3-作戦会議
大学の講義は大きく分けて2種類ある。
必死に話を聞かなければ単位が取れないものと、そうでないもの。
分野による分類ではなく、学生の主観による分類だ。今日は後者の講義が多かった。
俺は講義中にメッセージを送った。いつもは寝てるだけの時間だが。落ち着いて文章を考えられ、いつになく有意義な時間となった。
内容は、挨拶と偶然見つけて申請したということだけにしたが、送る前には何度も読み直した。ただ、一発目でご飯に誘う勇気は出なかった。
彼女は仕事中だろう。返事が来るとしても、昼休憩か仕事後になるはずだ。子供のようにわくわくしている自分がいることに気づく。この感覚は高校で初めての彼女ができたとき以来だ。あの頃は勉強に部活に必死だったな。と懐かしい気分になった。
学生時代を思い出したせいか、なんだか今日の講義はしっかり聞こうと思った。メッセージを考えていた分、もちろん講義の後半からになるのだが……。
返事が来たのは夕飯時だった。一人でいつもの牛丼屋に行っていたタイミングだ。
『申請ありがとう!突然だったからびっくりしたよ。またジムでね!』
嬉しい。たったこれだけの返事で気分は最高潮だった。
なんて返そうか悩む。それともこれは返すべきなのか……
こんな時、店長のような男なら、押し過ぎず引き過ぎず、程よくもとりとめのない会話を自然と続けられるのだろう。世の中のモテる男はそんなもんだ。と俺は思っている。
俺はあえて返事をせず、一度ジムで会うのを待つことにした。返事が思いつかなかったのではなく、“あえて”送らなかったのだと自分に言い聞かせた。
次に会うときは何を話そう?嬉しい悩み事に頭を抱えながら、次のバイトの日を楽しみにしている。
さて、今日は待ちに待ったバイトだ。会えるかどうかはわからないが……。
そう思っていいたせいか、彼女の姿を目にしたときは思わず声が出そうになった。
「お疲れ様です!」
緩んでしまいそうな口元を引き締め、業務上差支えのないスマイルで俺の方から声をかけた。
「八角君!こんばんは!」
「坪川さん、フェイスブックやってたんですね。友達かもって通知が来てて、申請しちゃいましたよ」
緊張してたせいか、自然とつまらない嘘をついてしまった。
「そう!びっくりしたよ。他の会員さんもけっこう友達になってるの?」
「いや、そんなにいないですよ。ホントたまたま見かけたんで送っただけですよ」
考えていなかった。確かに不自然だ。他の会員にはこんなことしていない。
かといって、『全然いない』と正直に答えたら、狙ってる感が出すぎてよくないかと思った。
「そうなんだ。なんかスポーツジムのインストラクターさんって、ちょっとチャラいイメージあったから、よくあるのかと思った」
「僕はそういうタイプじゃないですよ」
「たしかに。そんな感じがする。いい意味でね!」
しばらく会話が続いた。改めて大輔に感謝したい。また、晩飯でも奢ってやるか。
その日の夜、ついに決心した。誘おう。
『お疲れさまです。今日も参加してくれてありがとうございました。だいぶ腹筋ついてきたんじゃないですか?もし良かったら今度ご飯でも食べにいきませんか?ジムだとバタバタしちゃうんで、ゆっくりお話できたらいいなと思って。』
狙いすぎているように感じる。あからさまに狙っていることがバレる。それも逆にいいのかもしれないが……。しかし、俺にはこれ以上の文は作れない。かといって大輔に相談するのも恥ずかしい。行くしかない!
5回くらい読み直して送信ボタンを押した。
誘ったことはいいが、気になることがある。バレたらクビになるかもしれないということ。大輔は、本気ならしょうがないと言っていたが、現実味を帯びてくると、クビにされる不安が出てくる。
好きな人とご飯に行けるか、バイトをクビになるか、この返事にかかっている。今の自分は無力だ。何もできない。自分の無力さを感じながら、その日は布団にもぐり込んだ。
その後もやり取りを続けた。彼女の返事次第では俺のインストラクター人生が終わってしまうかもしれないと不安に思っていたが、坪川さんの反応が思っていたより軽かったことに安心した。嫌がられてはいないようだ。
ただ1つ、気になることがあった。ご飯自体はOKだったが、坪川さんの希望でお互い友人を誘って4人で行こうと提案があった。2人を想定していたので、距離を置かれたように感じてショックだった。
だが、多少顔見知りだったとはいえ、ナンパのように誘われた相手と2人きりでは不安だろうと思う。
突然の合コン的シチュエーションの来訪に困惑したが、坪川さんの提案を断るわけにもいかず了承した。
もちろん俺は大輔を誘うつもりだ。彼女いない歴で言えば大先輩にあたるお方だが、彼の明るさに期待した。大輔は明るくていいやつだ。なぜこれまで彼女がいないのかが不思議なくらいに。だが、これは「女の人が言う、あの子かわいい」が信じられないのと同じ現象なのかもしれない。同性から見ればモテそうでも、異性から見れば物足りない何かがあるのだろう。
翌日の昼時、大学の学食に大輔を呼び出した。学科が違うために、普段なら学校で会うことはない。しかし、俺の人生において大きな転機となるだろうイベントに協力してもらうため連絡を取ったのだ。
俺は、大輔が現れてすぐに一大イベントへの参加を要請した。
「いいよ!」
「えっ」
こちらから頼んでおいて何だが、了承の返事が予想外に早いことに驚いてしまった。
「ありがとう!意外にあっさりOKしてくれるんだね。大輔は嫌がるかと思ってたけど……」
「まぁ、今回の原因作ったのは友達申請した俺だしな。女の子に慣れてないから不安はあるけどね」
「そうなんだよね。俺も慣れてないから不安なんだよね」
「坪川さんの友達もどんな人かわからないんでしょ?」
「うん。多分坪川さんと同い年だから、ウチらより年上ってことしか知らないよ」
「年上か、余計緊張してしまうな。でもさ、できれば太一は坪川さんと話したいでしょ?基本的に4人での会話になると思うけど、俺がその友達と盛り上がるように頑張るから、話を切り替えてでも二人で会話しなよ!」
「だいすけー。ありがとー。そこまで気を使ってくれるなんて……」
「……俺が上手く話せるかはわからないからな!」
二人で学食を食べながら当日の作戦会議をした。まだ見ぬ当日を想像しながらの会議だったが、なかなかに盛り上がった。合コンに行った経験はないのだが、合コンは作戦会議と反省会が楽しいという噂は本当なのかもしれない。
しばらく話していると、大輔が誰かと目が合ったようだ。
「あっ、杉坂さんだ」
「大輔さん!太一さん!お疲れさまです。相変わらず仲いいですね!」
少し派手な女の子が近くに寄ってきた。最近バイトに入った杉坂さんだ。未だに白いベレー帽のイメージが強く残っている。
俺が直接仕事を教える機会は少ないので、まだ名前を知っている程度の関係だ。最初の印象は大人しそうな雰囲気だったが、実際に話してみるととても明るい子だった。ただ、彼女は俺たちとは違い、ずいぶんと華やかな学生生活を送っているようだ。あまりの華やかさに、違う世界の住人のように感じている。
「どうバイトの調子は?」
大輔が杉坂さんに問いかけた。彼の方が彼女と仕事をする機会が少し多いためか、俺より話しやすそうだ。
「まだ、研修中なので仕事はまだまだですけど、みなさん優しくて楽しくやってますよ。大輔さんと太一さんはインストラクターもされてるんですよね!カッコいいですよねー!」
「いやいや、そんなことないよ」
照れを隠しきれない不自然な否定をしてしまった。しかも2人同時に。杉坂さんは優しい笑顔でその様子を見ていた。
インストラクターなんてバイトは確かに珍しく、カッコ良い印象なのかもしれないと自分でも思う。しかし、想像のインストラクターと実際の覇気のない自分との差を考えると現実の自分を嘆きたくなる。
……それにしても彼女の発言は非常に感じがいい。
杉坂さんとの挨拶を終えた頃、俺も彼女に聞きたいことがあったことを思い出した。
「そういえば、今度バイトでクリスマス会するの知ってる?杉坂さんも参加できそうかな?」
俺は彼女に問いかけた。
そうなのだ。もうすぐクリスマスがやってくるのだ。だからって、毎年何も起こらない1日を過ごすだけなのだが……。
しかし、今年の12月24日は土曜日で翌日も大学が休みなので、バイト終わりの店でクリスマス会をやろうという話になっていた。その場に可愛い女の子がいたら嬉しいと思って俺は彼女に問いかけたのだ。
「いや、私は……。ちょっと用事があって……」
「太一さー。なんでクリスマス会やることになったか知らないわけじゃないだろ!きっと彼氏がいるんだろ?そりゃ来ないって」
大輔が確認するかのようにチラチラと杉坂さんを見た。
「そうなんです。参加したかったんですけど……。ごめんなさい。」
大輔の言うとおりだ。今回開催されたのも、せっかくクリスマスが土曜日だというのに、予定も無く暇を持て余す人が多かったから計画されたのだ。
予定があるのならば来るはずがないのだ。
予想はしていたが杉坂さんには彼氏がいるようだ。やはり、この華やかな女性は住む世界が違うのか。どうやらクリスマスの過ごし方も俺たちと異なるようだ。
そんなことを考えていると、杉坂さんから提案がきた。
「もし間に合うようなら、途中参加でもいいですか?」
「もちろん!ウチらは大歓迎だよ!」
クリスマスの用事が早く終わるなんてことあるのか?と疑問に思いつつも話を続けた。
「仕事終わりの時間に来たらやってるはずだよ」
「わかりました!ありがとうございます!楽しみにしてますね!あっ、じゃあそろそろ講義なんで先に行きますね。またバイトで!」
彼女は笑顔でこちらに手を振りながら講義に向かった。
「果てしなく感じのいい女の子だな」
大輔も同じことを感じていたらしい。
俺たちスポーツジムのスタッフはサービス業だ。彼女は先輩である俺たち以上にサービス業に向いていると思う。
彼女が去ってから、再び大輔が俺の方へ顔を向けた。
「で、どこまで話したっけ?」
「大輔が了承してくれたとこかな」
「さっきも言ったけど会話に関してはホント自信ないからな!普段は女の人なんてお客さんぐらいしか相手にしてないよ!女の子と話す機会なんて……」
そう大輔が話した後、何かに気づいたのか、驚いた表情を見せた。
俺も気づいた事がある。おそらく大輔と同じことを思いついたようだ。大輔が話し続けた。
「……いるじゃん。話せる女の子。最近できたじゃん!」
「ホントだ……。でも、いるからってどうするの?会話の練習でもするの?」
「会話の練習にもなるかもな。でも会話の練習よりも、女の子はどんな話題で盛り上がるかとか教えてもらいたいな!」
「そうだね!練習とかじゃなくて、そういう相談くらいならいいかもね。」
「最終的には俺たちの盛り上げ能力次第だけどな!」
ご飯の当日に向けて不安が募る一方だが、急遽開催された楽しい作戦会議はこれにて閉幕した。
坪川さんとのご飯はクリスマス会より後だ。
それまでに杉坂さんに女の子の好きそうな話題について相談することになった。
実際のところ、同い年、同じバイトの杉坂さんであっても話すときに多少緊張する。これが女慣れしていない証拠なのだろう。
大輔は普通に話していたように見えたが、きっとあいつも俺と同じはずだ。
なので、杉坂さんへの相談はおのずと女の子との会話の練習にもつながると思う。
実にいいタイミングでバイトに入ってくれた。
出会ってまだ数か月、それに加えてあの性格だ。程よい緊張感を持ちつつ、程よい距離感の話しやすさを兼ね備えている。思いがけず最高の練習相手が見つかった。