高等貴族院の日常 ②
今回は苦労性の下っ端、ウィンセスラス王子の側近見習い候補、カシミロの視点です。
「それでは、失礼いたします」
カシミロ・フォン・イーロは一礼して部屋を出た。その途端、それまで我慢していた深い溜め息が口から零れてしまう。
大地の加護の術語を教えてくれる先生から呼び出されて言われたのは、後もう少し魔力を伸ばす様にということだった。下級貴族の男爵家三男のカシミロは、どんなに努力しても魔力量が少ない。
増やす方法はあるのだが、金も人脈もない現在、それはほぼ絶望的だった。
(私はそれでも構わないのに……)
貧乏男爵の三男であるカシミロは家を継ぐわけでもなく、補佐は次男の兄の役割だ。三男のカシミロは釣り合いの取れる家に婿養子に行くか、もしくは市井に下って貴族という位を捨てるくらいしか方法はない。
市井ならば、貧乏男爵とでも誼を結びたいという者はいるので、そこでのんびり暮らすのも悪くないと思っていた。
そんな計画がとん挫したのは、1年ほど前のことだった。
「ウィンセスラス王子の側近見習い候補として名が挙がりました」
そう、ウィンセスラス王子の側使いから通告があった時、カシミロは頭が真っ白になった。
第二王子とはいえ、王族の側近に己がなるなど考えたことなどまったくなく、どうして名が挙がったのかと考えるだけで不安と恐れが真っ先に頭の中を渦巻いた。
そもそも、王子の側近はかなり前に決まっているはずだ。
今から思えば、ウィンセスラス王子は己の言動に文句なく従う、使い勝手の良い人間が欲しかっただけだろう。公爵家などの上級貴族は、未成年の第二王子に対して意見を言うだろうし、子爵などの中級貴族も学生は平等だとかろうじて言える立場だ。しかし、下級貴族は圧倒的な身分差がある。暴走するウィンセスラス王子の世話をしながら方々から叱責を受ける立場になったカシミロは、まだ成人前だというのに胃痛に悩まされていた。
本音を言えば、側近見習い候補という、おそらく何の約束もない立場の己などさっさと切り捨ててほしいと思うが、なぜかウィンセスラス王子はカシミロを引っ張りまわす。
まだ高等貴族院に入学していない時からそうだったのだ、今は毎日毎日ウィンセスラス王子の後ろについて行き、彼の命に従う日々を送っている。
(あぁ……ジャックの店に行っていたころが懐かしい……)
カシミロはまた溜め息をつく。
去年、ウィンセスラス王子は平民の幼女に興味を持った。それは、王子のお目付け役である宰相の子息、エーベルハルド・フォン・ベルトナールとかかわりを持った者だからというのが大きな理由のようだったが、その幼女の実家がパン屋を営んでおり、そこで作られるパンの美味しさにウィンセスラス王子が虜になってしまったのだ。
さすがに王子が頻繁に下町に行くなどできるはずがなく、カシミロはわざわざパンを買いに行かされた。ちょうど夏の長い休みだったので良かったが、毎日の行き来はかなり大変だった。
しかし、ジャックは気の良い店主で、幼女も愛らしく人懐こかった。
頻繁に訪れているうちに言葉を交わす様になり、己を労わってくれる彼らの言葉に胸が温かくなった。
しかし、学校が始まってしまった今は学校から出ることも叶わない。ウィンセスラス王子も、ジャックの店のパンの味が恋しいらしく、いつも愚痴を言っている。
カシミロは来年には高等貴族院を卒業する。
王子の世話をするのもあと1年限りだと思えればいいが、何だか……嫌な予感がするのだ。
(早めに、どこぞに職を見つけなくては)
魔力は弱いが、多少計算などはできる。上手くいけば城の会計課の末端にでももぐり込めないだろうか。
そんなことを考えていたカシミロは、
「カシミロ・フォン・イーロ」
唐突に名前を呼ばれ、ビクッと立ち止まった。
内心焦りながら、それでも貴族らしく優雅に振り向くと、そこにはさっきまで思考の中にいた人物の1人が立っていた。
カシミロは蒼褪め、右手のこぶしを左胸につけながら頭を垂れる。これは、利き手を心の臓に当てることで敵意はないと告げる、貴族が目上の人物に対して行う礼だった。
「少し時間をいただきたいのだが」
「は、はい」
その人物はすぐに背を向けて歩き始める。
(ど、どこに行くのだろう……)
学校内には幾つかサロンもあるが、その人物が向かったのは研究棟の一室だった。
「あ、あのっ」
一つのドアを何も言わずに入っていく後ろ姿に、カシミロは慌てて声を掛ける。この研究棟は名の通り魔法や魔術具などの研究をするところで、許可なく生徒が足を踏み入れてはならない場所だ。
己が叱責を受けるのは慣れているが、目の前の人物にそんな汚点を付けてはいけないと、カシミロは訴えた。
「こちらに勝手に入ることは許されておりません。先生に許可を……」
「ここは私が特別に与えられている部屋だ」
「……は?」
「私の作った魔術具は、既に城の魔導士団で使われている。その実績を買われ、特別に部屋を与えられたのだが……これは内密にしてもらいたい」
「は、はいっ」
言えるはずがない。まさか、入学したばかりの1年生が研究棟の一室を与えられているなど、信じてもらえるはずもなかった。
学生の立ち入る場所ではないので、誰かに聞き耳を立てられる心配もない。同時に、己の身に何が起こっても誰にも知られないのかもしれない……カシミロは背中に冷や汗を流しながら佇んだ。
「カシミロ・フォン・イーロ」
「は、はい」
「其方に一つ頼みがある。ウィンセスラス王子の情報を流してはもらえないか」
「え……」
それは思いがけない言葉だった。いや、どちらかと言えば、どうしてそんなことを言われるのか、わけがわからない。どう考えても己より、目の前の人物の方がウィンセスラス王子の情報を掴みやすいはずだ。
「報酬は払おう。他に要求があれば言ってほしい」
淡々と話を進められて、さすがに慌てる。
「あ、あのエーベルハルド様、お、お聞きしても、よろしいですか?」
以前の己なら、即座に諾と頷いていたはずだ。だが、1年あの我が儘王子に付き合ったおかげで多少胆力も鍛えられたのか、いや、ここで頷くのは不味いという危機管理が働いたのか、カシミロは言葉に詰まりながらも願い出た。
目の前の人物……王子の次にこの高等貴族院で位の高いエーベルハルド・フォン・ベルトナールが鷹揚に頷く。一応話は聞いてもらえそうで、カシミロはホッとした。
「な、なぜ、王子の動向をお知りになりたいのですか? い、いえ、私などより、エーベルハルド様の方が詳しくご存じだと思います」
ウィンセスラス王子の側近として名高いエーベルハルド。きっと、手足のように動く者は数多いだろうし、それは確実に己よりも有能なはずだ。むしろ、周りから無能や、愚鈍と言われがちな己にそんな申し出をしてくる意味がわからなかった。
すると、エーベルハルドは腕を組んだまま、ふっと息を吐く。気のせいか、それまでひしひしと感じていた威圧感が薄れたような気がした。
「王子の性格は知っての通りだ。あの方は私を出し抜くのがお好きらしい」
「はぁ……」
「それだけならば構わないが、思いもよらぬ方へ余計なことをされるのは困る」
エーベルハルドの言い方では、何やらウィンセスラス王子は彼の大切なものに余計なちょっかいを出したのだろうかと考えた。もちろん、カシミロにはエーベルハルドの大切なものはわからないが。
エーベルハルドの少し暗いアイスブルーの目が、じっとこちらを見ている。
ウィンセスラス王子は王子らしい華やかな容貌だが、エーベルハルドは綺麗な人形のように整っている。動と静。まるで対照的な2人だが、どちらにも人の上に立つ者の圧がある。
今まではほとんど関りがなかったが、こうして目の前で対峙すると圧倒的な魔力も感じられた。
「あ、あの……」
「……」
どう答えるのが一番良いのか、カシミロはめまぐるしく考える。実家が貧乏なので小遣いもほとんどなく、正直報酬を貰えるのならありがたい。それに、エーベルハルトと顔繋ぎが少しでもできれば、来年の就職にも有利になるかもしれない。
……その時、ふとウィンセスラス王子の悪戯小僧のような笑みが浮かんだ。
正式な側近というわけではないのに、カシミロを我が物のように振り回す。心労はたまり、胃も痛いのだが……。
「も、申し訳ありません」
「……できないと?」
「はい」
エーベルハルドの言う情報というのがどこまでの範囲かはわからないが、それでも、カシミロは王子の意に反したことはできなかった。それは、ウィンセスラス王子の方が地位が上だということではない。少なからず一緒にいて、我が儘だが裏表のない王子の気性をどこかで好ましくも思っているからだ。
「……申し訳ありません」
深く頭を下げて謝罪すると、頭上で呆れたような溜め息が聞こえた。
(ど、どう思われているのだ?)
エーベルハルドの反応が恐ろしくてビクビクしていると、すまないという声が聞こえた。
「あ、あの」
「今の言葉は忘れてほしい……いや、忘れてください」
急に言葉を改められ、カシミロはドギマギする。
「エーベルハルド様?」
「高等貴族院では、身分の差はない。……そうでしたね」
形骸化された方針を改めて口にされると、一応先輩にあたるカシミロはどうしていいのか戸惑う。
「時間を取っていただいてありがとうございました」
どうやら、これで話は終わったらしい。あの申し出もなかったことにされるようで、カシミロはこれ以上胃が痛くなることはなくなったみたいだとようやく安心した。
「失礼します」
丁寧に頭を下げ、部屋を出る。先ほど先生の部屋から出た時は気が重くてしかたがなかったが、今は多少気が楽な気がした。
カシミロが出て行ってしばらく、また部屋のドアが開いた。入室の許可を請うこともなく開けられたそこには、ニヤつく表情の見慣れた顔があった。
「どうだった?」
おそらく、隣の部屋で聞いていただろうに、わざわざ聞いてくるのが鬱陶しい。
エーベルハルドはシュルヴェステルの顔を見ないまま告げた。
「こちらには与しないらしい」
「ほお、意外だな」
それは、エーベルハルドも思った。そうでなくても、以前からウィンセスラス王子に振り回された下級貴族の青年が、彼に次ぐ地位の己の申し出を簡単に断るとは思わなかった。
「調べでは、気弱で脆弱な気性だということだったが」
「しかたがない。多少は側近らしいこともするしかないな」
学生時代くらい、何のしがらみもなく過ごしたいと考えていたが、このまま放置していればウィンセスラス王子は暴走しかねない。そうでなくても、王子の身で下町に現れるようなことをしたのだ。
(あれに目を付けて……)
できるなら、ウィンセスラス王子の目からあの幼女の存在を隠したかった。エーベルハルド自身、その幼女をどう扱っていいのか測りかねていたし、もう少し成長した後の魔力を観察したかった。
それが、ウィンセスラス王子は何も考えず、好奇心で接触をした。今はあの魔力のことに気づいていないようだが、あまりに親密になっては困る。
(面倒になった……)
エーベルハルドも放っておきたいし、ウィンセスラス王子の方も放ってほしいと思っているのに、関わらなければならないとは。
「でも、王子が気に入っているのはあのパンだろう? リナ自身に興味があるとは思えないが」
「……それならいいが」
どちらにせよ、貴族院にいる間は下町には行けない。休みになって行こうとした時、様々な理由を付けて妨害することもできるだろう。最終手段として、王子の母親である王妃に密告をすることも考える。
「あ~でも、私もリナに会いたいなぁ」
暢気に言いだしたシュルヴェステルに、エーベルハルドは視線だけを向ける。
「また、美味しいものを作っているんじゃないか?」
「……其方は食べ物のことしか考えていないのか?」
「其方も美味いと思っているだろう?」
確信をもって言われたが、それに答えるつもりはなかった。
彼女の考えるものは確かに美味だが、それ以上の価値が彼女自身にある。
「エルしゃん」
たどたどしく呼びながら、満面の笑みを向けてくる彼女。こちらの正体を知っているくせに、身分差が少しも理解できていないのは幼いせいなのか。だが、その距離感を心地良いと思う己がいて、エーベルハルドはそんな自身の思いを持て余す。
その時、ベルの音が鳴った。
「授業だ」
「では、また後で」
次のベルが鳴るまでに教室に行かなければならない。先にシュルヴェステルが出て行き、エーベルハルドも部屋を出て魔力の制限をする。こうすれば己か、己が許可した者以外は部屋に入ることができない。
こんな特別待遇も身分の上だと思いながら、エーベルハルドは足早に歩き始めた。




