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空喰い ~別れた翼~  作者: とりとん
何も飛ばない広い空
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その日は突然やってきた

 その日、僕は朝から小学校のグラウンドでテント張りを手伝っていた。すでに中学生になっている僕がどうして小学校のグラウンドでテント張りなんぞをしているのかという疑問のヒントは小学生の妹にある。

 勿体ぶらずに言うならば、今日は妹が通う小学校の運動会だった。この小学校では運動会当日の早朝に父兄が集まり保護者の観覧席とでも言うべきテント張りをすることが通例だった。そのテント張りに父から半ば無理矢理手伝わされているというのが今の状況だ。


「この長いのはこっちで、その短いのはあっちかな」


 ビニールひもで縛られた鉄パイプをバラバラにしながら、それぞれをあるべき場所に並べていく。すっかり日の長くなった今日という日は早朝と言えども多少の暑さを感じ、少し動くだけで首筋から汗が湧き出してくる。

 慣れない作業ではあったが経験値の高い父や他の保護者とともに進めていれば30分と経たずにテントは組みあがった。6人がかりで組みあがったテントを運び、指定された場所で杭を打ち込みテントの足を固定する。

 他の地区のテントも順調に組みあがったようで、何の荷物も載せていない軽トラックがグラウンドの砂埃を巻き上げながら退散していった。

 一息つきながら上を見上げると、まるで絵筆で勢いよく描いたような白く細い筋状の雲がはるか高い大空に浮かんでいた。


 きっと今日の運動会はとてもいい天気になるのだろうと疑わなかった。


 *


「お兄ちゃん、おかえり!テントどうだった?」

「心配すんな、ちゃんとできたよ」


 家に帰ると勢いよくパジャマ姿で今日の主人公が駆け寄ってくる。いつもは寝坊しがちの妹だったが、今日という特別な日は早く目が覚めたようで早朝にもかかわらず小学生特有の元気溌剌さを発揮していた。実際のところは保護者たちの手によって主導されたのだが、ここではあえてそんなことは言わないでおく。


「わたしね、リハーサルでは玉入れで10個入れたんだよ。今日はぜんぶ入れれる気がする」

「全部は無理だろ」

「そんなことないもん、お兄ちゃんのいじわる!」


 妹は捨て台詞を吐きながら脱衣所に走り去っていった。おそらくパジャマから体操着へと着替えるのだろうが、緊張と期待でいつにもまして落ち着きが失われている様子だった。

 キッチンでは母が今日の弁当を作っていた。普段なら小学校では給食があるため見かけない光景だが、運動会の日は給食は支給されない。その代わりに保護者が弁当を作り、テントや体育館で児童と家族が一緒に昼食をとるというのが毎年のことだ。授業参観で親が学校に来ることは年に何回かあるが、学校の中で家族そろって昼食というのは、ほぼ1年に1回のイベントだ。かくいう僕自身も小学校の頃はそこに楽しみを見出していたし、妹のテンションが上がりすぎなのもそれが理由の一つでもあるのだろう。


「いってきまーす!」


 玄関先から妹の元気な声が届く。あまりの準備の早さに違和感を覚えるが、そもそも教科書もノートも必要ない今日のような日では当然、ランドセルも必要ない。必要なのは体操着と帽子と水筒ぐらいなもので着替えが終わってしまえば準備という準備は終わったようなものだった。僕が小学生の頃はランドセルを背負わずに通学路を歩いていると背中のむずがゆさを感じていたものだが、果たして妹はどうなのだろう。あの様子では楽しみすぎてそんなことを感じている余裕はなさそうではあったが。


 壁に掛けられた時計を見ると運動会の開会式まであと1時間半といったところだった。


 *


 小学校の頃に何度も往復した通学路を両親とともに歩くというのは不思議な気分だった。道路わきのガードレールも電車の通る鉄橋もレンガ造りの小学校の正門ももっと大きなものだと思っていたのに、まるで世界が小さくなってしまったかのようにあらゆるものがミニチュアっぽく感じられる。当然、世界の大きさなど変わってなどいないし大きくなったのは僕自身の方なのだけれど、とても広いと感じていたこの町並みを小さいと感じることはきっと誰にでもあることだろう。目の前を歩く両親にもそんな経験はあるのかもしれない。


 歩くスピードが速くなったせいか思ったよりも早く到着した小学校のグラウンドには早朝に張ったテントが周囲を取り囲むように並べられており、すでにちらほらと保護者家族の姿が見える。3階建ての校舎を見ると窓ガラス越しに教壇に立つ教師の姿と並んだ机に大人しく座る児童の姿が目に付く。きっと今日の注意事項だとかスケジュールの確認だとかそういったことをしているのだろう。


 それからしばらくすると、グラウンドの隅に設営された入場門の前に児童が集まり始めた。1学年1クラスしかないこの小学校の児童数はそれほど多くはないが、それでも全員が集まれば入場門前には小さな人だかりが出来上がっていた。

 やがて教師の姿もちらほらと見え始めると児童たちは整列を始め、あっという間に赤い帽子と白い帽子の集団が出来上がる。そしてどこかで聞いたことのあるような入場行進曲がグラウンドに鳴り響き始めると児童たちは整列したままグラウンドを一周し、その後に校舎へ向かい合う形で整列した。何度も練習したのであろう集団行動はそれだけで周囲の保護者たちを感動させ、誰もが必死にわが子の勇姿を目に焼き付けんとばかりに見入っていた。


 前方に置かれた演台に立った見覚えのある校長先生が開会式のあいさつを終えると、この国の誰もが知っている体操が始まる。

 赤い帽子をかぶった妹は伸びやかに背筋も指先も伸ばして真面目な性格を体現したかのような体操をしていた。

 日も段々と高くなり、少しずつ気温の上がっていく小学校のグラウンドを体操が終わった児童たちは再び整列し、順番に退場門へ向けて綺麗に行進していった。


 僕はこの時、当たり前に始まったこの一日が当たり前に進んでいって当たり前に終わるのだと思っていた。正確に言えばそんなことすら頭に浮かばないほどに目の前の光景は平和な日常の一コマそのものだった。


 この光景を二度と見ることができなくなるなんて、僕は一切思っていなかった。


 *


『続いて赤白対抗、玉入れ合戦です』


 グラウンドに鳴り響いたアナウンスは妹の楽しみにしていた競技の始まりを告げる。

 開会式よりは少ない人数が入場門前に並び、それでも開会式と同じように整然と行進する。その中に妹の姿を見つけた母が「がんばれー」と年甲斐もなく声援を送る。

 網目の大きいかごが頂点に取り付けられたポールが赤と白、それぞれ1本ずつ立っており、その周囲にはポールと同じ色の布玉が転がっている。さらにそれを取り囲むようにポールと同じ色の帽子をかぶった児童が整列し、固唾をのんで競技開始を告げる空砲の音を待つ。


 しかし、一瞬の静寂は鳴り響く重低音にかき消された。


 最初は誰もが遥か高空を飛んでいく飛行機の音だと思った。ゴーという低い音は聞き覚えのあるもので、その音が聞こえてくること自体は何らおかしいことではない。

 ただ、いつもと違うのはその音が時間とともに小さくならずにむしろ少しずつ大きくなっていることだった。

 大きくなっていく駆動音は比例してグラウンドに集まるすべての人間に不安を生じさせた。僕自身も、僕の両親もどこからともなく聞こえてくる不気味な音に不安を感じていた。


 そして僕は異常な低さで近づいてくる小さな機影を見つけた。

 それから10秒も経たないうちに小さな機影は巨大な姿を露わにした。

 それが何であるのか理解した時には既に遅かった。


 小さな小学校にグラウンドより大きな鉄の塊が墜落した。


 耳を割るような轟音と墜落した時の衝撃で文字通り僕は吹き飛ばされた。杭で固定したテントもコンクリート製の校舎もレンガ造りの校門も、全てが圧倒的な質量とエネルギーによって薄っぺらい紙のように吹き飛ばされた。一瞬の出来事に誰もが悲鳴を上げることすらできず衝撃に飲み込まれた。


 そしてこの日、僕の妹は亡くなった。


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