5-宅飲み
かすかに雪がチラついている気がした。雪の降る街に住み始めて2回目の冬だ。まだ雪に慣れたとは言えない。この街に来てから、雪が積もった夜はとても静かになることを知った。そんな情景が個人的にとても好きだった。雪の降る音が『しんしん』と表現されるのがわかるほど静かになる。田舎なので元々静かなのだが。
今年も雪が積もるかな?と考えながら俺と大輔は杉坂さんの運転する車で俺の家に向かっている。
「雪降ってきましたね」
「ホントや。ついに今年もきたね。運転気をつけてね」
「ありがとうございます」
沈黙が流れる。気まずい空気はとても苦手だ。好きな人などそうそういないとは思うが。
バックミラー越しに見える大輔も困惑した様子だ。俺は大輔に、何か話すようテレパシーを送っていた。大輔からのテレパシーもひしひしと感じている。
俺の思いが伝わったのか、大輔がついに口を開く。
「それにしても杉坂さんが来てくれるとは思わなかったな」
「私も正直行けないかと思ってましたよ。顔だけでも出せて良かったです」
どうやら杉坂さんは彼氏と喧嘩したらしい。
喧嘩して、飛び出した先が俺たちのクリスマス会だった。
―――クリスマス会の場では彼女はいつものように笑顔だった。しかし、皆が気を遣い、喧嘩について深く聞くことはできなかった。
飲み会の帰り際、彼女は1人になるのは寂しいとのことだったので、大輔の提案で俺の家に来ることになった。もちろん俺と杉坂さんの2人きりではない。
もともと、大輔がウチに泊まる予定だったからだ。
友達同士だからと言って、男2人の家に泊まらせるなんて、不安じゃないか?と思ったが、何故だか杉坂さんも周りのバイト仲間も不安に感じていなかった。その点に関して俺は物申すべきなのかもしれないが、反論する空気でもなく、黙っておくことにした。
それにしても、女の子に元気を出させるにはどうすればいいのか。落ち込んでる女の子が目の前にいる。なんとかしてあげたい。そんな気持ちを持ちつつも何もできない自分が不甲斐ない。何か話さないと!という気持ちだけが逸る。
すると杉坂さんが口を開く。
「すみません、急に押しかけることになっちゃって……。2人とも仲良いからお邪魔じゃなかったですか?」
普段、コミュ力モンスターである彼女だ。この重い空気を感じ取ったのだろう。さっきのクリスマス会までは無理して笑っていたのか?同い年の俺たちには寂しげな表情を見せてくれている。そんな彼女に気を遣わせてしまっているのか……。
「そんなことないよ。むしろ女の子いてくれた方が盛り上がるよ」
「ホントに!自分の家だと思って寛いでいいよ」
「大輔、それは俺のセリフな」
「ありがとうございます。本当に優しいんですね」
彼女の優しい言葉が胸を締め付ける。元気付けてあげたい。それが上手くできない。ただ助手席に座ることしかできなかった。どうすればいいのか……。
考えを巡らしながら辺りを見回すと、普段は意識もしていない当たり前のものが気になる。風景と化した建物、こんな店があったのか。俺を抑えるシートベルト、急に強く締められてる気がする。
ひとしきり辺りを見回りた後、俺は口を開いた。
「そうだ。コンビニ寄ってこうか。本当はウチで飲み直そうかと思ってたんだよ。お酒とか買ってかない?」
もちろん2人は了承し、ウチの近くのコンビニに向かった。
―――各自でお酒を買い、俺の家へ向かう。
車から降りた俺は杉坂さんを部屋へ案内する。一方の大輔は慣れた足取りで既に俺の部屋に向かっていた。
「お邪魔します」
「どうぞ。こたつでもベットでもお好きなところへ」
「あのな。俺の家だからな」
少しづつ場の空気が温かくなってきた。
杉坂さんの表情に笑顔が戻ってきたからか、それとも大輔が勝手にエアコンをつけたからか。
「それでは、第1回同い年宅飲みを祝して。乾杯!」
さっきのクリスマス会も楽しかったが、これくらいの人数の方が落ち着く。まだ完全に打ち解けた雰囲気ではないが、同い年というだけで距離が近くなりそうな気がしている。
ただやはり、杉坂さんのことは気になる。普段の明るい雰囲気が少しずつ戻ってきているとはいえ、時折見せる表情が悲しげに見える。
各自がお酒を飲み始めた頃、杉坂さんが決意を固めたような様子で話し出す。
「……やっぱり、気になっちゃうと思うし。2人にはさっきまでの話をしておこうと思います」
大輔の顔が明らかに変化したことに気付いた。俺の顔も変わっているか心配になったが、その必要はなかった。彼女は俯いていたから。
「辛かったら無理して話すこともないよ」
「そうだよ」
彼女の話を聞くべきか。絶対にまた沈んだ空気になる。俺たちに、その雰囲気をもう一度ひっくり返すことができるのか。いや、そんなこと考える必要ない。彼女が話したいなら聞いてあげるべきだ。
「俺たちに話すことで楽になるなら……。」
俺は彼女が顔を上げても不安にならない優しい表情を必死に作った。大輔もきっと同じ事を考えているはずだ。力が入り、変な顔をしているように見えるが、きっと真剣な表情を保とうとしているのだろう。
「大した話じゃないんです。ただのケンカですしね。彼とは高校の時から1年半くらい付き合ってたんです」
杉坂さんが話し出す。俺も大輔もチューハイの缶を置いた。
「大学で別になったんですけど、最近なんとなく冷たい感じがしてて、今日聞いちゃったんです。そしたら彼、好きな人ができたって……」
俯き気味で話していた彼女がぎこちない笑顔で顔を上げる。その顔に胸を打たれ、自然と彼女を心配する表情ができた。
「私、驚いちゃって。ずっと一緒にいた彼氏だったから。だから別れようって言われて飛び出して来ちゃいました」
また同じ笑顔を見せる。涙を堪えているようにも見えた。
俺は必死で考えた。普通なら彼女に優しい言葉をかけて慰めてあげるのだろう。そういうストーリーが俺の頭を駆け巡る。しかし、頭の中で展開されるストーリーのセリフが聞こえない。
……そう。俺はこんな時に何と声をかければいいかわからないのだ。
大輔を見る。あいつも俺と似た考えをしてるはずだ。
俺と違う部分といえば、俺より行動派なところだ。そんな彼の良さを見せんとするかのように大輔が口を開いた。
「そうか、辛かったんだね」
杉坂さんは頷いていた。
大輔は彼女を肯定した。大輔の発言が遅ければ俺も同じ言葉を発しただろう。
これが正解なのか?これで杉坂さんは満足なのか?俺には悲しんでいるようにしか見えない。
でも、無理だ。俺たちのような冴えない男には、こんな華やかな世界に住む女の子の悩みなど到底理解出来ない。
さっきまで距離が縮んだように感じていたが、じりじりと離れている気がする。
杉坂さんを否定する訳ではないが、何なら彼氏の気持ちの方がわかる。大学で好きな人ができたのだろう。伝えるタイミングがクリスマスであったこと。その一点だけはどうかと思うが、杉坂さんに問い質されたのなら仕方ないのかもしれない。
ふと大輔を見ると、何か話せと視線付きでテレパシーを送ってきた。彼の言いたいことがわかってしまう辺り、俺たちは本当に超能力者なのかと思う。
でも、ダメだ。杉坂さんを慰めるような、励ますような言葉は出てこない。頭の中のストーリーもセリフが聞こえないままだ。
むしろ、考えを巡らすほどに彼氏寄りの意見しか出ない。それにこういう話はよくある話なんじゃないかとも思ってきた。杉坂さんが特別なわけじゃない気もする。
大輔が我慢できなくなったのか、俺を突いてくる。
……もう正直に話すしかない。おそるおそる口を開いた。
「……杉坂さん。ずっと付き合ってた彼氏に突然振られるのは驚くし、辛いよね。経験の浅い俺たちでもわかるよ。でもね。正直に話すとね……。彼氏の気持ちも、わからなくもないかなって……」
杉坂さんが少し驚いた表情でこちらを見る。当然だろう。自分を悲しませた相手の肩を持つような発言をしたのだ。
大輔もやってしまったと言わんばかりの表情だ。
「いや、杉坂さんが悪いとか言いたいわけじゃないよ?杉坂さんと付き合ってるのに他の女の子見てた彼氏が悪いとは思うけど、好きになっちゃうのはしょうがないかなって……。杉坂さんが彼氏のことを想うくらい彼氏も別の子が好きなら、彼氏の気持ちもわからなくないかなって思って……」
杉坂さんは相変わらず泣きそうな表情をこちらに向ける。
言葉に詰まりそうになるが、構わず続けた。
「自分の話なんだけどさ。昔ね、仲いい子に告白されたことがあるやんね。悪い子じゃないし、そのうち好きになるって言われて周りに押されて付き合ってた。でもやっぱり好きになり切れてないって自分で気づいてからはもうダメだった。ダラダラ付き合うのもその子に悪くて別れを切り出しちゃったやんね。彼女からしたら突然の話だったと思うわ」
杉坂さんの表情から感情が読めない。急にこんな話されればそうなるよな。
「彼も自分の気持ちに気付いてから、早く伝えなきゃっていう思いがあったと思うよ。予想でしかないけどね。……ん~、つまり、言いたいのは……。自分の気持ちに嘘はつけないってこと!と、こういう話はよくあるってこと!」
自分でも何を言っているのか、わからなくなっていた。なぜ無意味な自分の昔話を語ったのだろうか。話し終えてから恥ずかしくなった。
数秒の沈黙が流れた後、杉坂さんがお酒の入ったコップに手を伸ばす。小さく一口だけお酒を飲んだ。かと思えば残りを一気に飲み干した。
「……そうだね。たしかにそうだね。」
少し表情が明るくなったか?いや、明るくなったというよりは、暗い表情が消えただけのように感じる。
「太一さん、その女の子は振られたときに泣いてました?」
「……うん、泣いてた。ろくに慰めれなかったけど」
「……あーなんだろう。自分が悲しんでたのがバカらしく思えてきた。太一さん、ありがとうございます。でも女の子泣かすのは良くないですよ!」
「……ごめん」
なぜ杉坂さんに謝ったのだろう。
そんなことはわからないが、とにかく元気が出たようだ。
大輔も安心している。
「太一、お前急に変な話するからびっくりしたよ。普通泣いてる女の子の前で、泣かせた相手の肩持つ発言しないだろ」
「……そうだよな。ごめん」
「まぁ普通はそうですね!でも、今回は私が考え直すきっかけになってよかったです!私は感謝してますよ
」
申し訳ないことをした気持ちで一杯だが、どうやら良い方向へ転んだようだ。
「こいつたまにこんな変なこと言うんだよ」
「そんなことないって!」
「2人は本当に仲良いですよね」
彼女は、ひどく落ち込んだことで周りが見えなくなっていたようだった。
今は元の明るい杉坂さんに戻ったようだ。視界が広がったせいか、飲み終わった缶など、テーブルの上を絶妙なタイミングで片付けながら会話に参加していた。
これが自然とできるあたり、やはりできる女だと感心した。
「もうキッパリ諦めて次の恋に走ろうかな!」
「うん!それがいいよ。杉坂さん、好きなタイプとかないの?」
大輔も楽しそうだ。
「んー、優しい人かなー?あと顔は濃い方がタイプかな。太一さんは?」
「俺?そうだなー。大人しい感じの子かな」
「えーそうなんですか!」
なぜだろう。杉坂さんは不満そうだ。
「そういやさ、杉坂さんってウチらと同い年なんだっけ?」
「そうですよ?」
「じゃあさ、敬語じゃなくていいんじゃない?呼び捨ててもいいし」
確かにそうだ。バイトの時は後輩だから違和感がなかったが、杉坂さんはずっと敬語だった。
「そうですね……。実は敬語をなくすタイミングを見失ってたんです。じゃあ今から無くしますね!はい!」
杉坂さんが一度だけ手を叩いた。敬語をなくす合図だろうか。
「じゃあ呼び方も変えようかな。私が決めてもいいかな?」
「全然いいよ!」
大輔が盛り上がってきた。俺も内心盛り上がっている。
「じゃあ……。大輔さんは、『大ちゃん』ね」
「それは呼ばれたことないな。いいね!なんかいいよ!コレ!」
大輔は嬉しそうだった。
「太一さんはどうしようかな。『太ちゃん』はかぶるからな……」
真剣に考えてくれている。
呼ばれ方なんて考えたことなかった。というよりも、変な名前で呼ばれるのはあまり好きじゃない。
『大輔』の『大ちゃん』はまだわかる。
しかし、突拍子も無いような名前を付けられたら、馬鹿にされたような気分になる。
それに自分の苗字か名前以外のものから付けられた呼び方なんて、返事を返せる自信がない。
よく芸能人が本名とは全然違う芸名で活動しているが、よく返事できるなと思ってしまう。
長年呼ばれ続けた名前以外に自分を示す言葉が出てくるなんて、考えもつかない。内心そんな気持ちだが、彼女の一言で、俺の不安も杞憂に終わることとなった。
「決めた!太一さんは『太一』で!」
「ただの呼び捨てじゃん」
「これよりいいのは思いつかなかったの。でも私は好きだよ?太一って名前。呼びやすいし。」
正直ホッとした部分もある。これなら普通に反応できる。
「じゃあウチらはなんて呼ぼうか?」
大輔の問いかけに俺は考えた。
未菜。呼び捨ては流石に変かな?
未菜ちゃん。これでもいいけど、ちょっと距離を感じるかな?
杉坂。苗字にしても呼び捨てか……
杉ちゃん。なんか恥ずかしい。芸能人みたいだし。
考えた結果俺は1つ提案した。
「『杉さん』だな!」
「えー!可愛くないじゃん!」
「でも、そこが逆に親しみある感じするね!」
俺の意見は本人的に不満らしいが、大輔は気に入ったようだ。
「じゃあ、『杉さん』を気に入ってもらうまでは『杉坂』かな」
杉坂と俺たちの距離が近くなり、そこからの宅飲みは楽しかった。
「……そろそろ寝ようか?」
大輔が既に半分閉じた目で俺と杉坂に訴える。
明日も予定はない。
普段から予定のない自分の生活に悲しくも感じるが、宅飲みの翌日に予定がないことは非常に良いことだと心から思う。
「そうだな」
お酒に弱いわけではないが、強くもない。残すのがイヤだから、少なめのお酒とおつまみにしてちょうどよかった。
気付けば大輔は俺のベットで横になっていた。
「こいつ、俺の寝床を占領してやがる」
せめてベットで寝かすなら杉坂かと思っていたが、気持ち良さそうな大輔を起こす気にはならなかった。
「私はこたつで寝ようかな」
福井の冬は寒い。1年目の時にこたつの布団が薄く、寒い思いをしたのを覚えている。今年は反省し、厚手の布団に買い替えておいて正解だった。こたつで寝るのは体が痛くなるのであまり好きではないが、まさか女の子と一緒になるとは。1年目の苦しみが報われる感じがした。
「ねぇ、太一。」
こたつで背中を向けながら話しかけてきた。
「どうした?」
「ケンカした彼なんだけどね、最初にアプローチしてきたのが彼の方だったの」
飲んでいた時には話していない、馴れ初めの話のようだ。
「こんな私のことをすごく好きでいてくれたんだよ。私は彼のこと、最初はそんなに好きじゃなかったんだけど、私のことを好きでいてくれるってことに安心して、付き合うことにしたの」
「……そうだったんだ」
「だからね。私から気持ちが離れてくことが怖くなって、泣いて飛び出して来ちゃった。」
決してこちらを向くことはなかったが、とても悲しんでいることが背中越しにはっきりとわかった。
「私は彼の気持ちを受けていただけだった。甘えてるだけだった。そんな状態なら離れていってもしょうがないかなって、太一の話を聞いて思っちゃった。」
返す言葉が見つからない。振られた女の子を慰める術を俺は必死に考える。
だが、ある結論に至った。これは慰めるべきなのか。俺の言葉で前に向かう勇気を得たと言っていた。今の杉坂なら前向きな話になるのではないかと思い、彼女の言葉を待つことにした。
「だからね。今度は自分がちゃんと好きだって思う人と付き合って、私も相手のために何かしてあげられるようになろうと思ったよ。だから……ありがとう。」
もう彼女に慰めの言葉は要らないようだ。前向きな彼女に戻ったことに安堵した。下手な慰めの言葉を出し渋った、あの判断は正しかった。
「そう思ってもらえてよかったよ。あの時、落ち込んでる杉坂に何て声をかければいいか全然わからなくて、素直に男目線の意見を言ってしまって……。杉坂の受け取り方によっては、きっともっと傷つけてたように思うから。俺の方こそ配慮が足りんかったと思うよ。ごめんね。」
俺も背を向けながら返した。
杉坂の返事がないと思ったその時、背中に何かが当たる感じがした。
「杉坂……?」
杉坂が後ろから抱きついてきた。
突然のことに驚いた。しかし、すぐに嬉しい感情を感じた。だが、そこから更に困惑の気持ちが覆いかぶさった。
俺と大輔に話しただけでは寂しさが拭いきれなかったのだろう。
「ごめんね……」
杉坂がつぶやく。
謝ることなどない。寂しさが押し寄せてきたのだろう。背中越しで彼女の姿こそ見えていないが、この状況と言葉だけで胸が締め付けられるようだった。
すると、杉坂は背中から顔を離し、俺の体を向かい合うように動かした。
やっと見えた彼女の目には涙が溢れそうになっていた。
何も言えなかった。
杉坂がゆっくりと体を寄せる。
何も出来ない俺にキスをした。
その後、彼女は目を合わせることもなく後ろを向いた。
聞きたいことが山のようにある。
だが、それも出来なかった。モヤモヤを抱えたまま、俺も背中を向けて寝ることにした。
しかし、その後もなかなか眠りにつくことは出来なかった。