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空喰い ~別れた翼~  作者: とりとん
何も飛ばない広い空
6/19

悪夢

 

 その時、僕は何が起きたのか全く理解できなかった。異様な低空をこちらめがけて飛んでくる小さな飛行機の姿を見つけたと思ったら、あっという間に手の届きそうな近くまで巨体が襲い掛かってきたのだ。そして何が起きるのか理解する間もなく轟音と衝撃が襲い掛かり、僕の体は紙切れか何かのように吹き飛ばされたのを覚えている。どこをどう吹き飛ばされたのか分からないが、気が付くと僕は小学校の校門前で横たわっていた。運動会の始まる前に通り抜けたはずの校門前だった。

 体の節々を電撃のような痛みが走りながらも、なんとか首だけ起こしてみれば周囲は砂塵に包まれて視界はほとんどない。


「ゴホッゴホッ」


 痛みを感じ、砂塵を吸い込んでむせながらなんとか手をつき、膝をついて立ち上がる。少しずつ開けてきた視界に目を凝らすと、目の前に巨大な金属製の円筒が転がっていた。円筒の中には刃のような羽が何十枚と放射状に収められている。それが飛行機のエンジンだということに当時の僕は気付く余裕なんてなかった。

 一歩間違えれば1トン以上もありそうなこの物体に潰されていたのかもしれないが、やはりそんな事実もどうでもよかった。そもそも起きたことが理解できていないのだから、この時の僕にとってみれば気が付くと目の前に見慣れない物体が転がっているというまるで意味不明な悪夢と大して変わらなかった。

 ついさっきまで小学校の運動会をしていた場所に飛行機のエンジンが転がっているだなんて誰が思うだろうか。


 それから僕は足を引きずりながら周囲をさまよった。とにかく何が起きたのか理解したくて周囲をさまよった。だけど、目に飛び込んでくる景色は僕を戸惑わせるばかりだった。

 見覚えのあるコンクリート製の校舎は跡形もなく消し飛び、校舎のあった場所には飛行機の流線型の胴体と折れて途中で無くなった巨大な翼があった。胴体も途中で折れて吹き飛んでしまったらしく、割れた断面からは無残にバラバラになった貨物室と客室が見えた。客室の座席に収まっているはずの乗客の姿が見えないのは、きっと空席だったのだろうと僕はこじつけた。

 家族一緒に昼食を食べるはずだった体育館には天から降り注いだ稲妻のごとく金属製の尾翼が突き刺さり、なんだか前衛的なオブジェのようだった。

 そこかしこからうめき声のようなものが聞こえたような気がするが、泣き叫ぶ声や悲鳴は一切聞こえなかった。轟音と衝撃に襲われた後だからだろうか、周囲は不気味な静けさに覆われていた。


 そうだ、僕の妹はどこに行った。確か楽しみにしていた玉入れ競争をするためにグラウンドのど真ん中にいたはずだ。

 僕はそう思い出し、校門やがれきとなった校舎、それに尾翼の突き刺さった体育館の位置からグラウンドの場所にあたりをつけ、そっちへ向けて歩き出す。片足を引きずっているのだから歩いていたとは言えないが、そにかく妹がいた場所を目指す。地面に転がる金属片を踏まないように気を付け、何の一部かもわからないコンクリートの塊を避け、落ちていたスーツケースに足を取られながらもグラウンドの中心を目指す。

 そうしてゆっくり時間をかけて何とかグラウンドにたどり着いた僕の目には信じられない光景が映った。光景が映った、というのは表現として適切ではないかもしれない。


 なにしろ、グラウンドには何もなかったのだから。


 赤と白の網かごがついたポールも、その周囲で号砲を待つ児童の姿も、その児童を取り囲むようにテントの中で固唾をのむ保護者たちの姿も、児童が整列してくぐった入退場門も、校長先生が開会宣言をした演台も、そのグラウンドにあったはずの何もかもが忽然と姿を消していた。

 あるのは大きくえぐれた地面と、小学校の周囲を囲んでいた柵や民家をなぎ倒し、はるか遠くで黒煙を上げながら横たわる飛行機の胴体の一部だった。その胴体の一部が一体どこからやってきてどこを通り過ぎて今の位置にあるのか、その理由はグラウンドの大きくえぐれた地面となぎ倒された柵や民家を見れば一目瞭然であったが、その時の僕はそんな単純なことさえ考えられなかった。

 思考停止したままの僕は意味もなく何もない場所へ向けて一歩を踏み出した。すると、足先が何か小さなものを蹴る感触があって僕は反射的に足元を見た。周囲に広がる非日常的な光景をそっちのけで僕は足元を見た。今だからこそ思うことだけれど、そんな足元の感覚など気にしなければよかったのに、僕はなぜか足元を見ずにはいられなかった。

 そこには赤い布でできた手のひらサイズの玉が砂埃をかぶって転がっていた。僕はそれを拾い上げ、砂埃を手で払う。


『わたしね、リハーサルでは玉入れで10個入れたんだよ。今日はぜんぶ入れれる気がする』


 妹は確かにそう言った。家を出て登校する直前に、自信たっぷりといった様子でそんなことを言っていた。今、僕が手に持っている赤い玉は妹がその手で赤いかごめがけて投げるはずだった。その赤い玉を砂塵だけが舞い散る何もないグラウンドで僕が拾った。


 こんな状況を誰が理解できるというのだ。


 僕は絶叫した。腹の底から体中の空気を吐き出す勢いで声にならない絶叫を上げた。もはやこの場所で何が起きたのかなんてどうでもよくなり、目の前に広がる光景を認めたくなくて、瓦礫と鉄クズと砂埃のど真ん中で叫び続けた。


 *


「うあああっ!!」


 僕はベッドから飛び上がるように起き上がった。どうやらまた、あの日の夢を見てしまったらしい。


「はあっ、はあっ」


 まるで今まで呼吸が止まっていたかのように浅い呼吸を繰り返し、何とか自分が夢から覚めたのだという実感を得る。そして夢であって本当に良かったという異様な安心をかみしめる。

 やはりこの時期になると心のどこかであの日のことを思い出そうとしているらしい。同じような悪夢は去年も、その前の年も同じような時期に何度も見ていた。どうやら普段の理性で拒否していても本能が忘れることを決して許してはくれないようだ。


「クソッ」


 僕は悪態をつきながらベッドから降りる。夢の中では引きずっていた片足も、今では何事もなかったかのように僕の全体重を支えている。

 窓の外は暗く、部屋のデジタル電波時計を見ると既に日付は変わり真夜中という時間帯だ。

 悪夢のせいで火照った体と背中一面を覆うねっとりとした不快な汗を乾かそうと窓を開ける。窓の外は世闇に包まれ、家に隣接する狭い道路も街灯が何もない場所を照らすだけだ。まるで世界に取り残されたような気分を感じながら夜風を部屋の中に取り込む。梅雨に入る前の乾燥した空気は淀んでいた部屋の空気を一瞬にして塗り替え、そして少しずつ体中を支配していた昏い感情が消えていく。


「今年もか……」


 疲れ切った精神からこぼれ出た感情は諦めだった。この強烈な悪夢は毎年の恒例行事のごとく空落ちの日が近くなると僕を苦しめている。その日が過ぎて数週間もすれば、あの悪夢を見ることはほぼなくなる。だが、こうして今しがた鮮烈な体験が蘇ったということは今年も例外ではなかったみたいだ。

 3年も経てばさすがに忘れることができるかと思っていたが、やはりあの日の鮮烈な出来事は簡単に忘れられるようなものではないということなのだろう。その事実こそ少し理性的になれば簡単に分かるようなことだ。

 落ち着きを取り戻した僕は前回にしていた窓を閉じた。少しずつ春から夏へと移り変わる時期とはいえ朝晩はまだ寒い。特に急速に乾いていく背中の汗は不快感を通り越して肌寒さを感じ始めていた。


「まだ食べてなかった」


 僕は緊張がほぐれてくると純粋に空腹を感じた。冷たい夜の空気に満たされた部屋から出て暗い階段を目を凝らしながら降りてリビングの照明をつける。急に明るくなった視界のまぶしさに目を細めると、四角い4人掛けのテーブル上に透明なラップに包まれた一人分の夕食がひっそりと置かれていた。

 目的もなく人の気配がないリビングを眺めていると、いつの間にか僕の意識は黒く縁どられた仏間に向いていた。ろうそくの火はきちんと消されており、夕方に僕がたてた線香は既に燃え尽きて跡形もない。写真立ての中で笑っている妹も見慣れたいつもの姿のはずだけれど、なんだか今は灰色めいた無味乾燥な印象を受ける。写真立ての前に置かれたウサギの形をしたリンゴの供え物が弱々しくも無色さを和らげているような気がした。


「そういえば好きだったな、ウサギのリンゴ」


 妹は母親がウサギの形に向いたリンゴが好きだった。そんなに嬉しそうに食べればリンゴもさぞ幸せだろうと言わんばかりにいつも笑顔で食べていた。頭から食べるのはウサギさんがかわいそうという子供らしい全く無意味そうな理由で、いつも赤い皮が無い方から食べていた。

 僕はリンゴの供え物がおかれた仏間を眺めながら、そんなどうでもいいことを思い出していた。きっと、無意識のうちに嫌な思い出を何かで塗りつぶそうとしているのだろう。

 でも、僕のこの黒い記憶は決して消えてくれない。どんな色で何回塗りつぶそうとしても、結局全ての色が黒に取り込まれてしまう。しばらく忘れられた気でいてもそれはそういう気分になっているだけだ。あんな出来事を上書きできてしまうような体験なんて、一体どんなことをすればいいというのだろう。3年が経ってもこびりついて離れない汚れをどうやって落とせばいいというのだろう。いっそのこと、頭でもぶつけて記憶喪失になれたらどれほど楽なのだろうか。

 僕はそんなことをぼんやりと考えていた。でも、こんなことを考えるのは今日が始めてなんかじゃない。これまでに何度も何度も浮かんでは消えていっただけの意味も結果も無い考えだ。こんなことを考えたところで何も変わりはしないというのは、この3年の経験で十分に証明されていることだ。


「やっぱ先に風呂に入るか」


 僕は背中に感じる寝汗や悪い夢に取りつかれたような気分や無限ループを繰り返す思考を洗い流したくてリビングの食卓ではなく脱衣所へと先に行くことにした。


 それが何の解決にもならないことを知りながら。


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