➊
黒の王子アスワドを選んだ場合の話、になります。
私は、アスワド王子の手を取った――――。
***
結婚式が執り行われたのは、私が16歳になった、その年の初夏だった。
北国ラインバルドの短い夏。
私とアスワド王子を乗せた、コーチと呼ばれる二頭立ての四輪馬車が、城下町を一周する。沿道は、歓喜の声をあげる民衆で埋め尽くされた。花嫁衣装に身を包んだ私はアスワド王子の隣で、笑みを絶やさずに観客に手を振り続けた。
手綱を握るコーチマンの後ろで、並んで座る私とアスワド王子。衣装は、黒を基調として揃えていた。アスワド王子は、銀の縁飾りがついた黒の軍服に銀の大綬と勲章を佩び、私の銀のドレスは、胸元と裾部分に黒のレースがあしらわれ腰に黒のリボンが結ばれている。
一年ぶりの再会だというのに、相変わらずの無表情。しかし逆にそれが民に安心感を与えるのであろう、第二王子アスワドの人気ぶりは、絶え間ない歓声からも明らかだった。
「………疲れたか」
視線は民衆に向けたまま、アスワド王子が小声で尋ねてきた。
「いえ、大丈夫です」
「もう少しの辛抱だ」
私にというより自分自身に言い聞かせているかのような、その声音に含まれた倦怠感に、思わず笑いを誘われた。不得手としている愛想笑いを強いられる行為に、それ程げんなりさせられているのかと。
「………早く二人きりになりたい」
だから、度肝を抜かれた。
アスワド王子の、拗ねたような口振りに。
「そ、そんな事、おっしゃっても駄目です」
やだ。私、顔、赤くないかしら。
「分かってる。だからこうやって出来ない我慢をしている」
ずるい。王子の鉄面皮は崩れることもない。私は、笑顔が引き攣ってしまっているというのに。
「分かっているのか?一年振りだぞ」
「はい………」
「長かった。アルハイムに乗り込んで、攫ってしまおうかと幾度も思った」
そう言って、アスワド王子は視線を私に向けた。そのままじっと熱く見つめ続ける。
でも私の目線は、敢えて王子のそれから逸らし、群衆に固定。
王子、見るのはこっちじゃありません。祝ってくれている民を見て下さい。
「………だが、待った甲斐があった。とても、綺麗だ」
――私、今、絶対………顔真っ赤だわ。
私は悟った。恙無く式典を終えるための今日最大の敵は、他でもない、この新郎なのだという事を。
***
「―――以上を持って、ラインバルド国第二王子アスワドと、アルハイム国第三王女ロザヴィーの婚姻を正式なものとする」
祭司の朗々たる声が、神殿に響いた。
厳粛な気持ちで祭壇を降りる。傍らにはアスワド王子。私の運命の人。
壇の下ではラインバルド国、アルハイム国の両王族が温かく迎えてくれた。
今日この日の為に、遥々アルハイムから来てくれた、大好きな私の家族。涙ぐむお母様と、その隣に寄り添って支えておられるお父様。
「綺麗よ、ロザヴィー。幸せになってね」
「アスワド王子、どうか娘を頼みます」
「貴女が来てくれて嬉しいわ。これから、どうぞ宜しくね」
柔和に微笑むフェセク王妃は、幼いグリース王女と手を繋がれてる。
「お姉様。仲良くして下さいね」
王女の純真な笑顔が可愛らしい。
パイオン王は両手を広げ、アスワド王子と私の肩を軽く叩いた。
「喜ばしい事だ!これで私は可愛らしい娘を二人も持てた男となった!!」
その輪から一人離れた処に立つのは、第一王子ヴァイスだ。
アスワド王子と対になっている白の軍服。溜息が出る程華麗なその姿とは裏腹に、唇から零れた言葉は弱々しいものだった。
「ロザヴィー姫………」
物憂げな微笑は、かつて私に向けられていた甘いそれではない。
途端に、私の肩を抱くアスワド王子の身体が強張るのが分かった。
「……ヴァイス……」
対峙する二人。
つ、と先に視線を逸らしたのは、白の王子、ヴァイスの方だった。
長い吐息をつくと、ヴァイス王子はそのまま私に向かって身を屈め、
「おめでとう、姫。今日の貴女は、一際美しい。叶う事なら、隣に立つ幸運な男に…………私がなりたかった」
そう言って、花嫁のグローブ越しに私の手を抱いて、キスをした。
「―――だが、もはや詮無き事ですね。どうか、アスワドと幸せに」
そうして、想いを振り切るかのように手を離し、背を伸ばすと、再びアスワド王子と視線を交えた。
「姫を任せた、アスワド。必ず幸せにして差し上げてくれ」
アスワド王子は力強く肯く。
二人は、固く握手をした。
良かった………!
ずっと心に圧し掛かっていた重しが取れた気分で、私は泣き出しそうだった。
自分の選択が間違ってはいなかったと、漸く認めてもらえたかの様に思えた。
涙目で笑顔を歪ませた私に気付き、アスワド王子は慌てて私を宥めようと、肩や頭を撫で回した。
「もう!ヴェールがずれてしまうではありませんか!」
泣き笑いで言う私に、アスワド王子は酷く優しい瞳をして、こう囁いた。
「問題無い。どのような貴女でも、愛している」
そうして、真っ赤になって動けなくなった私の額に、真摯な愛情の籠もった口付けをしてくれた。
幸せ。
本格的に泣き出した私を困ったように抱きしめながら佇む、この人を私も愛している。
これからきっと二人で幸せになろう。愛し愛されて共に生きる、幸福な夫婦になるんだ。
私は心の中でそう誓った。私達の前には輝く未来があり、アスワド王子とならば手を携えて歩いて行ける、そう信じられる事が幸せだった。
だから、気付かなかった。
去り際に、ヴァイス王子が虚ろな瞳で呟いた一言に。
「必ず、幸せに―――でないと、私は…………」
私は、気付かなかったのだ―――。