➌
アスワド王子の担当する政務は、主に軍事面であるとのことだった。
基本的には、騎士団の鍛錬を行う。戦になれば、戦場に赴くこともあるという。
黒の王子アスワドは、騎馬隊を親衛隊に持つ、将軍なのだそうだ。
「お帰りなさいませ」
一日の業務をこなして自室に帰ってくるアスワド王子は、いつも無口だ。
出迎える私を見て、切れ長の瞳から、ふっと力が抜ける。
その瞬間が好きだ。
勝手知ったる侍女達は命じられるまでもなく速やかに立ち去り、私達を二人きりにしてくれる。人払いが済むと、王子はそのまま私に抱き着いてくる。押されてソファに座り込む私の胸に、王子の頭。深く呼吸をして、それからやっと彼は言葉を発する。
「ただいま」
「お疲れ様でした」
いつからだろう。
これが恒例の帰宅の儀式になっていた。
抜身の剣のようだと、人にはけして懐かない狼のようだと、思っていた時期もあったというのに。
今は………
ええと、言ってもいいのかしら。
王子の事を、仔犬のように思える瞬間すらあるのだ。
「………離れていると、姫が足りない」
口付けを交わす。
「今日は、何事も無かったか?」
心配げに私の顔を見つめる。
どうしよう。
―――可愛い!
「………なんだ?」
いけないわ、王子に胡乱な顔つきで見られてしまった。
ときめく胸を押さえ、私は慌てて笑顔で取り繕うのだった。
「姫様、それを『萌え』というのですよ……」
私の知らない処で侍女キャメルは一人肯いていた。
***
パイオン王が、私の<ちから>に気付いていたのではないかと疑惑を抱いた日。あれ以来、アスワド王子はひどく過保護になってしまった。
職務の合間を縫っては逢いに来て、私の居場所が分からないと、途端に狼狽してしまう。無表情のおかげで周囲には未だ心情を悟られてはいないものの、将軍ともあろう者がそんな調子では示しがつかない。さすがに拙いでしょう?
私は自然、自室に籠もりがちになった。
あの時は動揺したものの、特に何かが起こる様子もない。
しばらくすれば王子の心配性も治まるだろうと、私は気楽に考えていた。
***
「お姉様、美味しいお菓子が手に入ったのです。よろしければ、ご一緒しませんこと?」
時折、グリース王女とフェセク王妃からティータイムに呼ばれるようになった。多分、出歩かない私を心配しての事だと思う。
幼い王女は私の事を実の姉のように慕ってくれる。
私は二人の姉には恵まれたが、妹という存在は初めてなので、彼女の事をとても可愛らしく思っていた。
実際、グリース王女は愛らしい。
フェセク王妃に似て、柔和な顔立ち。灰色の髪に灰色の瞳と一見地味だが、気立ての良さが面に現れている。母親である王妃の真似をしているのだろう、淑女のように話すのだけれども、如何せん舌足らず。その背伸びしている感じが堪らない。話していると、こちらの気持ちが癒されるようだった。
「わたくしのことは、どうかグリと呼んでくださいませね」
「まあまあグリースったら。ロザヴィー姫にすっかり甘えてしまって」
フェセク王妃も穏やかな方だった。ごめんなさいね、と母親の顔で話す。
三番目の王妃である彼女はパイオン王と大分年齢に開きがあり、義母というより年長の姉のように私に接してくれた。
二人を見ていると、親子っていいなあ、と羨ましくなる私だった。
***
「私もいつか、フェセク様のような素敵な母親になれるでしょうか」
夕食後、アスワド王子に膝枕をしながら今日一日の出来事を話す。王子は目を閉じて聞いていた。他愛もない、未来の話だ。
「アスワド様は、男の子と女の子、どちらが最初に欲しいですか?」
「子供?」
アスワド王子の返答は、酷く素っ気ないものだった。
「………いらないな、俺は。ロザヴィーがいれば良い」
「お嫌いですか?子供」
なんだか意外な感じがして、私は尋ねた。
以前見た、アスワド王子の猫に向けた優しい笑顔からは、想像が出来なかったのだ。
「嫌い、というか………あまり触れる機会も無かったからな。苦手なんだ」
まあ。
グリ王女はあんなにお可愛らしいのに。
でもそうね、お年も離れているし、義理の妹ではそれ程接点も無いのかもしれない。
「私は、アスワド様似の男の子が欲しいですわ」
愛情を籠めてそう言うと、膝の上から仰向けに手が伸びてくる。王子の手は私のうなじを捉え、唇が触れる位置まで引き寄せた。
「………貴女が子供に取られるのは嫌だな」
容赦無く深められる口付けに私は翻弄され、その話は結局有耶無耶になってしまった。
***
フェセク王妃がパイオン王と共に公務で出掛けてしまって一人で留守番だというので、私はグリ王女を自室にお招きした。いつもお茶に呼んで頂いているので、その返礼も兼ねて。
「これはアルハイムのお菓子ですの?とても美味しいです!」
お茶菓子は、私の故郷の味の物を取り揃えた。
砕いたナッツを入れたクッキーは、私の好物だ。
桃のタルト、木苺のブラマンジェ、マンゴープリン。どれもグリ王女には珍しかったようで、目を輝かせて味わっている。
「アルハイムの果物は本当に美味ですわね・・・」
ほう、と溜息をつくグリ王女。
「先日、城内に幾つか果物の苗も植えたのよ。実を結べば、そのうちラインバルドでもこのお菓子が食べられるようになるわ」
「まあ!それはいつ頃ですの?」
「そうね、3年か5年か……10年先かもしれないけれど」
「まあ………そんなに先ですの………」
名残惜しそうに空のプレートを見るグリ王女。そんな所は年相応だ。
微笑ましい気持ちで眺めていると、王女は傍らから何かを取り出した。
「お姉様、今日はわたくしのお友達を連れて参りましたの」
大事そうに抱くのは、赤子程の大きさの人形だった。王女と同じ灰色の髪に、赤紫の目をしている。
「この子はマゼンタというのです。ご挨拶してもよろしいでしょうか?」
「勿論よ。よろしく、マゼンタ」
私はにっこりして、マゼンタと握手をした。動かしているグリ王女も嬉しそう。
懐かしい。このくらいの年齢には、私も人形遊びをしたものだった。
「ロザヴィー」
不意に愛しいバリトンが響いて、アスワド王子が部屋に入ってきた。
「少し時間が空いたから………と、これはグリース姫」
来客に気付いて戸口で足を停める王子。
「グリ王女とお茶を頂いていたのですわ」
「お邪魔しています、お兄様」
少し遠慮がちに王女は立ち上がり、礼をした。
「それは………良かった。俺はまた後で出直そう。ゆっくりされていかれると良い」
戸惑い気味に王女に言葉を掛けそのまま退出しようとするアスワド王子に、グリ王女は人形を差し出した。愛されて育った子供の持つ無邪気さで。
「この子にもご挨拶させて下さい、お兄様」
「!!」
気付いた時には、人形は床に叩き付けられていた。
「え………っ」
一瞬で自分の手からすり抜けて行った人形に茫然とするグリ王女。
私も目を疑った。次第に王女の目に涙が溜まっていく。
「アスワド様……っ何を!」
抗議せずにはいられなくて憤然と王子に歩み寄る私。怒りのあまり言葉が途切れた。
けれど、立ち尽くすアスワド王子は死人のような顔色をしていた。
「……ア、アスワド様?」
「………すまない、俺は………酷い事を………」
蒼白な顔の王子をそれ以上咎めることも出来ず、泣きながらも謝罪を受け入れたグリ王女に幾重にもお詫びをして、その日のお茶会はお開きにしたのだった。
そして、夜半過ぎ。
私は、アスワド王子の悲鳴で眠りから叩き起こされた。