6-食事会
ついに今日がきてしまった。
今日は坪川さんとご飯に行く約束の日だ。
大輔と一緒に店へ向かう。
「あー。緊張してきた」
「大丈夫だって。女の子と話しながらご飯たべるだけだって」
「それが緊張するんだよ」
大輔は俺を安心させようとしているのか、からかっているのか。励ますような言葉を言いながらぎこちない笑顔で助手席に座っている。きっと彼も緊張しているのだろう。
今日の俺は食事会のことで頭がいっぱい……とは言い切れない。
クリスマス会後の一件が今も頭をよぎる。
あの時の杉坂は何がしたかったのか。
なぜ突然キスしてきたのか……。
女の人の考えることが余計にわからなくなった。
―――あの後、彼女は背中を向けたまま寝てしまった。
当然俺は大きなモヤモヤを抱えながら、数時間は目が冴えていた。
かわいい女の子からのキスだ。嫌がる訳がない。むしろ嬉しいくらいだ。
だが何だろう。この素直に喜べない感情は。
朝になってもモヤモヤが解消されるような話は出来なかった。
と言うよりも、夜の話について触れることが全くなかった。
目覚めた頃にはいつもの明るい杉坂がそこにいた。そして、何事もなかったかのように大輔と一緒に帰って行ったのだ。
杉坂はあれが日常的なのか?
外人が挨拶をするようなものなのか?
溢れ出す疑問が止まらないが、もちろん何1つとして答えは返ってこない。
「おい!太一聞いてる?」
溢れ出す疑問で頭がいっぱいになり、大輔の声に気づかなかった。
「あ!ごめん。なんだった?」
大輔には、俺の家での出来事を話していない。
話したら何と言われるだろう。
たぶん……羨ましいとか言われるだけだろうな。
そう思うと、自分が考え過ぎな気もしてきた。
それに今日は別の女の子に気を向けてられない。自分の好きな人と初めてのご飯なのだから!
「ぼーっとしてるね。そんなに緊張してんのか?」
「緊張はしてるよ。だんだん自信なくなってきてる」
「それは俺も一緒だよ。でもまぁ、せっかくだからね!楽しんでいこう!」
「そうだな。成功でも失敗でも楽しむしかないな!」
「でも、会話でちょっとだけ心配なのは友達の方かな。その子のことは何も聞いてないん?」
「元気な感じとは言ってたよ。外向けの大輔みたいな感じかなーって思ってる」
「外向けって……。まぁでも頑張るのは太一だからな。俺が友達と盛り上がったら、そっちは二人でがんばりなよ」
「……わかったよ」
もうすぐ店に着く。店の場所は知っている。よく通る道沿いだ。しかし、緊張しているせいか、普段と違う街並みに見える。こないだも経験した、意識してると見え方が変わるってやつか。
「あっ、大輔!坪川さんから連絡きてた。先に中いるってさ」
「オッケー!いよいよだな」
店に入り、店員の案内で席へ向かう。
何でもそうだが、緊張することの直前は逃げたくなる。坪川さんには会いたいはずなのに。
上手く話せるだろうか?……いや、大丈夫だ。ジムで話してるようにすれば良い。
また無意識に自問自答を繰り返していた。そんなことをモヤモヤと考えていると席に着いたようだ。
坪川さんの顔が見えた。その瞬間、さっきまでのモヤモヤが一気に消えた。
「あっ八角くんこっち!」
「坪川さん、来てくれてありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそお誘いありがとね。ええと、こちら私の友達のなつこです」
「はじめまして。えりちゃんの友達のなつこです」
「はじめまして。こっちは俺の友達の大輔です。同じジムにいるから坪川さんは見たことあるかもしれないですね」
お互い一通りの挨拶を交わしたところで料理の注文をした。
心配していた坪川さんの友達はとても話しやすかった。ムードメーカー役として大輔を連れていたが、むしろ彼女が会話を牽引しているようだった。彼女がいることで坪川さんも安心しているように見える。
4人でのご飯はとても楽しかった。やはり会ってしまえば会話に問題はなかった。それとも、意図せずとも杉坂との会話が女性と接する練習となっていたのか?もしそうなら彼女に感謝しなければならない。
……杉坂は今頃どうしているだろうか?
4人で話していると、大輔となつこさんに共通の趣味があるとわかった。
「大輔君、本読むんだね。私も本好きなんだよ!好きな作家さんとかいる?」
俺は本をほとんど読まない。読むことは嫌いじゃないが、読むきっかけがなければ読み始めることはない。
なんなら、大輔がこの時に答えた作家の名前も覚えてないくらいだ。
この時、ふと気付いた。坪川さんの反応が薄い。彼女もきっと本を読まないのだろう。
大輔の方を見ると完全になつこちゃんを見て話している。二人だけの世界のような。そんな空間を作ろうとしているように感じた。
今しかない。声が震えないようにだけ意識して口を動かした。
「坪川さんは休みの日とかは何してるんですか?」
せっかくのタイミングで無難な質問をしてしまう。しかし、今の自分には精一杯の問いかけだ。俺はこの質問を、大輔の話を遮らない声量とタイミングで、坪川さんだけこちらを向かせるように伝えられたのだ。これだけでも今日の自分を褒めてやりたい。そして、きっかけを作ってくれた大輔にも。
「家にいることが多いかな。でも最近はカフェ巡りとかしてるよ。ココとかめっちゃ可愛くて雰囲気良かったよ」
携帯を取り出して写真を見せてくれた。大輔も話を続けている成功したらしい。
今日一番の大勝負だった。たった一言でもタイミングによってはこんなにもエネルギーを使うとは知らなかった。高校時代の夏の大会ぐらいエネルギーを使った気がする。
世の中の合コンによく行く男はこんな経験をしょっちゅうしているのか。彼らのその情熱を部活動に注いでいれば全国大会など余裕で出場していただろうに違いない。
しばらくそれぞれ話を続けた。気づけば3時間近く経っていた。明日も仕事だろうから、とこちらからお開きの提案した。
少し話過ぎてしまったような気がするが、長居しすぎずに良きタイミングで終わることは、杉坂さんからアドバイスされた方法だ。杉坂さんの経験的に印象がいいらしい。やはり人生経験が違う。同い年のはずなのに。人生の濃度が違うのだろうか。
最後に4人で連絡先を交換して、それぞれ車に乗り込んだ。
「あー!終わった!……なんか普通に楽しかったな」
大輔と2人になった安心からか、大きく息を吐きながらひどく大雑把で率直な感想が出た。
「全然普通に話せてたじゃん。俺の読書の話辺りとかからさ」
「いや、大輔ホントありがと。ジム以外で話すって緊張してたけど、すっごい楽しかった」
「そう言ってもらえてよかったわ。でも、これからはホントに太一が頑張らないとね。ついにSNS以外の連絡先もゲットしたし」
「そうだね。よし!今度こそ2人で遊びに行くぞ!」
今日の感じが正解だったのか。坪川さんにとってどんな印象になったのかわからない。ただ今日もキレイでかわいかった。そんな人とゆっくり話せて今日は満足だ。
心もお腹も満たされ、ご機嫌に車を走らせる。
恋愛に関する経験が少ないことは、女性との関わり方を知らず、女性が喜ぶ対応をほとんど知らないということだ。しかし、逆に言えば女性から傷つけられる経験も少ない。『一緒にご飯を食べる』こんなことが俺には非常に大きいことなのだ。こんな持論を分かってくれる同士は、きっといるはずだ。少なくとも、助手席で眠そうに目を細めながらも、満足げな表情で頭を揺らしているこの男は分かってくれるはずだ。