表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

03 眠い芳野さん

 僕の説得に応じてくれた芳野さんは、クラスではなるべく接触しないようにしてくれたものの、お昼は『学園祭の練習』という名目で、ギター講習の時間になってしまった。これでは周囲の視線が痛い状況に、なんの変化もない。


 僕達のギターは、何故か保健室に置かせてもらうことになった。

 直談判に向かった芳野さんに理由を訊くと、『生徒が居る時は保険医も居るし、保険医が不在になる時は施錠するから』らしい。納得。

 明日からは芳野さんもソフトケースに変えるようだ。


「今日もソフトケースでよかったのでは?」

「昨日注文したのよ。スタジオに行くのが確定したから」

「ああ、なるほど。それならギターを持ってくるのも明日でよかったのでは?」

「私の筋肉痛の心配をしてくれてるの?」

「だから、そんなに重いなら明日で……」

「ん?」

「なんでもありません」


 早く見せたかったんだな……。


 昼休みはPC実習室の使用を許可してもらえたが、放課後の使用許可は下りず、学校外での練習場所はこれから考える。


「家でやるのが一番気楽よね。元々私は帰ってすぐ弾いてたし。あまり深い時間になると怒られるから」

「それで急いで帰ってたのか……でも、僕は同意しかねるかなあ」


 高嶺(たかね)の花の部屋で二人きりとか有り得ない――だが、そんなことを言っていたら話が前に進まない。


「外で迷惑にならない場所を探して、家で練習するのは雨の日だけとかは?」

「まだ梅雨も明けてないし、休日は? 昼は暑いし、汗で弦が錆びちゃうわよ」

「錆びるのか」

「外で弾いてて突発的な雨に降られたら悲惨よ? ギターに湿気は厳禁だからね。ピックアップとか回路も、水浸しになったらあの世行きだし」

「フレットよりも、空とにらめっこになりそう」

「虫もいるし。野外は危険がいっぱいなのよ。刺しにくるのよ? デングが」

「デングは虫の名前じゃないから……」


 雨と虫が敵なんだな。

 練習スタジオはお金がかかるので毎日は使えないし、ここは折れるしかないか。

 芳野さんの家のほうが学校から近いので放課後はそちらで練習して、休日は僕の家に芳野さんが来て練習することになった。


 そして翌日の昼食後――


 PC実習室の一角で、僕達はギターを抱えて向かい合わせに座った。

 担任の斉藤先生は立ち会わず、監視カメラの映像をスマホで見ている。

 元々盗難防止用に備え付けられたもので、先生のスマホでも見られるように設定したようだ。それが無ければ部屋の使用は許可されなかった。


「バレーコードは更に難しいストレッチコードを押さえるための伏線だから。今は投げちゃって大丈夫。それより、右手の使い方が悪いからペナペナ君なのよ」

「無駄な力が入りすぎてるのかな?」

「逆。腕がうねうねしすぎなのよ、タコペナペナ君は」

「誰がタコペナペナ君だよ!?」


 もう嫉妬の眼差しなど気にしている場合ではない。

 このままでは学園祭のステージに、タコペナペナ君が解き放たれてしまう。

 死ぬ――そして、たこ焼きの屋台に提供されてしまう。


「僕はまだコードも覚束(おぼつか)ないけど、演奏するのはどんなホラー音楽?」

「それだとみんな帰っちゃうでしょ……やりたいのはこういう曲よ」


 ずずっと椅子ごと前進してくる芳野さんとぶつからないように、ギターを右側に立ててネックを持つ。彼女が僕の左側に並ぶと、ふわっといい匂いが漂う。

 その掌にあるスマホから再生されたのは、身の毛もよだつホラー音楽ではなく、よく知らないジャンルの洋楽だった。

 ノイズギターの洪水の中を、抑揚の無いボーカルがゆらゆらと浮遊している。


「メンバー募集してる時間もないし、足りない音はDAWで作って流す。演奏技術の問題もあるから、どの曲にするかはこれからね」

「これって、なんていうジャンル?」

「この曲は『ネオサイケ』の分流の『シューゲイザー』ね。ポストパンクあたりの音って耳が疲れなくていいのよねー。リマスターで海苔音圧になったやつは駄目」

「何を言ってるのかさっぱり分からないけど、愛情だけは伝わってくるよ……」


 先程よりもテンポの速い曲に切り替わったが、やはり僕にとっては聞き馴染みのないジャンルだ。各楽器の音が溶け合うことなく主張して、刺さるように鋭い。

 次の曲は、まるでイギリスの『ウィストマンズ・ウッド』の中をランタン片手に彷徨(さまよ)い歩くような、幻想的な雰囲気がある。


 なるほど――彼女は『高二病』を(わずら)っているんだな。

 スマホを見つめながらそう思った僕の脇腹を、芳野さんが手刀で小突く。


「高二病じゃないからね! お父さんの影響で、子供の頃からいろんなジャンルの洋楽を聞いてただけだから。昔はちゃんと『音頭系』も聞いてたし」

「『温度系』? また不思議なジャンルだな……」

「『音頭』よ。こういうやつ」


 膝に乗せたギターを落とさないように、器用に両手を掲げてひらひらさせた。

 何故か真顔のままなのが面白い。


「音頭か。でもそれって、かなり幼い頃の話だよね?」

「うん。小学校高学年の頃から周囲とは話が合わなかった。日本のアーティストも聞くようになったのは高校からだし」


 それが『先輩の音楽リスト』と『上から目線』に繋がるのか……。


「僕も英語の曲はあんまり知らない。言葉が分からないと感情移入できなくて」

「『歌が無い曲で感動することはない』と言い切れる人以外は、バイアスだと思うけどね。最初から否定するための自己暗示状態って、私にもあるから」

「そうかもなあ……やっぱり音楽の話になると饒舌(じょうぜつ)になるね。芳野さんって」


 そう言うと、照れたのか()ねたのか複雑な表情になった芳野さんが、視線を電源の入っていないデスクトップPCに向けながら続けた。


「いろんなジャンルを聞くのが楽しかったから今の私になった。『無知そのもの』を娯楽にする人なんて居ないでしょ?」

「難解な表現だなあ。だけど、知ることのできる限界もあるよね?」

「そこは楽しめるかどうかね。『知らない曲をどれだけ聴けるか』とか考えたら、全然楽しくないし」

「ノルマみたいになるよな」

「だから、見ず知らずの他人にとっての名曲を、全部聞くのは不可能なのよ」

「確かに。一曲気に入ったからって、アルバム全部気に入るとは限らないよね」

「本でもそうでしょ? 膨大な量の中から何を選ぶかは、興味の範囲内だから」

「楽しさを求める限り、結局は主観で選んでるってことか……」


 そこまで深く考えたことはなかった。

 目に留まったものを見て、耳に入ったものを聞く。その意味なんて考えない。

 凄いな――芳野さんは。

 僕はこの不思議な人物のことを、もっと知りたいと思った。興味に意味を与えるのは自分自身だ。


「なんで上から目線がいいのか、少し分かったような気がするよ」

「そうそう。相手を染められるでしょ? 私の色に」

「さよなら」

「待って!? 今のは軽いジョークよ。ギター漫談の練習よ!!」

「なんの練習してるんだ……僕も冗談だよ。むしろ染めてもらいたいかな」

「主体性が無い。自分で決めなさい」

「僕はどうすればいいいんだよ!?」

「『芳野ベスト』を作るから、ちゃんと聞いてどれが気に入ったか教えて」

「それはありがたい。何から聞けばいいのかも分からないし」

「そして染まるのよ!」

「主体性が迷路に……」


 多岐亡羊(たきぼうよう)にならないように道を選択するのは、そう簡単なことではない。世界は未知に溢れているのだから。『なんとなく』で始めた僕にとって、芳野さんは暗い道の先で明かりを灯してくれる案内人だ。


 翌日の昼休み。

 芳野さんがサブスクで聞ける曲と、動画サイトにオフィシャルで上がっている曲のリストを渡してくれた。

 嬉しいけど、どう見ても寝不足の顔だ。一晩で用意しなくてもいいのに……。

 その日の斉藤先生のスマホには、机に突っ伏して眠る芳野さんと、離れた場所で音を出さずにコードフォームの練習をする僕の姿が映っていたはずだ。


 次の日は僕が寝不足で、PC実習室から『ぺにょーん』と力の無いギターの音が鳴り響く。


「一日で全部聞かなくてもいいでしょ……30曲もあるのに」

「いや、途中で寝ちゃって、また聞き直してたせいだから」

「それはそれで失礼ね!!」

「退屈なんじゃなくて気持ちいいんだよ。芳野さんのお薦め曲って」

「でしょー? 今日は放課後の練習は無しにして、帰って寝なさい」

「それだと二日続けて休みになるだろ?」


 昨日は僕が芳野さんに同じことを言ったのだから。


「だったら私の家で寝なさい」

「行く意味が無いよ!?」


 練習をキャンセルするつもりはないし、芳野さんの家では絶対に眠らない。

 放課後の練習は眠気と格闘しつつ予定通りのメニューをこなし、どうにか自宅に辿り着いた僕は、夕食もとらずに眠ってしまった。


 翌朝、父親から説教のあと「そこまで熱心に打ち込むのは珍しいな」と言われ、あらためて前のめりになるほど没頭していた事実に気付く。

 だけど、僕達は学生であってミュージシャンではない。芳野さんも学園祭の相方が必要なだけだ。


 心のチューニングも必要だ。僕は自分の立ち位置を再確認して、家を出た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ