、渋ければ干して食えと伝えて去っていった。
ある年のことです。
山向こうで数週間ほど、人間同士が激しく争うときがありました。
少し育ってきたカニの息子がカニの親父におんぶされながら聞きます。
「親父よ、山向こうがほの明るいがあれは何じゃ?」
「あれは、人間同士がやる合戦じゃ」
「かっせん」
「そうじゃ。どんなものも争いや喧嘩をするが、人間ほど大規模に暴れるものはない。人間の中でも喧嘩専門、縄張り争い専門の者がおってな。武者という。人間の中の武者同士のやるなかでも大きな縄張り争い。それが合戦じゃ」
「人間同士の縄張り争い。その中でも武者のやる縄張り争いが、合戦」
「そう。合戦じゃ」
「合戦の人間の武者たちはこっちには来ぬかえ?」
「んん、まず来んじゃろう。ここは人間が取り合うには地形が悪いでな。昔から人間が住み着いたことも、合戦に使われたこともない土地じゃ」
翌日。
カニの親父か畑仕事をしていると、聞き慣れない物音がします。
何かが次々に破裂するかのような音が続き、それが次第に近づいてきた。
なんじゃなんじゃとあたりを見回すと、大きな黒い塔のようなものが立ってきているではありませんか。
「親父ぃ」
息子の声が聞こえてくる塔のてっぺんの方を見ると、子ガニが塔の上に立っております。
なんじゃそれはと聞こうとしたとき、息子の両脇にある尖った塔の飾りのようなものが震え、ぶるるっと生き物の声とも息ともつかぬ音が聞こえてきました。
「親父ぃ。面白いものを見つけた」
カニの親父は肝の潰れるほど驚いておりましたが、よくよく見てみると
「馬か!遠くでしか見たことはなかった」
馬は少し自慢気に鼻を鳴らします。
「はじめまして。私は先の合戦に参加していた最中、人間とはぐれた馬です」
馬は人間の里に戻っても、飯をくれていた人も亡くなったし戻りたくはない、ここで暮らせないかと相談してきました。力はあるので畑の手伝いはできるし、馬糞は堆肥にすれば畑の栄養になり、乾かせば燃料にもなると言います。
「いいともいいとも」
カニは畑を切り開くために切った木を使って立派な馬小屋を建ててやりました。
馬はよく働きカニの暮らしは随分楽になりました。
「これはなんの木ですかな」
ある日馬が聞いてきたものを見に行くと、それは数年前植えた柿の木たちでした。
握り飯と交換で猿から種をもらったと馬に教えました。カニと馬、ふたりで木を眺めていると小さな青い実が成っています。
「なるほどなるほど。柿なら1度か2度ですがお侍様から食わせてもらって食ったことがあります。とても甘くて美味いですぞ。木がもう少し育てば実も大きく育つようになります」
カニは馬の言葉を聞いて木を見上げながらワクワクと喜びましたが、急に天が回ったかと思うと地に伏していました。
「すみません。私の馬糞で転ばせてしまいましたか」
「たいそう驚いたが下がやわらかい土で良かった」
「親父はそそっかしいな」
子ガニが笑います。
「あぁ、ついつい柿の木に見惚れててな。上にあるものに気が行ってて足元がおろそかになっていた」
冬。
正月は餅つきです。以前畑を広げるときに切った木を使って作った立派な臼と杵。二人は力を合わせて一生懸命餅をつきました。
「うまいうまい」
「うまいうまいぞ」
腹いっぱい食いました。
「こんなうまいものを腹いっぱい食える。いい正月だ。ありがとう臼と杵」
臼と杵は湧き上がる拍手に手を振り、ペコペコとお辞儀をしました。
二人には互いにこの相棒となら何でもできるという信頼と結束がありました。
春先ことです。
ぶーん、ぶーん。
ハチがやってきました。大きなハチです。
「こんにちは。ごめんくださいまし」
何かの声にカニのおっかあが戸を開けるとそこにいたのは女王バチでした。
「折り入ってお願いに参上いたしました。突然なのですが、軒下に巣を作らせていただきたくてご挨拶に参った次第です」
そう言うとスズメバチは風呂敷から油紙の包を出しそれを広げると、金色に輝くねっとりとしたものが溢れている朽ちた木材のようなものを出してきました。
「ハチミツです。どうぞ皆さんでいただいてください」
なんでもハチという生き物は花の蜜を集めるのだそうで、土産としてその塊を持ってきてくれたそうな。
「巣の部分はいただけませんので吸ったら捨てていただいてください」
そういった食べ方を色々教えてくれた女王バチでした。
畑の野菜や果実の木の受粉をしてくれると言います。
「柿の木も成りやすくなるか」
カニの一家はハチの巣づくりを認めました。
ハチは大喜びで礼を言うと更にたくさんのハチミツを瓶ごとくれました。
「ハチミツは糖分が強くて腐りませんので、この瓶の中で保存してください」
子ガニは特に大喜びでした。
それから何年たったでしょうか。
ある年の、秋。
冬が段々と迫る中、柿の木はついに大きく、赤々とした大きな実を生らしてくれるようになりました。
「これまで長かったなぁ」
思い出深く見上げたあと、カニの親父は柿の木を取りに登ろうとしました。
ですが、
「きゃああ」
途中まで登ると転げ落ちてしまいます。
どうしたものか。
別に馬たちに力を貸してもらえばなんとかなるのでしょうが、いち早く味見をしてみたかったのです。
「お困りかな」
カニがその声に振り向くとそこには老いた猿がいました。
「久しぶりだな。カニどん」
おお!と久しぶりの再会に喜ぶカニでしたが、猿は柿の木をじっと見上げています。
「生ったか」
カニの子供らはかくれんぼ、カニのおっかあは裁縫をしてましたが、
何か聞いたことのない轟くような大きな叫び声と物音に震え上がりました。
「畑の、柿の木の方だ!おっとうが行ってる方だぞ」
カニの一家は一斉に柿の木へ向かいました。
ところがカニの末っ子はたまたまハチミツの空になった瓶の中にかくれんぼでかくれていたため、しばらくして誰も探しに来ない、かくれんぼはワシの勝ちだぞと威張るために瓶から出ても周りには誰もいない。
臼に聞くと杵は血相を変えた兄カニに握られて行ってしまったと言います。
ハチも何割かが居なくなっている様子です。
何が起こっているんだ。
末っ子カニの鼻に酸っぱいような、変な臭いと生臭い臭いの混じり合った臭いがしてきます。
一つの臭いは、ふざけて釜を舐めた時の味に似ている。きっと鉄の臭いはこういう臭いなんだろうと思いつつ家の周りをあちこち探しました。
すると柿の木のところへ来たときです。そこには凄惨な光景が広がっていました。
カニの家族たちは父も母も兄も姉も割られたり食われたあとになっており、杵は折れ、もう声もしなくなっていました。ハチたちも握りつぶされたり踏み潰されたりしており、痛ましい光景に末っ子カニは力なくへたりこみました。
馬はどこにもおりませんが、おそらくあの大量の血溜まりとその血の跡が引きずられていったあとを見ると、食われていると思わざるを得ませんでした。
すると、生き残りのハチが末っ子カニに気づいて声をかけてきました。
「サル、猿が、柿で、みんなを…」
「しっかりしてくれ!あ…あぁ」
「あしたぁ…明日ぁ…までにぃ…必ず…必ず…来るぞ」
生き残りのハチは腹が潰されており、もうそれ以上話せませんでした。
ガサッ
音がします。
振り向くと殻を砕かれた姉カニがかろうじて息をしています。
「猿が、猿がやったのか姉さん!」
「猿、猿さん、明日戻って来る、私の…私の赤ちゃ…ん…」
そう言いながら食われてなくなっている腹の卵のあたりをさすろうとして力なく空を切り、ポタリと腕が倒れました。
「姉さん…姉さん?姉さああああん!!!!」
悲しみや恐怖よりも、目の前に広がる悲惨な光景を見ると、この遺体の山をどうすればいい、埋めるのか?といったやらなければいけないことで頭の中がギュウギュウになって破裂しそうでした。
「どうしようどうし…どうしようどうよう…」
明日来る。
明日戻ってくる。
猿が。
みんなを埋めてやっても掘り返されてしまうだろうか、それでも埋めるべきだが、俺はどこまで逃げればいい。猿がやってきそうにないところ…
…?
遠くで怯えて暮せばいいのか?
いつまで?
殺すか?カニを?
そうしたら討ち死にだ。
傷一つつけられず殺されるだろう。
それはあまりに悔しい。
百匹千匹子供を作って皆で襲おうか?いや、説得を聞いてくれるなら別の沢や村のカニをかき集めればいい、そのほうがまだ現実味もあるし早い。他のカニをどう説得する?みんなも襲われるぞと焚き付ければいいか?そんな恐ろしいことしていいのだろうか?いや、猿は居て、現にこうして襲われたのだ。他のカニも安全とは言えない。しかし百匹も無理だ。五十、集まるだろうか。集まるだろうがそれは力にならない子供と老人も足すことになる。
どうする?
来るのは明日なんだ。
明日、猿が再びやってきてここを襲う。
何より時間がない。
頭を冷やすため、遺体はそのままに一度家に戻りました。
ハチたちが言います。
「騒ぎのとき向かった皆は戻ってきませんでした」
臼が言います。
「杵にもなにかあったんだな?なにか、相当なことがあったんだな?教えてくれ」
「なんじゃ?なんじゃ?」
猫から貰って育てていた栗の木から採れたカゴいっぱいの栗が驚きます。
かくかくしかじかとカニは話しました。
みな驚き震え泣き怒りました。
「猿は明日来る」
誰ともなく言ったあとに沈黙が続きました。
皆考えているのです。
「猿を殺そう」
どうやって?相手はあれ程の惨劇を行える相手。敵う相手ではないと、一矢報いる、相討ちしてでもと語り合いますが結論が出ません。
「俺はこの場合、滑って転ばせるくらいしか能がねえ」
黙って聞いていた馬糞が突然話し始めました。
みんながいたのかと馬糞を不思議そうな顔で眺めたときです。
「俺だって俺をひり出した馬がやられてんだ。なんかさせろ」
なんかさせろと言われてもな。臼は重く硬いので坂や崖から落とせば猿を殺せます。ハチも即死はさせられなくとも生き残りの大人のハチみんなで刺せば殺せるかもしれません。カニは目を突いたり喉をちょん切ったりできます。
栗はおらは何もできねえなみんなと違ってとため息ついてにさん個囲炉裏の火にあたりました。
馬糞は言います。
「俺は…馬糞だ!ウマのクソだ!肥料になる?乾かせば火の種になる?そんなのうわべだ!おらは糞だ!糞として生まれてきて、それで全部だ。おしめえだ!こんなみじめなことがあるか!俺に…お、おれ、俺に、さ、猿を殺させろ!そしたらおいらはもうただの糞じゃなくなる。あいつを殺せるような怖いやつって思ってもらえる。強いやつになれる!怖がられる!そう思ってもらうその間は、俺はただの糞じゃねえ。おめえらにわかるか?おめえらは人生いろいろあったろう?遊ぶとか悩むとか逃げるとかふさぎ込むとか、でも俺の人生は全部糞でそれが全てなんだ!生まれからして糞、人生糞そのもの。おめえらがどんなに自分を惨めだ虚しい思っても、糞そのものにはなんねえだろ!こんな惨めなことはねえよ!俺をいっときでいいから糞以外の何かにしてくれ!なるんだ!俺は死ぬ前に糞以外の者かになるんだ!」
「わかった。わかったから。…お前をなにかに役立てよう」
「でもこいつは殴ることも刺すことも毒もなんにもねえでねえか。転ばせるなんて都合よく行くか」
「待ってくれよ!今そういうふうに騒ぐときじゃない」
騒動の中でカニは考え込んでいた。
「…そうだな。そうだ。馬糞。お前はいいことを言ってくれた。俺はな、俺の人生地獄だと思っていた。猿に柿ごとき因縁で両親を食われ、今こうして猿に怯えておびえている。情けない。こんな情けないカニはいない。馬糞、おまえは馬糞以外のなにかに成れ。俺は、猿殺しを通じて、猿殺しを成し遂げることで、カニに戻る」
皆が納得しかけてたとき。
バチン!
ぎゃああ!
叫んだのはハチでした。
「もう!大切な話をしているときに!私がハチでなければ避けられなかったですよ今のは」
「すまねえすまねえ。ついうとうとして火に当たりすぎちまってた」
音の正体は日の熱で爆ぜた栗だったのです。
「あ」
突然目を見開いて頭に手を当てるカニにみんなが心配しました。
「栗が当たったかえ?」
その言葉も頭に入らないのかしばらく無視した後、カニは叫びました。
「…思いついたぞ」
合戦
遠くで悲鳴が聞こえました。
馬の悲鳴です。
斥候のハチが言うには、血まみれの馬が力尽きて倒れたのを、猿が数回叫んで叩いてもピクリとも反応しなかったため、自分の足で走って向かってきているそうです。
皆深呼吸をして配置に付きました。
猿がおもむろに戸を開けると、すぐに囲炉裏の火に気づいて近づきます。
「子ガニいるかぁぁぁ!居たら返事しろぉぉぉお!!!居たら…」
ぱちぱちと囲炉裏の音が聞こえるのみです。
「血の匂いもしねぇ…」
バチン!
気づくと猿は軽く肉を削られるような頭の芯にまで来そうな痛みを感じたのです。
「なんじゃあ!?なんだあ!」
叫んてその何かを振り払っていると、火が消えたのか周りがよくわかりません。
火鉢のそばでなにかあったので火の粉が飛んだ火傷かもしれない。今までこんな経験は無いが他に思い当たるものもなく、土間に行き水瓶の水を浴びようとします。
すると、
「ぐっ…があっあああ!!」
何匹ものハチに刺され続けているではありませんか。
息の浅く痛く苦しくなってきた猿は、一度カニの家から出ようと僅かな明かりを頼りに玄関に着くちょうどその時、後頭部や背中や腰を激しく打ったのに気づきます。地に足がつかず、倒れたのかと気づく間もなくとても重いものが勢いよく腹の上に落ちてきてその衝撃で口の中からなにかが押し出され、鼻や目や耳も何か下から突然とてつもない力で押し出されたようでした。
何かにころんだあと、なにか大きなものが腹の上に落ちて…そうか…これは死ぬというものなのだろうな。
猿が息浅くそう思っているとき、視界にカニが映りました。
手を伸ばしてみましたが腕が全く動かないことにようやく気づきました。
「家族の仇。みんなの仇。今とどめ刺すぞ」
迫ってくるカニが言います。
頼もしいものだ。猿は思いました。
そのカニの手が迫ってきました。
カニは猿の頭に乗りをしげしげと目を見つめたあと、首元へ移動していきました。
強くつままれるような感覚が何度も起きます。
視界が真っ黒になり、衝撃だけが伝わり、衝撃もわからなくなり、最後に少しちょきんちょきんと音だけ聞こえていましたが、それも消え、それを聴いていた自分自身も消えました。
猿は死んだのです。
猿退治から数日後のこと。
それまで見たことのない大犬が近くに現れるようになりました。それどころか、ただでさえ大犬に恐れをなしているのに、半月もしないうちに熊も現れるようになっていました。
エビが襲われ、サンショウウオが倒され、うさぎもイタチもタヌキもやられました。
しかし不思議と柿の木のある家へは来なかったのです。
猿とカニが出会った日
「カニどん。カニどん。この木にはな、大きく育つと邪気を祓う、ちからがある。山犬に熊まで出てくるようになった。そういったものも祓う。この木をな、大きく育てて息災に生きてくれ」
「では一日も早く育たんといかんな…よし…早く芽を出せ柿の種!出さねばハサミでちょん切るぞ!」
カニは歌いました。
「何じゃその歌?」
「わしが作った。今作った」
「ひどい歌じゃのう」
「そんなに酷いか?」
「酷い。酷いが、これは伸びそうじゃ」
「「早く芽を出せ柿の種!出さねばハサミでちょん切るぞ!!」」
終