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空喰い ~別れた翼~  作者: とりとん
何も飛ばない広い空
3/19

歴史の授業

 

「これでホームルームを終わる。委員長、号令」


 担任の先生の一声に続き、このクラスの委員長が「きりーつ」とやや棒読みがちに告げる。さらに続いた「れい」という声でクラスの全員が揃って頭を下げることで朝のホームルームが終わった。この後は5分の小休憩を挟んで一限目の授業となる。


「さてと」


 僕は一限目の授業が歴史であったことを思い出しながら教科書類を机の上に準備する。空落ちの日が近いこの時期は歴史の授業といっても平安時代や戦国時代がどうのこうのというよりも、この数年のうちに起きたあれやこれやについての内容ばかりとなる。次の定期テストの内容も半分以上がその内容になるらしかった。

 誰にとっても思い出したくない内容でありながら、高等教育の内容として含まれているのは二度と同じ過ちを犯してはならないということを教えるためなのだろう。


 そんなことを考えていると歴史の担当教員が教室に入ってくる。歴史というイメージとは違い、教壇に立つその教員は20代後半の男性という雰囲気をまとっており、どちらかというとジャージ姿の体育教師の方が似合いそうな人物だ。


「授業始めるぞ、席につけー」


 その一言で5分という短時間にもかかわらず談笑にふけっていた生徒がいそいそと自席に戻る。そこまでして話したい急用でもあるのだろうかと個人的に疑問ではあるが、そんなことを言っても反感を買うだけだ。


「すでに先週も言ったが、空落ちの日が近くなると授業内容はそれに関するここ数年の動きについて取り扱うことになっている。今度の定期テストでも割合はかなり高いからちゃんとついてくるように。今日は教科書じゃなくて特別資料の10ページからだ」


 特別資料とは空落ちの日から今日にいたるまでをまとめた教科書の別冊だ。国が直接内容を編纂しているらしく、2年前の授業内容変更と一緒に導入されたものらしい。せっかく教科書を持ってきたのにいらないならいらないと先に言っておいてほしい。

 先生の言う特別資料10ページを開くと、そこには明朝体で『飛行禁止法について』と大きなタイトルが印刷されていた。


「飛行禁止法についてだが、制定されたのは空落ちの日から半年後だ。それまでは被災者の救助活動や復興作業で手一杯だったことと原因究明のため飛行機は全面飛行禁止とされていた。その後に一切の飛行行為とそれに関する生産、研究行為を全て禁止する飛行禁止法が制定されたから実質、空落ちの日から空を飛ぶということは許されていない」


 先生は資料に書かれている内容を読み上げながら解説を加えていく。この文系特有の授業の進め方は退屈極まりないが、試験内容に含まれるということでクラスのほとんどが頭の中に叩き込もうと一生懸命だった。


「さて、この飛行禁止法だが他の法律とは違う特徴がある。みんなも分かっていると思うが、それは憲法に記されているということだ」


 そう、飛行禁止法は憲法改正によって成立した。国会で審議し、国民投票を終えるまで1カ月というあり得ないほどのスピードでこの法律は憲法に組み込まれた。連日テレビで放送された憲法改正のニュースは全てが肯定的で、この国の誰もが賛同していた。あまりにも異常な早さで書き換えられていくこの国の規範を危ぶむ声も多かったが、その声もいつの間にか大衆によってかき消されていた。いまだにデモ活動が絶えないのもそのせいかもしれなかった。


「先生、デモ行為は憲法違反で取り締まれないんですか?」


 生徒の一人が疑問をぶつけた。歴史の授業がいつの間にか法律の授業になりつつあったが、先生は困り顔することなく生徒の質問に答える。


「確かに飛行禁止法には飛行行為を扇動することも禁止している。その一方で従来の憲法に書いてある国民の権利があってな、今では実情としてそっちが優先されているってとこだな。それが次のページの有名な青色裁判だ」


 特別資料のページをめくると、また同じような明朝体で『青色裁判』と書かれている。さらに青いプラカードを掲げて街中を行進している人々のカラー写真も掲載されており、当時の混迷さを感じずにはいられなかった。


「青色裁判の発端はデモメンバーの一人が逮捕されたことだ。そのメンバーの活動が憲法違反になるかどうかで裁判が行われ、最終的に判決は違反ではないということになった。それからはちゃんと手順を踏んで申請されたデモ活動は取り締まれなくなっている。だが幸いなことに活動の規模も回数もどんどん減少していてそのうち収束する見込みらしいぞ」


 先生のその言葉で僕は少しだけ安堵する。どうやらこの国の優秀な治安のおかげで順調に秩序を取り戻しつつあるようだった。

 青色裁判の判決が出た時はメディアも盛んに騒ぎ立て、昼のワイドショーや週刊誌では裁判官の買収行為があったのではないかと疑われる始末だった。実際の真偽がどうであったのかは誰にもわからないが、デモ活動が合法と認められたことでもっと過激なことが起きるのではないかと誰もが心配していた。


「さて、こうして法律の制定と裁判が行われたわけだが、飛行禁止法によって地上と海上の交通は発達することになる。それが次のページだ」


 さらに資料のページをめくると、『交通網の改革』と銘打たれている。


「飛行機の移動というのは速いということが特徴だったが、その速さを陸上の交通で取り戻そうとする研究が飛躍的に進んだ。高速道路は自動運転道路の整備によって時速数百キロでも走れるようになり、超高速鉄道と言われる新幹線の倍のスピードが出せる仕組みも研究された。点在する離島に関しては船便の増加や架橋によって交通の便は前より良くなったと言われている」


 先生が読み上げるスピードに合わせて資料の文章を目で追う。空を使えなくなった以上は当然のことでもあるけれど、人間の移動手段は陸路と海路しか使われていない。さすがに飛行機と同等とはいかないが、これらの移動スピードは格段に向上していた。とある調査結果によると全体的な輸送力は以前よりも増加しているとさえいわれている。僕としては一度に運べる量が限られて速いだけの危険な乗り物が無くなって良いことしかないと思う。


 それからも資料の内容を先生が読み上げていくだけという退屈でしかない授業が続いた。まだ朝の一限目だというのに眠気を感じてしまうのは寝不足のせいだけではないだろう。

 今は空という移動手段が無くなったことで起きた問題とかその後の対応について淡々と説明している。僕としては空を飛べなくなって起きる問題なんて安全と安心な暮らしに比べれば些細でしかないと思う。多少の犠牲はやむを得ないというものだ。


「それじゃ、最後にくれぐれも式典期間中は無用な外出を控えるように」


 先生の当たり障りのない締めくくりと同時に一限目を終了するチャイムの音が教室に鳴り響いた。


 *


「で、ユウはどう思う?」


 イリーナが授業の合間の休憩という限られた時間にわざわざ僕の席のところまでやってきて、ついさっきまでの授業内容について意見を求めてきていた。


「どうって言われてもなあ」


 僕は一限目の授業内容がいかに退屈だったかを正直に反応の薄さで表現する。内容としてはほとんど知っているようなことばかりだし、取り立てて難しいともおかしいとも思わなかった。


「私はこの国がやってることは少し強引すぎると思う。そうね、まるで鎖国よ、鎖国」

「そうか?危ないことをするなって言ってるだけだろ」

「私の国ではもっと自由だったのに、この国はあれはダメこれはダメってダメダメばっかり」

「そういう国民性なんだよ、いい加減慣れろって」

「そうやって人の意見を聞かないのもユウ…じゃなかったこの国の人の悪いところよ」

「なんか固有名詞が出た気がするが聞かなかったことにしといてやる」


 確かに大陸で十数年を過ごしてきたイリーナにしてみれば、この国や人々の感覚というのは不可解なことも多いのだろう。でも、まるで鎖国みたいだというのはさすがに言いすぎだと思う。海に囲まれたこの島国で空路が無いということは鎖国っぽく見えるのかもしれないけれど、船便で人や物は行き来している。完全に国外との行き来を禁止していた鎖国に比べれば何倍も開けているだろうに。

 そして再び教室にチャイムが鳴り響き、少ないリフレッシュタイムが終わったことを告げる。


「それじゃ、この話はまたあとでね」


 イリーナは手をひらひらと振りながら自席に戻っていく。またあとでねというほど議論の余地はないと思うのだが、どうやら向こう側はそう思っていないらしい。これはもはや国民性の違いとして受け入れてもらうしかなさそうだな。

 そんな他愛のないことをぼんやりと考えていると教室に白髪頭の数学教師が入ってくるのが目に付いた。


「さて、次は数学か」


 机上に開いたままだった歴史の資料を閉じて乱雑に引き出しの中へしまい込む。そのままの流れで数学の教科書とノートを取り出し、今日の授業内容が書かれた教科書のページを開く。

 いつものように数学の授業が始まると、僕の頭から歴史の授業内容はすっかりと消し飛んでしまい目の前の意味不明な記号との格闘に精一杯となった。


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