最終話 猶崎君と芳野さん
ついに学園祭当日がやってきた。
僕達のユニット『リトルバードケージ』の前に演奏するのは、小池君達のバンド『マネキワニ』なのだが、その出番直前にステージ脇で小池君が固まっていた。
猫背になっているせいか、いつもの彼より小さく見える。
「どうしたの?」
「お、おう……猶崎か。なんか、この雰囲気は初めてで……」
「大丈夫だって。普段から注目されるのには慣れてるだろ?」
「チームスポーツの時の視線は流動的で、凝視する感じじゃないからな。お前らにライバル心を燃やして、こんなことやらなきゃよかった……」
「せっかく練習したんだし。演奏が終わったらモテモテが加速するって」
「そ、そうかな……芳野はどう思う?」
「私はジャンルが合わないから、無理」
「そういう問題かよ!?」
「音楽性の一致は大事よ? 合わないとバンドも解散するし、夫婦も離婚よ」
「なんか、どうでもよくなってきたよ……やっぱお前、変わってるな」
「失礼ね。私は巧巳が居てくれるからいいんですー!」
「好きなだけ夫婦万歳してろよ!!」
「しますー」
演目が変わってるんだけど……。
小池君が半ばヤケクソ気味にステージ中央へ移動すると、黄色い歓声が上がる。やっぱりモテモテが加速しそうだな。
寄せ集めバンドでも迫力のある演奏で、小池君のアコースティックギターも様になっていた。
やがて演奏が終わり、ステージ脇に下がった小池君とハイタッチする。
上気した顔は、やり遂げた充実感に満ちていた。
出来る人は何をやらせてもそつなくこなすが、相応の努力もしている。
僕はどうだろう……この短期間で、やるべきことはできたのだろうか?
ステージに向かう直前。こちらを振り返った芳野さんが、人差し指で僕の眉間をぐりぐりとやりながら、不満げな声で言う。
「あのね? 成功とか失敗とかどうでもいいから。楽しみましょう」
「うん。僕は才蔵として、芳野さんが楽しめるように――」
「名前」
「いやそのあの…………ふ、史佳のために頑張るよ」
「才蔵なんて人は知らない。巧巳と私、二人で楽しむの。分かった?」
「はい……僕も楽しみます」
勝てるわけがない。彼女は僕を見下ろす女神様なのだから。
小池君のバンドのおかげもあって、客席は満員だ。
安物のギターをぶら下げた僕は、ライトの当たらないステージ後方に立つ。
傍らに機材の乗った机が置かれているだけで、マイクは無い。
机上には私物のタブレットと、オーディオインターフェース。
ギター、ベース、ドラム、装飾音を、それぞれステレオアウトでPAに送る。
足元にはレコーディングにも使っている、コンパクトなアンプシミュレーター。
たったこれだけの機材で重厚な音を奏でられる。音楽って面白い。
スポットライトを浴びる芳野さんのギプスには、同級生のラクガキ――ではなくサインが沢山書かれていて、衣装は残念ながら学校の規定で制服だが、足元だけは鮮やかなブルーのハイヒールだった。彼女のギターと同じ色だ。
怪我してるのに、大丈夫かな……。
やがて体育館の照明が落とされ、PAから『いつでもOK』の合図が来た。
一曲目はアップテンポの曲で、場内は一気にヒートアップ。
僕のギターは、とにかくリズムだけはズレないように特訓した。
二曲目はややミドルテンポだが踊れるぐらいのBPMの曲なので、観客の雰囲気も悪くない。抑揚の少ない独特のボーカルにも慣れたのか、体を揺らしながら聞いてくれている。
そしてMCタイム。
二人ではメンバー紹介もへったくれもないので、『集まってくれてありがとう』程度で終わる予定だ。
ところが――
「ここで発表しまーす! バンド内恋愛は御法度ですけど、私達はただのユニットなので問題ありませーん!!」
芳野さんは何を言ってるのかな!?
会場は大盛り上がり――するはずもなく、「え……」という男子の反応もある。
当然だろう。多くの男子生徒にとっては、ただの残念なお知らせなのだから。
気にせず芳野さんは続けた。
「今回、私は歌う以外なんにもしてません。つまり、私なんか居なくたって彼一人だけで、これだけの演奏を作ってしまえるんです。羨ましいでしょー?」
『芳野さんと才蔵ファンクラブ』からブーイングが飛ぶ。
「あと一曲が終わったら、丁度カップ焼きそばが水でも柔らかくなる時間です」
「なんの話だよ!?」
客席からツッコミが入る。
当然の反応だが、彼女は水で作るカップ焼きそばに一家言ある変人なのだ。
「次の曲が終わったら冷たいカップ焼きそばを食べる予定の人は、ウチのクラスの『深海本格手打ち蕎麦』を食べに来なさい!! アツアツだから。ね? 巧巳」
僕に振らないで!?
「彼も『俺のハートよりアツアツのグラグラに煮え滾ってるぜ!!』と言ってます」
蕎麦はそういう料理じゃないよ!?
「茹ですぎて細切れになっちまえーっ!!」
ひと際大きな声で蕎麦野次が飛び、賛同の拍手が鳴る。
だが芳野さんは、その声の主とは違う人物を睨みつけた。
視線の先には、生徒達と一緒に拍手する彼女のお父さんの姿が……。
この変な空気を打ち消すために、次の曲をスタートさせた。
タイトルは『セレンディピティ』――ネットにもアップした芳野さんの曲だ。
客席が混乱しながら盛り上がる中、僕は深呼吸を一つ。
リハでも失敗したギターソロがあるのだ。他の曲はコードのカッティングだけで誤魔化した部分もあったが、この曲だけは完全再現しなければならない。
不思議と緊張感は無い。変なMCで脱力したのかも。
芳野さんの語り掛けるようなボーカルが途切れ、間奏に入る。
上手くなくったって構わない。今できる精一杯を聞いてほしかった。
フレットを見るのに必死で、前なんか見ていられない。
そしてなんとか『ぺにょーん』を回避したソロパートの終わりに顔を上げると、こちらを見ていた芳野さんが客席に振り向く寸前、何かひと言呟いた。
マイクを通さない無音の声。最後の母音は『i』だった。
演奏を終えて鳴り止まない拍手の中に、スマホで撮影する同級生や僕と芳野さんの両親、実行委員の面々や斉藤先生と華村先生の姿も見えた。
深く一礼してからステージ脇に下がる僕達に、歓声が飛来する。
「よかったぞー!」
「最高!!」
「楽しかったよ!!」
「ふーちゃん、大学受かれよー没収だぞーっ!」
「深海蕎麦食うぜー!!」
「深海蕎麦ってなんだよ!?」
「式には呼んでよねー」
「祝ってやる!!」
なんだかよく分からない声援も混じる中、芳野さんの親戚のお兄さんも来ていたようだ。入場制限が厳しいはずなのに、どうやってクリアしたんだろう?
とにかく、終わった――――
ステージ脇の暗がりで安堵の息を吐く。そんな僕を、いつもよりほんの少し高い目線で見上げる芳野さんの美貌も、やはり興奮で火照っていた。
「衝撃発表しちゃった!!」
「焼きそばの話……いる?」
「何よー。『みなそこや』の宣伝もできたじゃない!」
「そうだな。早く片付けよう。ご両親も『みなそこや』に来るのかな?」
「うん。お父さんには麺がブツ切れのやつを唐辛子マシマシで出すから」
「やめてあげて。早く行かないとアツアツが冷めちゃうよね」
ハイヒールを脱いだ芳野さんに「早く早く!!」と急かされながら、使用した機材とギターを父親の車まで運んだあと、『深海本格手打ち蕎麦屋』に戻った。
『みなそこや』も無事盛況に終わり、深海生物のオブジェやパネルの後片付けを手伝い、その後は軽い打ち上げにも参加。
程々のところで抜け出した僕達は、夜空の下を駅まで二人きりで歩く。
「明日は臨時休校だけど、明後日から大変だなあ……」
「公認カップルになっちゃったからね」
「いや、勉強の遅れを取り戻さないと」
「うう……」
「何?」
「さっきから、はぐらかしてるでしょ!」
「何を?」
「わ、私を見下ろせると思ったら大間違いなんだからね!」
「全然思ってないよ。だけど、腕が完治した頃はどうかなー?」
「このっ!!」
僕の脇腹を小突いて先を歩き始めた芳野さんは、人通りの少ない場所でこちらへ振り返り、また「背が高い!」と文句を言う。だから今回は反論してみた。
「ふーちゃんは背伸びしたい年頃なのかな?」
「こ、このっ!! 腕が治ったら覚えてなさい! ギターでギッタギタに――って、あんまり面白くないわね……これ」
「ぼ、僕が好きになった史佳は、そんなに暴れん坊だったかなあ?」
言い慣れない言葉に目が泳ぐ僕を見て、芳野さんは不敵な笑みを浮かべる。
「私におとなしくしてほしかったら、巧巳が低くなりなさい!!」
どんな脅迫だ。
少し体を屈めた僕の頬に、右の平手が軽く触れる。
彼女の眉は吊り上がったままだが、口調は柔らかい。
「『こんな僕が』とか『僕は才蔵役』とか、二度と言わないで。何もできなかった私が惨めになるでしょ?」
「僕はあんなに堂々と歌えない。もっと見下ろせるようになるよ。身長とか」
「それはやめて。……もっと顔を下げなさい!」
背伸びする姿が愛おしくて、僕は彼女を独り占めにしたいと思った。
小さく震える体に腕を回して引き寄せる――――そんなキャラじゃない。
けれど、この場面だけは彼女を上回らなければならない。
少し冷たくなった風が、季節の変化を告げるように吹き抜けていく。
その風がさらりと乾かした僕の唇は、まだ熱を帯びている。
芳野さんは見上げていた瞳を逸らして、その柔らかな唇をそっと撫でた。
くるりと身を翻した後ろ姿が呟く。
「まだ……あついね」
初秋の星空が、ぎこちなく歩く僕達を見下ろしていた。
これにておしまい。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。