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月下の記憶

作者: 長居荷風子

私は実の子供なのだろうか?

子供の頃に感じたあの違和感が今よみがえる。

大人になって出会った母と同じくらいの老婦人が、実の母ではないかと思えてくるのだが……。

月下の記憶


 明け方、目を覚ます。麻酔から醒めた時のようにぼんやりしてここがどこだったかと思う。頭の中はすぐに我を取り戻して灰色の天井を見る。失っていた夜の色が淡い青みを帯びていることに気づく。ベッドの上にはほかに誰もいない。もちろん部屋中を探しても一人きりだ。目覚める度にひんやりと静けさを感じてしまうのは歳のせいなのだろうか。夫がいた頃はどうだっただろう。夫は残業だ出張だと言ってほとんど家にいなかったし、結婚生活後半は会話もなくなったにもかかわらず、世帯持ちだというだけでなにかと慌ただしく、ぼんやり部屋を眺める時間などなかった。一緒にいるということが大切だと思って結婚したはずなのに、二人でいると一層孤独を感じてしまうようになったのはなぜなのだろう。最後まで誠実ではなかった夫の本性が見えてしまったからともいえるが、人を心から信頼できないという自分の中に潜んでいる性質がそうさせてしまったのだと思う。そもそも結婚になど向いていなかったのに違いない。とはいえこの先一人で生きてなんの意味があるのだろうと考えてしまう刹那が増えた。四十半ばを過ぎた女の瞼の裏で、孤独死とか孤立死などという不穏な言葉が早くも点滅する。

陽が傾きはじめた頃、ようやく出かける気分になった。降りてきたエレベーターには見知らぬ夫婦が乗っていた。軽く頭を下げて乗り込む。扉が閉まると小さな個室は大人三人には狭すぎることが顕わになる。定員五名と書かれてあるが、すでに息が詰まりそうだ。上階の住人のことはよく知らない。知らない夫婦にどう挨拶をすればいいのか、声をかけたところで話が弾むはずもなく、ただ黙って一階に到着するまでの数秒間を固まったままやり過ごす。同じ建物なのに、壁一枚隔てただけの隣室にどんな人間が住んでいるのか名前すらわからない。遠いどこかのマンションで、人が死んでいたのに誰も気がつかなかったという報道があった。そんなのはいまや普通のことで気にする人などいない。僅かな時間息を詰めていれば、煩わしい人間関係を持たずに済むというのが都会に住む者の日常だ。

扉が開き会釈をして降りて行く夫婦の後ろ姿を見ていると、一人でいる自分が卑屈に思えた。いや、別に夫婦でなくてもいい、友達がいれば。学生時代からのただ一人の親友の顔が浮かんだ。彼女は独身女ばかり三人で一緒に暮らしている。横浜で見つけた古びた旅館を改造して食堂を経営しながら二階を住まいにすると聞いたとき、少しだけ羨んた。けれどもまだ結婚中だったし、やはり自分にはそんなの無理だと思った。「いまはみんなで楽しく暮らすわ。どうせ人は生まれるときと、死ぬときはひとりなんだし」結婚しない女の言い種にはちょっと違うと思った。生まれるときはひとりじゃない、母と子の二人だ。

 母は社交上手だった。保険の外交員という職業柄なのかもしれないが、出会ったばかりの人にでもすぐに話しかけて仲良くなるという特技を持っていた。スーパーマーケットで同じ売り場に立っている見知らぬ客に「この冷凍食品は美味しいんですってよ」と声をかけたり、「このチョコレートは大丈夫ですかねぇ。ほら、毒入りとか恐ろしい事件があったでしょう?」などと気軽に訊ねたりできる人だった。大人になれば誰でもそんな風に社交的になれるものなんだろうと思っていたが、社交家になったのは弟だけだった。四つ違いの弟は小さい頃から活発な男の子で、幼稚園でも小学校でもすぐに友達をつくっては家に連れてきた。弟が友達を連れてくると母は嬉々としてジュースやお菓子を振る舞い、弟が大将になる手助けをした。姉はいっさいそういうことをしなかったしできなかったので、母と同じように友達が多い弟がうらやましくもあったし、弟の友達に対する母の寛大な応対ぶりには嫉妬すら感じた。

 弟とは少しも似ていないのではないかと思うようになったのは高校に入学してからだった。顔が似ていないのは父親似である姉と違って弟は母親似だからだと思っていたが、どうもそれだけではないような予感があった。弟の顔立ちは母のものだったけれども、後姿や歩き方には父の面影があった。しかし姉には母に似たところはまったく感じられなかった。それに、母が弟ばかりを大事に可愛がっているように思えたとしても、お姉さんなんだから我慢しなさいと言われるままに受け入れたし、弟は長男だからなという父の言葉どおりに理解するように心がけてはいたのだが、どこかしっくり来ないものがあった。ほんとうはこの家の子供ではないのかもしれないという小説かドラマから仕入れた貰い子のストーリーを自分に当てはめてみたりもしたが、それって思春期の子供にありがちな妄想じゃないのとクラスメイトに笑われてしまった。しかしそれが間違いではなかったことを、大学生になってから高校生だった弟によって知らされることになった。

「姉さん、知らんかったん?」

 夏休みのアルバイトの合間に帰省した実家で久しぶりに弟とテレビゲームをしているとき、母親に似ていないような気がするともらした姉の顔色を伺いながら弟が言った。姉弟は母親違いである。姉の母が事故で亡くなり、後に父が再婚して弟が生まれたという。こんなときふつう、人は取り乱すものなのだろうか。またぁ、嘘ばっかり。騙そうとして、悪い弟。一応そう言ってみたものの、弟の目を見て真実だとわかった。弟は母から口止めされていたのだろう、しまった、言ってはいけないことを口にしてしまったという顔をしていた。以前から持っていた疑念であり、もしかしたらそうかもしれないという疑似想定は高校生のときに散々してきたからそれほど驚かなかったのかもしれない。むしろやっぱりそうかという、数学の問題が解けたときのような爽快感と、よしこれで悲劇のヒロインになれたぞという奇妙な高揚感があった。自分から両親に問い正すことはしなかった。弟が母に告げたのだろう。その夜遅く家族会議が開かれて父の口から真実を聞かされた。

 実母は娘が三歳のときに交通事故で亡くなった。幼子の面倒をどうやってみるのだと親戚一同が心配していたところ、父は同じ職場で働いていた母と一年後に再婚、まもなく弟が生まれた。死別後すぐにという抵抗はあったけれども、お前を育てることを考えると背に腹は変えられなかったのだと父は断言した。実の娘として育てたいからという母の想いによって、亡き実母のことは成人するまで伏せておくことになった。そのために、実母の写真も思い出の品もすべて処分してしまったのだという。成人式が終わったら言うつもりだったが、誰かが口を滑らせて思わぬことになったと父は申し訳なさそうに笑った。もう過ぎたことであり、何も気にすることはない、すべてはこれまでどおりだと言われたが、なにか小さなかけらが胸の中からこぼれ落ちるのを感じた。

 それからも表面上はなにひとつ変わりなく過ごしたが、両親との間になんとなく距離を置くようになった。なにかと理由をつけて実家に帰らなくなり、大学を出るとそのまま東京で就職して職場で出会った男と結婚した。実母のことを黙っていた父や母に対して恨みとか怒りを持ったつもりはないけれども、もはや実家には自分の居場所がなくなってしまったという気持ちがあったのだ。姉の足が遠のく一方で弟は一人息子のようにいっそう大事にされ、学生結婚をして両親とともに地元で暮らした。

 姉はというと結婚後しばらくは東京に住んでいたが、夫の転勤に伴って実家のある関西に移り住むことになった。マンション探しの末に大阪と神戸の中間点にある御影という町を選んだのは、ここが静かな住宅地であるからという理由だけではなかった。

 実母の話は時が経つに連れて夢物語のように風化していく傍らで、どんな人だったのか知りたいという思いは少しずつ発酵していった。しかし母の気持ちを思うと聞いてはいけないタブーのような気がして滅多に口にできなかった。父と二人きりになる折を見つけてはこっそり聞こうとするのだが、父はその都度口を濁した。もうとっくにこの世を去った人のことよりも、大事に考えるべきなのは母さんじゃないのかと言われると、返す言葉が見つからなかった。あるとき矛先を変えて訊ねたところ、父は再婚以前は神戸に住んでいたということを知った。詳しい場所や、それが実母と住んでいたときのことかどうかまでは話してくれなかったのだが。しかしもしやと思う気持ちから、一度どんな町なのか訪ねてみたいと思うようになった。

 マンションから最寄りのマーケットまでは住宅街の中を通り抜けるバス道一本なのだが、途中で横道に入るといくつかの店舗が点在していた。大手町商店街と名前がついていて昔はそれなりに賑わっていたそうだが、いまはとても商店街と呼べる姿ではなくなっている。後継ぎもなく年寄りだけで細々と営んでいる八百屋、母と娘が軽食を出す小さな飲食店、太った老夫婦がお好み焼きを焼いてくれる鉄板焼き屋、若い夫婦が花束をアレンジしてくれる花屋、町内会を仕切ってひとり勢いのある酒屋、そして酒屋と並んで小さな間口のクリーニング店があった。以前はなにか別のお店だったはずなのだが、数年前からクリーニングの取次店に変わっていることを知って、ときどき利用するようになった。ちょうど父母と同じ世代のおばちゃんがひとりで営んでいる店で、客がいない間はいつも店の奥で編み物をしていた。店の片隅には手づくりの手芸品がいくつか飾られていて、それが気になって眺めているとそういうの好き? とおばちゃんが話しかけてきた。ええ、可愛いですねと言うと、老眼鏡の奥で目を細めながらいいのがあったら持って帰ってええよと言われて真に受けてしまった。毛糸で編みこまれた花や果物の小さなブローチと、もっと手のかかったレース編みのショールやマーガレットの中から、さすがに高価そうなレース編みをいただくわけにはいかないと思って薔薇の花を摸したブローチを手に取った。

 白髪をショートカットにしたおばちゃんは思いのほか若々しい肌つやが色の白さを引き立たせていた。前はね、お父さんと一緒にコンビニの真似ごとみたいな店をしていたんだけど、先に逝かれてしまってからひとりでもやっていけるお店に変えたのよと、壁に掛けられた写真を見ながら笑った。写真は夫婦で旅行に出かけたときのものなのだろう、まだ黒い髪をしたおばちゃんの隣で縁なし眼鏡をかけた優しそうな老紳士が笑っていた。気さくに話しかけてくるおばちゃんは実家の母に少し似ていると思ったが、おっとりした話し方や品のよさそうな物腰は母にはないものだと思った。はじめて出会った人と親しく話すことなどできないはずの私なのに、なぜかおばちゃんとはすぐに打ち解けた気持ちになり、その後も店を訪れる度に一時間も二時間もお茶をいただきながら話し込むようになった。おばちゃんの話を聞いているとどこか懐かしいような、気が休まるような不思議な感じがした。

「どうして別れてしまったの?」

 世間話をしているうちに夫との出来事を愚痴っぽく言ってしまった。三年前、夫の不義が発覚して一年間話し合った末に離婚したのだ。夫がマンションを出て行く形になった。本来なら妻の方が実家にでも戻るところだろうが、住み慣れた自分の家を出て行くのは悔しかったし、なによりこの町にはまだしばらく住み続けたいと思った。おばちゃんに相談できればよかったのになぁと言うと、最近の若い人は辛抱がないなぁ、相談されたらきっともっとよく考えなあかんって言ったわよ、と叱るような口ぶりで返された。なにごとでも忍耐が必要や、我慢できんと逃げ出すなんていうのは弱い人間がすることや。誰でもこらえきれんようになることはあるけれども、そこを踏ん張って、踏ん張って頑張ることができたら、必ず道は拓けてくる。おばちゃんはときどき孔子かなにかが乗り移ったように道徳観を力説した。

「ね、済んでしまったことは仕方ないけども、これからは辛抱するってことも大切なことやと思いなさい」

壁に掛かった写真の中で優しそうに笑いかけているおじさんを眺めながら言った。とてもしあわせなご夫婦だったんですね。そうねぇ、あの人は真面目すぎて浮気とかそんな大胆なことができる人ではなかった。でも……。おばちゃんが黙りこんでしまったのでどうかしたのと訊ねた。しばらく考えこんでいたおばちゃんは、もうずいぶん古い話だけれどと口を開いた。

「ほんとうはね、私も若い頃に失敗してるのよ……」

 ほんとうに短い結婚生活の末、かつての夫が女をつくり、その浮気相手に夫を奪われた。若くてなにもわかってなかったし、たぶん最初から間違った結婚だったんだろうねえ。おばちゃんは多くは話してくれなかったが、その後あの人と再婚して息子をひとり持つことができたのだと言った。

「じゃぁ私よりもひどいじゃないですか。前の人との間に子供はいなかったんですか?」 

おばちゃんは答える代わりに逆に訊ねてきた。

「あなたのお母さんはおいくつになられたの?」

 父はもう何年も前に脳出血で倒れ、実家に駆けつけたときにはすでに亡くなっていた。母はそれからも元気に暮らしていたが、ちょうど一年前に膵臓癌で父の後を追った。このときは何度か実家に帰って母の病室を訪ねたが、離婚したての身としては仕事を手放すわけにもいかず、母の看病は弟夫婦にまかせっきりになってしまった。よくできたお嫁さんで、結局半年間母につきっきりで看病にあたってくれた。膵臓癌は性急だった。いよいよ危ないという連絡を受けて母の枕元に急いだが、弟夫婦が看取った後だった。ほんとうは仕事など長期に休んで母と最後の時間を過ごすべきだったのではなかったかと後悔したが、どこか冷めた感情もあった。お腹を痛めた実の息子夫婦に看取られたのだから母は幸せだったに違いない。そう言い聞かせて間に合わなかった自分を納得させた。

 母の話はあまり誰にもしないようにしている。前妻の子を実の娘として育てようと考えた母の気持ちに抗うように家を離れてしまったことにどこか負い目を感じているからだ。しかもそのために死に目にも間に合わなかったという後悔の念は説明のしようがない。だけどおばちゃんに母のことを訊ねられて、なにもかも聞いてもらいたいという気持ちになった。高校生のときに抱いた疑惑、弟から明かされた実母のこと、実家を遠ざけてしまったこと、そして母の死。すべてを話し終えたときには大粒の涙が溢れ出た。おばちゃんは黙って聞いていたが、話し終わると実娘にするように肩を抱きしめて背中をさすった。

「そうだったの。大変やったね。でもあなたは自分にまっすぐだった。それでええのよ」

「でもせめて……謝りたかった」

「間に合おうとしたんでしょ? お母さん、わかってるって」

 おばちゃんの手がとてもあたたかかった。そのぬくもりは背中から身体の芯へと伝わって安堵の気持ちへと変わっていった。開け放たれた窓から流れ込む新緑の匂いが店の中に満ちていた。

 七月になって、仕事帰りに店に立ち寄ると、おばちゃんが言った。

「今夜、もう一度おいで。ええもん見せるから」

「ええ? なぁに?」

「まぁええから、九時ごろおいで」

 早々に夕食をすまし、言われた通りに九時前におばちゃんの店を訪ねた。店はシャッターが下りていた。住まいは店と一体になっていて、横にある通路の奥に玄関があった。呼び鈴を押すと、ちょうどいい時間やわと言いながらおばちゃんが出てきた。玄関を入ると店の裏手にひと間あって、裏庭にはサンルームが増築されていた。たくさんの植木が元気よく葉と枝を広げている手前にひと際目立つ植物があった。サボテンに似た独特の形をした葉がいくつも垂れ下がっていてその真ん中に大きな白い花びらが堂々と開花している。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。大小併せて四つの白い花が濃い香りとともに咲き誇っていた。

「わぁ、きれい」思わず声を出しておばちゃんを振り返る。

「きれいでしょ、あなたと同じや」おばちゃんは嬉しそうに大げさにうなずく。

「これ、なんていう花なんですか?」

「月下美人よ。年に一度だけ、それも夜になってから静かに咲くねん」

サンルームの天窓から差す月灯りを反射して妖しく白く光る見たことのないような花弁が記憶の断片を掘り起こす。古びたアパートの窓外に置かれたさほど大きくない煉瓦色の鉢から伸びた一本の茎。その先についた大きな白い花。うわぁきれいと声を上げる小さな子供の耳元で誰かが囁く。「年に一度だけ咲く花よ」かすかな思い出が耳元で甦る。そうだ、家にもこの花があった。三歳の子供の記憶だからなにもかも忘れてしまっているけれども、この花のイメージだけは鮮烈に残っている。母もこの花を育てていた。突然呼び起された白い花のイメージが眼の奥に広がり、抱きしめられたときの母の匂いや体温に再び包まれていくような錯覚を覚えた。

「一年に一度だけ、こんな立派な花をつけることができたら、もうそれで充分だと思わない? まる一年、一生懸命頑張って、贅沢は言わなくていい。たった一つだけ幸せな気持ちになれたら、また次の一年を頑張ることができるんやないかしら? 私はもうこんな年寄りになっちゃったけど、でもいまでもそんな気持ちで頑張っているつもりやねんよ」

 おばちゃんは月下美人の花の魔力のせいか、いつもより少しだけ饒舌に語った。

 そんなに気に入ったのならと、おばちゃんは一枝を切って持たせてくれた。月下美人はとても強い植物だから、小さな茎や葉を挿し木すればやがて根が張り、二、三年もすれば充分に成長して花をつけるようになるという。はじめての植物を育てる自信はなかったが、私は持ち帰った茎をベランダの鉢に植えて大切にしようと思った。

 お盆休みの間、実家に帰っていた。父母のお墓参りということもあったのだが、どうしても調べたいことがあった。父も母もいない家はすでに弟の家となっていたが、実家であることに変わりはない。夫婦して喜んで迎え入れてくれた。弟によく似た息子は合宿で不在だった。到着するなり縁側のガラス戸を遠慮がちに開けて小さな庭に植わっている植栽をひとつひとつ目で追いかけた。

「姉さん、どうしたん、帰って来るなり」

 弟が不思議がるのも無理はないが、あの植物があるかどうか知りたかったのだ。

「ねぇ、うちに月下美人って花、あった?」

「月下美人? いや、聞いたことないな」

 台所でお茶を淹れていたお嫁さんの耳にも届いたらしい。

「あ、それ知ってる。一年に一度だけ咲く白い花でしょう?」

 庭にはそれらしき植物はなかった。もう昔のことで枯らしてしまったのかもしれない。あるいは……あれはこの家ではなかったのだろうか。母が育てていたのではなかったのだろうか。どこかに花の写真かなにかが残っているのではないかと父母のアルバムや古い箪笥の引き戸を調べたが、実母の物と同様に、家に月下美人があったかどうかということを示すものはなにひとつ出てこなかった。

「ねぇ、おかしなこと聞くけれども、お母さんって、略奪婚だった?」

「なんだよ、それ」

「ほら、不倫の末に相手の旦那を取っちゃうってやつ」

「ああ、わかるけど、今日の美津子さんはなんだかおかしいな」

 もしかして弟なら母からそのようなことを聞いていないかと思ったけれども、そのような話は聞いたことがないと弟は答えた。なんの話なのかとしつこい弟におばちゃんと月下美人の話をした。おばちゃんと実母が重なるのと言うと、そんなこと、あるはずがないよ。美津子さんのお母さんは亡くなっているんだし。そんな花なんてどこにでもあると思うよ。弟に全否定されてもなお、ぼんやりとした妄想がわだかまっていた。しかし確かに弟の言う通りなのかもしれないと諦めて、週末には家に戻った。ベランダの窓を開けると小さな鉢に植わった挿し木は元気そうだった。赤銅色のジョウロで水をやりながら早く伸びて花を見せてと呟いてみた。もう一度あの白い花を見たら、また別のなにかを思い出せるかも知れないと思ったのだ。だが、まだ葉を一枚つけただけの小さな茎に花が咲くにはまだ三年はかかるのだ。

 エレベーターを降りるとマンションのエントランスはがらんとしてまだ夏休みが続いているみたいだった。蝉の声が消えてしまった無人の残暑は、ひとりおいてきぼりにされた迷子の気持ちにさせる。こんなときには人づきあいの下手な人間でも人恋しくなる。日暮れにはまだ少し早いゴーストタウンをとぼとぼと歩く。通りを曲がって商店街に向かうと蜩が鳴いていた。街路樹や角の公園の樹木に潜んでいたようだ。いままで気にしたこともなかったけれど、こんなところにも蜩がいたんだ。真夏の騒がしい蝉とは違う鳴き声がシャワーのように降り注いできて、どこかの山村を訪ねたときの清涼感が吹き抜けていく。

 おばちゃんの店にはシャッターが下ろされていた。夏休みしているのだろうか。確かお盆の三日間しか休まないと言っていたはずなのに。閉ざされたシャッターには張り紙もなく、通路に入って玄関脇の呼び鈴を押してみても反応がなかった。旅行にでも出かけているのかしら? 店に来れば会えるからと、電話番号も聞いていない。ずいぶんと顔を見ていない気がして勇んで来たのに、脱力感を背負って来た道をとって返した。

 翌日、仕事帰りにもう一度おばちゃんの店に寄ってみた。やはりシャッターは下りたままだった。呼び鈴を鳴らしてみようかと店横の通路で思案していると、玄関扉が開いて紙袋をぶら提げた男が出てきた。白い麻のシャツにジーンズという小ざっぱりした格好で同世代くらいに見えた。

「あのう、このお家の方でしょうか?」

 玄関に鍵を掛けながら不審そうにこちらを見ていた男に声をかけてみる。

「ええ、息子ですけれど、あなたは?」

 クリーニング店の客であり、おばちゃんとは親しくさせてもらっていることを伝えると、おばちゃんから聞いているのだろう、名前を知っていた。

「もしかして、小波さんですか?」

 おばちゃんは入院していた。母と同じ膵臓癌だった。身体が丈夫であまり医者にかかることのない人だったが、梅雨時期からたびたび胃のあたりに不調を感じて市販薬でごまかしていたらしい。しばらくは治まっていたが、暑くなってから今度は腰のあたりに痛みがきて近くの内科で診てもらったところ、総合病院で検査した方がいいと言われた。翌週になって市民病院で検査を受け、さらに翌週八月に入ってようやく病名を告げられたという。そのときすでに余命三カ月だったという息子さんの言葉を鵜呑みにはできなかった。まさか。あんなに元気そうだったじゃない。間違いに決まっている。だが、母のときも同じくらい性急だったことを知っている。入院先を訊ねると、いまは検査とか抗癌剤投与とかがたいへんなので、再来週には家に帰るからそのときにと言われた。なにかあったら連絡してくださいと携帯番号をメモに書いて渡した。

 膵臓癌のことやおばちゃんの顔が頭から離れないまま二週間が過ぎた頃、携帯が鳴った。

「小波さん? わたし」

 おばちゃんだった。思いのほか元気な声で安心した。家に戻っていると聞いて、すぐに自転車で走った。一刻も早く顔が見たかったのだ。

 お店の二階におばちゃんの寝室があった。看護用のベッドや看護用品がすっかり揃えられていて、息子さんが看護にあたっていた。おばちゃんが在宅医療を望んでいるため、奥さんと交代で仕事を休んで看護にあたろうと考えているそうだ。関東に住んでいるうえに共働きで夫婦ともに長期の休みが取りにくくってと顔を歪めた。

「こんなことになるやなんて」

 抗癌剤の副作用で抜けはじめている白い髪を気にしながら無理に笑おうとするおばちゃんの枕元で、うんうんと何度も頷くことしかできなかった。あんなに元気でおしゃれな人だったのに、寝巻姿でベッドに横たわっているだけで重病人に見えた。きっと治るよ、元気になろうよと言ってあげられないのがなんとも辛く、ほかに伝える言葉が見つからない。仲良くしてもらってきたのに。もっと話がしたいのに。鎮痛剤が効いているのか、おばちゃんは次第に瞼を重くして眠りに入ってしまった。

 毎日だと息子さんに迷惑だろうと気遣いながら、会社帰りの二日に一度と週末の昼間におばちゃんを見舞った。病魔も小休止していたのだろう、穏やかな病状のままひと月が過ぎ、できる限り息子さん夫婦が行う看護の手伝いをした。同じ病に倒れた母にはできなかった看護をおばちゃんにしている自分が奇妙だった。いや、母にしてやれなかったことを、おばちゃんにしてあげたいと本心で思っていた。それで母に対する償いをしているのかと聞かれると、そうじゃないと答える。このままなにもしないでおばちゃんと会えなくなってしまうことに耐えられなかったのだ。少しでも長い時間をおばちゃんと過ごしたい、人づきあいが苦手だと公言している自分がどうしてそう感じるのかは分からなかった。来月になったらしばらく休みを取ろう。急にそう思い立ったのは、奥さんと交代して東京へ戻っていく息子さんを玄関で見送ったときだ。ひと月も休むなんてどうしてもできない、仕事的に無理なんですよ。言い残した言い訳は、いつか弟たちに言った言葉と同じだった。ずっとおばちゃんの傍にいよう。最後まで一緒にいようとそのとき決めた。

 翌月になって病状はいよいよ悪化していった。お腹に貯まった水を抜くために臨時入院し、さらに酷くなる痛みを緩和するために強い鎮痛剤が処方され、おばちゃんの意識が混濁しはじめてもベッドの側に居続けた。

「小波さん、ありがとうね」

 朦朧とする意識で名前を呼んで感謝を伝えようとする。おばちゃん、大丈夫よ、ここにいるからね。はっきりと覚醒しているときもあるようだったが、多くは眠っているのか起きているのか自分でもわかっていないような状態が続く中で、一度だけ呼び名が変わった。

「美津子……あなたはみっちゃん? どうしてここにいるの?」

 これまで名前で呼ばれたことなどない。小波さんと呼ぶか、あなたという言葉を使った。美津子という名前を覚えてくれていたのかと驚いたし、みっちゃんなんて子供のとき以来呼ばれたことがなかった。おばちゃんに娘はいなかったの? ふと聞いてみたくなる衝動をどうして抑えたのか自分でもわからない。

「おばちゃん。おばちゃんの傍にいたいの、私」

「そう……ありがとう」

 余命が秒読みに入った頃、在宅医療医師によってワゴビタールという意識レベルをさらに下げる座薬が処方されて、おばちゃんは眠り姫になった。こうすることによって苦しまず安らかに眠ったまま死を迎えることができるのだそうだ。その週末、二階に上がっていくと息子さん夫婦が揃っていて、おばちゃんの呼吸がいつもと違うものに変わっていた。

「母さん、小波さんだよ」

「おばちゃん」

 眠っていても声は聞こえているのだという看護師の奨めで交互に呼びかけ、きっといいところに行けるよと話しかけた。機械仕掛けのような呼吸がしばらく続いて、午後になって吸い込んだ息を最後に停止した。息子さんが大声で母さん! と叫んだ。


 大きな白い花がベランダの真ん中でおぼろ月のように妖しい光を放っている。あの小さな茎が三年も経つと思いのほか立派なものに育った。一年に一回だけ咲き誇る花。誰に遠慮することもなくそこに咲いているだけで堂々と精彩を放って見る人を惹きつける。

「一年間頑張って、ひとつだけ幸せな気持ちになれたらいいと思わない?」耳元でおばちゃんが言う。おばちゃん。私はもう三年間も頑張ってるよ。それでなにもいいことなんてなかったけどね、でもおばちゃんにもらったいいものがまだ両手にいっぱい。ありがとう、おばちゃん。母や実母にあったらよろしく伝えてね。美津子は一生懸命に生きてるって。

                               了

北日本新聞の文学賞に応募するも、1次通過どまりでした。未熟過ぎるのは分かっていましたが……。

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