墓参り
今年もあの悪夢を見るようになってから数日が経過した。その間にも僕はあの日を体験しては寝覚めが悪くなるということを何度か繰り返していた。
今日も日曜日の爽やかな朝だというのに寝不足気味な頭をなんとか覚醒させて自室から出る。
「ユウイチ、そろそろ行くよ」
「うん」
階下から呼びかけてくる母親にぞんざいな返事をしながら僕はいそいそと準備を進める。今日は墓参りに行く予定だった。それも死んだおじいちゃんや親戚の墓参りなどではなく、当時小学生だった僕の妹の墓参りだ。
リビングに不釣り合いな仏間で、同じく仏間には不釣り合いなみずみずしい笑顔の遺影を呆然と眺めていると、玄関先から再び母に催促される。いい加減、夢見心地なこの感覚を振り払わないといけない。
「もう、何やってんの」
「ごめん」
案の定、玄関先で母にいさめられながら玄関を出る。母は玄関のかぎをかけると、同じキーホルダーにぶら下がっている車のキーのボタンを押し、家の横にある小さな軽自動車が電子音を発して開錠される。
そのまま母は運転席に座り、僕は助手席に座る。そして軽自動車はいつも通り軽快にエンジン音を上げながらゆっくりと家から離れていった。
車は住宅街の狭い道を通り過ぎ、大きな幹線道路へと進んでいく。母がアクセルを踏み込むのに合わせて小さな軽自動車はエンジンの回転音を大きく唸らせながらスピードを上げていく。
しばらく平坦な道を進んでいき、途中の交差点を左折して森林に囲まれたちょっとした山道を登っていく。山道と言っても交通量が少ないこともあって舗装はきれいなきれいなままで多少スピードを出していても振動はほとんど感じない。
すれ違う車もほとんどないまま走り、少しずつ民家の姿も見えなくなり廃業したコンビニ跡地を通り過ぎたところで隣町を示す道路標識をくぐり抜けた。この町こそが僕たち家族の元々住んでいた場所であり、僕と妹が生まれた場所でもあった。毎年足を運んでいることもあってあまり懐かしさは感じないが、段々と増えていくお年寄りの姿を眺めていると、きっとこの町もそれほど長くはもたないのだろうなと思った。
「今年で3年目だけど、どんどん人が少なくなっていくわね」
「何もないし、しょうがないんじゃない」
母も僕と同じようなことを考えていたようだ。特に僕の両親は僕が生まれるより前からこの町に住んでいたはずなので僕よりも深く感じる何かがあるのだろう。
この小さな町も増え続ける平均年齢と減り続ける人口という大きな問題を解決できないまま今に至る。そのせいで再開発も移住計画も立てられないままこの町から人の姿は少しずつ消えていっているようだった。この現象もこの場所に限ったことではないが、やはりこうして身近な町が小さくなっていくと少なからず寂しさも感じてしまう。
そんな他愛のない親子の会話を交わしていると、田舎とはいえそれなりに民家の集中している場所にたどり着く。とはいえ、並んでいる建築物はどれも背は低く戸建ての一軒家ばかりというところが土地の安価さを物語っている。この町の駅前にあるのも住居が一体になった小さな個人商店と、同じく周囲を取り囲むのは一軒家ばかりだ。
そんな片田舎の同じような風景がしばらく続いた。一軒一軒の形や壁の色は全部違うのに、風景として見るとまるで変り映えがしないのが何とも不思議だった。
そうやって退屈な時間を過ごしていると、段々と張り紙のされた建物の姿が増えてきた。中には町の中心部にもかかわらず黄土色の地面をまるまるさらした更地に小さな立て看板という光景も増えてくる。そしてどの張り紙にも目立っていたのは『売物件』という大きな3文字とやや小さめに書かれた不動産会社の名前とその連絡先だった。
あの場所に近いこの付近は土地も建物も価値が異常に低いのだ。そういう僕たち家族も住んでいた住居を手放して売物件にしたという過去があるのも事実だ。誰も彼もがあの場所から離れたくて住んでいた家も町も切り捨てて別の場所に移った。更地になっているのは住んでいる主が売却手続きをする間もなく帰らぬ人となり、行政が処分を実施したという経緯がある。
この町の人口分布はある場所を中心にしてドーナツ状に広がっている。真ん中には誰も住んでおらず、あるのは空き家と更地だけというゴーストタウンさながらといった様子だ。その周囲を取り囲んでいる民家に住んでいるのもほとんどが頑固な高齢者ばかりで住んでいる人間と同じように町そのものの寿命も決して長いとは言えない。
そして僕と母が向かっているのは、まさしくドーナツの中心だった。
*
「着いたよ」
寝不足だった僕はいつの間にか眠ってしまい、母の呼びかける声に再び目を覚ました。
そして車の窓ガラス越しに広がっているのは町の中心部には本来あるはずのない大きな共同墓地だった。灰色の角ばった墓石と小さな小道がどこまでも続いている、この町の人口よりも多いんじゃないかと感じてしまうほどの大きな共同墓地だ。
そしてこの場所は僕と妹がかつて通っていた小学校のあった場所だ。
あの空落ちの日に運動会が催されていたこの場所に小さな小学校をまるまる飲み込む勢いで大型旅客機が墜落した。音速に近いスピードで突っ込んできた巨大な鉄の塊は小学校のグラウンドにいた人間は当然のことながら周囲のあらゆる家や住んでいた人間も破壊した。僕と両親はその後の救助活動で何とか一命をとりとめることができたが、それはとても奇跡的なことだと後になってから僕は知った。
勤務中だった学校の先生は全員が亡くなった。小学校の6学年のうち、半分の学年で児童の生存者は一人もいなかった。誰か一人でも生き残った家族よりも誰も生き残れなかった家族のほうが多い。死んでしまった人間の3分の1は遺体を復元できなかった。
こんな状況で4人家族のうち3人が五体満足で今も生きているのはとても奇跡的なことだ。それはこれまでに明かされた生きている人と死んでいった人の数字を比べれば明らかだし、目の前に広がる光景はこの小さな町で死んだ人間のあまりにも多すぎる数を体現していた。
その数の中に僕の妹が含まれてしまったという、ただそれだけの事なのだ。
母と僕は車を降りて僕は水の入った2リットルのペットボトル、母は小さな花束をもって共同墓地を歩いていく。墓石の大きさは様々だったが、どの墓石にも刻まれているのは家族名や戒名ではなく個人名ばかりだった。本来なら家族の名前を刻んで、ゆくゆくは家族一緒に同じ墓に入るというのが主流なのかもしれないが、大事故の起きたこの場所は家族みんなで入りたいような場所ではない。
だからここに並んでいる墓石はどちらかというと慰霊の意味のほうが強く、個人名が刻まれているのもそのためだ。中には遺骨をこの場所に置かずに別の場所に作った家族の墓に納骨しているという人も多い。
「なんか今年は人が少ないねえ」
そんな一風変わった共同墓地を歩いていると、母が呟くようにそう言った。
言われてみればなんだか去年に比べて人の姿が少ないような気がする。空落ちの日はすなわちここに並んでいる人々全員の命日でもあり、この時期になると墓参りと慰霊に来る人の姿が後を絶たない。そのはずなのに人の姿はまばらにしか見かけず、なんだか少しだけ不気味さを感じるほどだった。
「みんな忘れたいんだよ」
僕はそう言った。心の底から思うことを口にした。僕がそうであるように、ここに来るような人たちは結局のところ忘れたいのだろう。こうしてこの場所に来てしまうと、どうしても思い出してしまうのはあの日の事ばかりだ。巨大な鉄の塊と、灰燼と化した小学校のグラウンドと、圧倒的な力でなぎ倒された人々と、ろくでもない記憶ばかりが呼び覚まされる。そんな無意味な時間を過ごすぐらいならば、こんな場所には来ない方が賢明な判断というものだ。
きっと今の僕と同じようにこの場所に来る人は無力感に苛まれていることだろう。あまりに突然の出来事に何もできなかった自分の無力さを今でも許せずにいるのだろう。
「母さんは辛くないの」
そんなことを考えていると目の前で実の娘の名前が刻まれた墓に生花を供える母の姿にふとした疑問を覚える。家族を亡くしたという重い事実がのしかかっているはずの母は果たして辛くないのだろうかと。
「それはもちろん辛いわよ。でも、いつまでも同じこと考えてちゃ前に進めないからね」
母は微苦笑しながらそう言った。そしてそんな母の姿を見て僕は純粋に強いなと思った。もしくはこれが大人と高校生の違いというやつなのだろうか、母はすでに割り切って乗り越えてしまっているらしかった。
「あんたもそろそろ元気出しなさい。もう3年も経つんだよ」
そんな母の追い打ちに僕は返事をすることができなかった。母はもう3年と言ったけれど、僕にとってみればまだ3年だ。この場所に来れば思い出すのは辛い記憶ばかりだし、3年経った今でも夜な夜な悪夢を見てしまう始末だ。たった3年ぐらいでそんな顔ができるのは、きっと母が特別に強いだけなのだ。僕には同じことなんて到底できない。
であればいつこの記憶から離れることができるのだろうかと考えることもあるが、結局は未来のことなど何もわからないという堂々巡りを繰り返すだけだった。
僕には気持ちを切り替える方法も受け入れる手段もまだ分からなかった。
「そろそろ帰るわよ」
母のその言葉で我に返った僕はせわしない手つきで妹の墓に線香をたてるとその場を後にした。