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健康が一番です。 番外編  作者: ちいこ
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高等貴族院の日常 ①

 コールドウェルの王族及び貴族は、一人の例外もなく8歳になる歳から3年間、中等貴族院に入学する。

 そこで基本的な術語や一般教養の座学を習う。

 11歳になると、高等貴族院に進学し、そこから5年間、もっと高度な魔術や、国外の情勢を学び、さらに魔法技術や武術、体術などの実技に加えて、貴族としての社交も始まる。15歳の成人までに、そこで婚約者を決める者も多い。


 中等貴族院は、まだ保護者の加護も必要なので首都ベルトナールの北側にあり、週末には各家に帰宅することもできた。

 しかし、貴族としての自立を目指す高等貴族院は、首都ベルトナールの西側の外れにある。

 周りは深い森におおわれ、王専属の魔法師が作った結界の中にあるので、何人も脱走することも、反対に侵入することもできない隔絶された場所だ。


 2年前に第一王子が高等貴族院を卒業し、今年、第二王子が高等貴族院に入学する。

 同時に、コールドウェルの宰相であり、首都ベルトナールの領主であるストロハイム・フォン・ベルトナールの長子も入学するので、貴族院は久しぶりの賑やかさに包まれていた。






「エーベルハルト様っ」

 国内最大級と言われる図書館にいたエーベルハルトは、無粋にも大声を出しながら飛び込んできた場違いな人物に形の良い眉を顰める。

「エーベルハルト様っ、どちらにいらっしゃいますかっ?」

 このまま見つからなければ放っておけばいい。エーベルハルトは黙ったまま知らぬ顔をしていたが、残念なことに向こうは迷惑も顧みず隅々まで探し回ったらしく、やがて、

「ここにおられたのですかっ!」

 歓喜と安堵の入り混じった声と同時に、見慣れた姿が目の前に現れた。

「あのっ」

「静かに」

「……はっ」

其方(そなた)、ここがどこかわからないのか。図書館で騒いだ者は、司書によって出入り禁止を言い渡されてもおかしくないぞ。それで試験が通ればいいがな」

 国内外の膨大な歴史を調べるには、図書館の膨大な資料が必須だ。そのために学生のほとんどは図書館に日参するというのに、出入り禁止になれば補講が確実になってしまう。高位の貴族になるほど、そんな不名誉なことになったら実家からの叱責が待っているのだ。

 そのことに思い当たったのか、目の前の学生は蒼褪めた顔で口を噤む。だが、もの言いたげな眼差しをずっと向けられて、エーベルハルトは内心の溜め息を殺しながら尋ねた。

「王子がどうかされたのか」

 用件を聞かずとも、それが何かなど容易に見当がついた。いや、高等貴族院に入学してまだひと月だというのに、その人物絡みの問題でエーベルハルトはずっと振り回されているのだ。

 目の前の人物は、その側近だったはずだ。

「は、ウィンセスラス王子が、先ほど側近1人だけを連れて門から出て行かれまして」

 だが、それはエーベルハルトの想像もしていなかったことだった。


 貴族院は、コールドウェルの貴族としての己の立場を自覚する場所だ。

 しかし、まだ己の中の魔力が安定しない時期でもあるので、貴族院の中では原則として身分での優劣はつけないということになっている。

 もちろんそれは建前で、何よりも優先されるべきは王族で、その次が公爵家、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。十五の領地の中には王族から分家した大公の位の者が2人ほどいる。

 今は安定した治世だが、くすぶっている権力争いはある。だからこそ、王族やそれに連なる者は用心に用心を重ねなければならないし、護衛や側使えを連れず動き回ることはありえなかった。

 エーベルハルトも、表向きはウィンセスラスの側近として名を連ねている立場だ。

「……行く先は」

「それが、誰も聞いてはおらず……」

 貴族院の敷地から勝手に出れば、いくら王族とはいえ処罰がある。それほど大きな罰ではないが、小さな汚点でも王族につけるのはあまり褒められたものではない。

「……側近は誰だ」

「カシミロ・フォン・イーロ、文官課程の男爵家の4年生です」

「カシミロ……」

 聞いたことがある名前だ。しかし、あまりよろしくない。

「その者は、確か側近見習い候補だったはずだ。王子から正式な任命を受けていない者が側近を名乗るのはおかしい」

「それは……そうですが……」

「護衛は何をしている? 騎士課程の中に王子の側近がいたはずだろう」

「そ、それは、あの」

「……」

 エーベルハルトは今度こそ深い溜め息を殺さなかった。どうやら目の前の人物は、情報を正確に把握しないまま、慌ててエーベルハルトに指示を仰ぎに来ただけらしい。

 いくら公爵家の子息だとしても、エーベルハルトは高等貴族院の1年生だ。まずは上級生の己が率先して対処すべきではないかと、3年生が着けている深緑の胸元の印章を見た。

 しかし、どちらにせよ聞いたからには動かなくてはならない。

 エーベルハルトは重い腰を上げた。






「おい、いつになったら結界から出られるんだっ?」

 ウィンセスラス・ラッセ・コールドウェルは、苛立ちを抑えないまま近くの少年を叱責した。

「も、申し訳ありません。私には、その、結界そのものが見えず……」

「……見えないのか?」

 言い訳ではない、心底困惑した声に、ウィンセスラスの方が驚いた。

 目の前には、薄い黄色の膜がある。これは広域結界の種類で、魔力の高い魔法師しか張ることができないものだ。間違いなく貴族院を守るため、王専属の魔法師が張ったものだ。

 しかし、ウィンセスラスはそんなものなど容易く突破できると楽観していた。王の血を継ぐ王子の力が、一介の魔法師に劣るなどと考えもしなかった。

 現に、上級生の騎士課程の者が言ったのだ。


「王子ならば、この程度の結界を出入りすることなど容易いでしょう」


 それだけ、ウィンセスラスの魔力が高いのだと褒めそやされ、それならば行きたいと思っていた場所に足を延ばそうと簡単に考えていた。

 だが、森はどこまで行っても深く、なかなか開けた場所まで辿り着けない。

 貴族院は、入学時と卒業時、そして冬の休みの時だけ結界が消えるとは聞いたが、ウィンセスラスはどこかに綻びがあるのではないかと想像した。そこに己の魔力をぶつければ、結界から出ることなど容易だと。

「……くそっ」

 ウィンセスラスは空を見上げる。そろそろ赤く染まってきた。

 18時の鐘が鳴るまでに貴族院の門の中に帰らなければ、不名誉な脱走者として罰を受けてしまいかねない。

「カシミロ、戻るぞっ」

「し、しかし、道がもう……」

 カシミロの言葉に今来た道を振り返ると、まったく道が見えなくなっている。

 広大な森の中に置き去りにされたような孤独感を覚え、ウィンセスラスは恐怖をごまかす様に唇を噛み締めた。




 ホゥ


「!」

 その時、バサバサと木々の葉が揺れる音がして、近くの木の枝に何かが止まったのが見えた。

「王子、ボリスですっ」

「ああ」

 ボリスとは猛禽類の一種で、高い知能を持つ魔獣だ。大きな目と鋭いくちばしと爪を持ち、羽は広げれば体の二倍以上もあるが、全体的に丸い体形で愛嬌があった。

 魔獣とはいえ向こうから攻撃はせず、一部では幸運の使徒とも呼ばれることがあるが、このボリスは知能が高いのでなかなか人に慣れず、貴族の間でも飼っている者は少ない。

 目を凝らせば、目の前のボリスにはシルバーグレイの足輪がつけられているのがわかった。

 明らかに、野生ではない。

「……ここを動かず、待っていよう」

 ボリスは、教えれば手紙などの伝書の役割ができ、中には微力の魔力を持つ種類もいて、飼い主とのやり取りもできると聞いたことがある。

 そして、その限られた優秀なボリスを、ウィンセスラスは見たことがあった。

「……マルティーノ」

 小さく呼べば、首をぐるっと回してこちらを見下ろしてくる。


 ホゥ


「……叱られるな」

「え?」

 カシミロはウィンセスラスとボリスを交互に見ながらも、突破口が見えたらしいのを感じて明らかに安堵の表情になった。この後どれほどの説教が待っているのか、自分が原因だとわかっていてもウィンセスラスは気が重くなった。






「……このような場所まで散歩ですか?」

 それからしばらくして、ウィンセスラスが一番見つかりたくなかった人物……自分と同じ高等貴族院の1年生ながら1歳年上の幼馴染みが、たった一人でこの場にやってきた。

「……先生方は一緒じゃないのか?」

「まだ18時までには猶予があります。自覚されていなかったようですが、門からここまでは僅かの距離ですよ」

 嫌みを含んだ丁寧な言葉だが、ウィンセスラスは驚きの方が大きかった。

「え……」

 とても信じられなかった。ウィンセスラスが門を出たのは14時を既に過ぎていて、もうそろそろ18時ならば、4時間もこんな近い場所で迷っていたということになる。

「そんなことが……」

「結界が張られてあることはご存じでしょう? 惑わされたのですよ」

「……私が?」

 下級貴族ならまだしも、王子である自分まで結界に惑わされることがあるとは思ってもいなかった。そして、改めて、この貴族院の守りがそれほど強固だったと思い知る。思い付きで抜け出すことなど到底できるはずがなかったのだ。

 しかし、それを素直に認めるのも恥ずかしく、ウィンセスラスはむすっとした表情で黙り込む。

 すると、たった1人で迎えに来た幼馴染み……エーベルハルトが、呆れたように肩を竦めて言った。

「何者に唆された?」

「……唆されていない」

「では、其方の意志だと?」

 そう。少しだけでもここから抜け出したいと思ったのは自分自身だ。ごまかすことなく頷くと、「こういう時ばかり素直だ」と小さく呟かれた。

「理由は?」

「……パンだ」

「……今、何と言った?」

 珍しく、エーベルハルトが当惑したような表情になる。それが面白く、ウィンセスラスは気落ちした気持ちが少し上向いて、胸を張って言った。

「ジャックの店の白パンが食べたかった」


 ジャックの店とは、平民が営んでいる下町のパン屋だ。

 本来王子の自分が足を向けることなどありえないのだが、偶然知って、そのパンの美味しさに魅せられ、高等貴族院入学まではカシミロに買いに行かせた。

 貴族院に入学すれば食べられなくなるとわかっていたし、貴族の子息が集まる寮の食堂は美味しいだろうと勝手に思っていたが、そこで出される食事は慣れた味気ないものだった。

 そうなると、あの柔らかな白パンが恋しくなって、どうにか手に入らないかと思い悩んでいたところに、あの甘言が耳に届いたのだ。

「……パンなど……」

「そうは言うが、エーベルハルト、其方も知ってるだろう? あのリナの父の店だぞ?」

 1歳の洗礼式のことを忘れたかと問い詰めたが、エーベルハルトは涼し気な表情で何のことやらと告げる。

「とにかく、此度のことは先生方には内密にするが、二度はないと心しておけ。其方は替えの利かないこの国の王子だぞ」

「……わかっている」

 高等貴族院に入学し、長い休みしか家族に会えないと、少しばかり心細くなったのかもしれない。

 ジャックのパンを手に入れる野望はまだ完全には消えていないが、とりあえず強固な結界を無謀に突破することは止めることにする。

「エーベルハルト、マルティーノを連れて来たのか? 貴族院に使役の魔獣を連れて行ってはならないと学則にあったが」

 いつも叱られてばかりだが、これは言い負かす好機かもしれない。そう思って言ったウィンセスラスだったが。

「普段はこの森に放してある。必要な時に少し呼び出すだけだ。今回もそれで其方を早く見つけ出すことができただろう」

「……」

 確かに、そうだ。マルティーノがいなかったら、きっと18時までに貴族院に戻ることはできなかった。

 礼を言えばいいのか、それとも謝罪が必要か。

 口籠るウィンセスラスに、エーベルハルトはさらりと言う。

「早く戻るぞ」

「……ああ」






「でも、貴族院の食事が美味しくないのが悪いと思わないか? 其方だって、美味しいものを食べたいだろう?」

 静かな廊下を歩きながらウィンセスラスは言い募る。ここでエーベルハルトを味方に付ければ、第二王子の権限と合わせて寮内の食事を改善できるのではないかと思ったのだ。

 しかし。

「貴族院では身分差などない。ここで其方が命じたとしても、考慮するという言葉で終わりだ」

「……そうか」

 結局、今の自分では何もできないのかと悔しく思うウィンセスラスの耳に、悪魔の甘言が再び聞こえてくる。

「もっと上手くやればいい。無謀に突っ走る前に、まずは計画を立て、味方を増やせ」

 エーベルハルトらしからぬ言葉に思わずその横顔を見つめたが、それ以上は言う必要がないと思ったのか続く言葉が出てこない。


 なるほど、まずは計画と味方か。

 それならばいやというほど心強い味方がここにいるではないかと、ウィンセスラスは隣を歩く整った容貌の幼馴染みを見た。

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