8-まだ彼女のできないインストラクター
「こんばんは!」
「どうしたの?急に」
「いや、暇だったからさ」
杉坂はズカズカと部屋に入って来るなり、こたつに入った。
呼び方を変えてからか、杉坂と大輔と3人でかなり仲良くなった。とは言え遅い時間の急な訪問に、一言物申してやろうかと思った。
しかし、クリスマスの出来事以来、2人きりで話す機会はほとんどなく、少し気まずい感情があったために言葉を飲み込んでしまった。
「なんかあったの?」
「ホントに暇だっただけ」
なんだろう?何か隠しているような気がした。
「もしかして、また彼氏と喧嘩?」
一度こちらを振り向いたが、返事はなかった。
女の子とは難しい生き物だと改めて感じた。心配させるような態度をとるが、心配すると嫌がるのだ。かと言って、心配しなければそれはそれで機嫌が悪くなるのだろう。
バラエティ番組の○✖️クイズで悩んだ挙句に飛び込んだ先が、どちらも泥沼であるかのようだ。回避する手段などこちらには無い。
仕方なく俺もこたつに入り、テレビをつけた。
杉坂は一体何を考えているのだろう?彼女は俺に突然キスしてきた女の子だ。単純に考えたら俺に気があるのかと思ってしまう。だが早とちりをしてはいけない。
そうだ。俺は八角太一、理性と自制心の塊のような男。ここは落ち着いて行動すべきだ。
とは考えたものの俺も1人の男だ。ある程度の期待はしてしまうが……。
だが、杉坂の一言でその期待も一気に崩れた。
「実はね……。喧嘩してた彼と別れて、別の彼氏ができたの」
杉坂はまっすぐテレビを見つめながら話した。
「えっ?そうなの?」
杉坂の切り替えの早さに対する驚きが、素直に現れてしまった。
「展開が早いな!でもまぁ、次の相手が見つかってよかったじゃん」
杉坂は先ほどと同じように、一度こちらを振り向き、不満そうな表情を見せたが、返事もせずに視線をテレビに向けた。
「なんかさ、太一が彼女できない理由がわかった気がする」
「えっ!まじで!」
俺がこの21年かけても解けない謎が、出会って数ヶ月の杉坂に解かれてしまったらしい。
「んー。女心が理解できてない的な?はっきり説明はできないなー。なんとなくだから」
もてあそばれているのか、何なのかわからないが、俺が喉から手が出るほど欲しがっている情報は彼女も明確に理解した訳ではなさそうだ。
「で、何でウチに来たの?」
「暇だっただけだってば」
ここまで暇だからと言い張るのなら信じるしかないだろう。
「そういえば太一さ、あのお客さんとはどうなったの?」
「今度2人で遊びに行くよ」
「……そうなんだ!頑張ったんだね」
「でもちょっとびっくりしたことがあってね……」
それから大輔の話をした。俺を差し置いて付き合ったという話ではなく、短い期間で付き合ったことに驚いたという話だ。話し方によっては勘違いされてしまう場合もあるかもしれない。
「そうなんだ。大ちゃんがね……。でも、そうだね。何というか……。嬉しい話だけど、太一的には複雑な感じだね。でも、大ちゃんも悪気がある訳じゃないんだろうしね」
どうやら俺の話は上手く伝わったようだ。
「でも、太一はやばいんじゃない?」
「なにが?」
「んー……。これは私の女の勘でしかないんだけど……。大ちゃんが付き合ったのに、太一がこの状況ってまずくない?」
「俺の進み具合が遅いって話?」
「それもあるかもしれないけど……」
大輔と俺の比較について、気にしていたところは進展の速さだったのだが、杉坂が気にしているのは別のことらしい。
「坪川さんとその友達は仲良いでしょ?太一と大ちゃんも仲良いでしょ?」
「うん。そうだけど?」
「それで、大ちゃんと友達が付き合ったんだよね?じゃあ、太一と坪川さんが付き合ったら4人の関係はすごく円満になるはずだよね?」
「そうだね。ん?それで?」
杉坂が何が言いたいのかまだわからない。
「だからね!もし、坪川さんが太一に好意があれば、あっちからもアクション起こしやすい状況なわけ!」
イヤな感情が込み上げてきた。
「じゃあ、これだけ進展が遅いってことは……」
「私の予想でしかないけどね」
杉坂は再びテレビに顔を向けた。
「でも、坪川さんは俺が好きだってこと、まだ知らないよ?」
「友達申請して、ご飯まで誘えばバレてるわ!」
考えてみればその通りだった。
しかし、小中学生の頃に感じたような、好きな子がクラスにバレるような恥ずかしさはなかった。こんな瞬間、自分がもう子供ではないと認識する。
俺と大輔が互いに情報を共有しているように、坪川さんとなっちゃんも情報を共有しているはずだ。
きっと2人が付き合ったことも知っているだろう。
または付き合う前に、なっちゃんから相談を受けていたかもしてない。
テレビを見ていた杉坂が話し出す。
「でも、まだ付き合ったばっかりだし、これからなんじゃない?次、遊びに行くのが勝負かもね」
確かにその通りだ。
坪川さんも俺に好意があったとして、アクションを起こすなら、まずそこだろう。
「でもアクション起こすってなんだろうね」
「それは、人によって変わると思うけど……。」
「杉坂だったらどうする?」
「私だったら……突然チューしちゃうかもね」
「えっ?」
杉坂の突然の切り出しに対して、反応に困った。
クリスマスの出来事を言っているのか?
どういうつもりでそんな話をしてきたのだろう?
会話の間で一瞬だけ沈黙となったのを感じた。約2秒ほどの短い時間のあいだに幾つの自問自答を繰り返しただろうか。
「……杉坂は積極的なんだな」
深く触れることは出来なかった。
そして、それに対する杉坂の返事は無かった。テレビを見たままだ。相変わらず考えがわからない。
すると杉坂が話を変えて話してきた。
「もしさ、坪川さんと遊んだ時に彼女がイマイチな反応だったらどうする?」
急な質問に戸惑いはあったが自分なりに真剣に考えた。諦めるか、諦めないか。どんな反応だったかにもよるが、簡単には諦めないのだろう。だが、諦める決断をした時、自分はこれからどうするのだろう。また、モノクロのような大学とバイトの毎日を再び過ごすのだろう。
「反応にもよるけど、諦めたくないかな」
「私が付き合ってあげようか?」
俺の回答など聞く気もなかったかのような速さで、俺の回答など聞く気もなかったかのような内容の返事が返ってきた。
「な、なに言ってんだよ!馬鹿にするのもいい加減にしろよ!」
「別に馬鹿になんてしてないよ」
まだテレビを見つめている。
クリスマス会の話を切り出すなら今しかないよな……。
「……言おうか悩んでたけど、クリスマス会の後、ウチ来た時のアレはなんだったの?あんなことされたの初めてだったから驚いてしまって……。杉坂にとってアレは日常的なの?」
杉坂がこちらを向き、ハッキリと目が合った。
「そんなことはない」
今日杉坂がウチに来てから発した言葉の中で、最も強く意思を感じた。
そして、また少しだけ沈黙を感じた。
「もうアレはなんでもないから気にしないで」
そんなこと言われると逆に気になるところではあるが、あまり深く触れないことにした。
自分から話を逸らしてしまったが、杉坂の『付き合ってやろうか』発言に話を戻すことにした。
「お前、最近新しい彼氏できたばっかりなんでしょ?」
「まあね」
彼氏ができたばかりの反応とは思えない返しだった。彼女にとって、彼氏ができるなど一喜一憂する出来事ではないのかもしれない。
「……あーあ、こんな可愛い子からの告白を逃すなんて、もったいないことしたねー」
自分のことを可愛いと言う人に苦手意識があったが、彼女のこの発言に対してはあまり嫌な感じがしなかった。
「その自信が羨ましいよ」
杉坂は少し誇らしげな顔でこちらに笑顔を見せた。
その後は坪川さんとのデートについてアドバイスをしてくれた。杉坂先生の恋愛講座だ。初めは深夜の突然の訪問に困惑していたが、物申してやる気持ちもなくなり、俺は恋愛講座を真剣に受講させてもらった。
1つだけ気になったのは、『付き合ってやろうか』発言が冗談だったかのような雰囲気となり、安心よりも残念な気持ちが大きいように自分が感じたことだった。
「そろそろ帰ろうかな」
「そっか、なんかいろいろありがとね」
本当に用事がなかったらしい。恋愛講座のキリがいい所で帰る準備を始めた。
杉坂は玄関でこちらを振り向いた。
「デート頑張ってね!ちゃんと大ちゃんと私には報告してよね」
応援してくれてるのか、軽く馬鹿にされているのかわからないが、素直にその言葉を受け止めた。
「わかったよ。ありがと」
彼女はウチを出ると笑顔で手を振り、白いバレー帽をかぶった。あんなにオシャレな帽子、きっと彼女にしか似合わない。さっきまで仲良く話してたが、あの帽子を見る度に住む世界の違う人だということを思い出してしまう。そう思いながらも手を振り返し、扉を閉めた。明日も学校なのに、もうこんな時間だ。きっと明日の授業も眠くなるだろう。