⑤
ヴァイス王子は、私の侍女キャメルと暫く何かを話し合っていた。
「お任せくださいませ、殿下。姫様は、私が御守りします!」
「よろしくお願いしますね」
鼻息も荒いキャメルとにこやかに微笑むヴァイス王子。話の内容は、私には教えてもらえなかった。なんだか疎外感。
「ロザヴィー、私の薔薇。貴女は知らなくてよい事ですよ。貴女はそのまま、どうか綺麗なままで」
そうやって結局、ヴァイス王子の甘いキスに誤魔化されてしまったのだ。
その後、雑務をこなしながらキャメルが「さすが容赦無い」とか「鬼畜」とか「腹黒」とかぶつぶつ独り言を呟いていたのだけれど、何だったのかしら………。
***
「これから定例報告は、私の立会いの下に行ってもらいます」
ヴァイス王子は、護衛騎士団団長のリュイを呼び出して、私の面前でそう告げた。
「毎日である必要はありません。ラインバルドでの研修も、近日中に終了です。アルハイム国王陛下に文書を送ってありますから、そのつもりで」
「!しかし、我々は姫様の護衛騎士団です!!」
リュイは血相を変えた。
「姫はもはや私の妻。ラインバルドの王太子妃なのです。アルハイム騎士団の護衛はとうにお役御免です。あなた方の滞在は温情措置だったに過ぎません」
「ヴァイス殿下、それは」
「現にあなたの存在が不快な憶測を生んでいる。今後はこの部屋への立ち入りも禁じます。姫に用があるときは、私か、キャメルを通すように」
キリ、とリュイが歯噛みする音が聞こえた。その目が縋るように私を見る。
彼の青い瞳は、幼い頃のまま。私を守ってくれると言った、遠い日の少年の声が蘇った。
私は、リュイを真っ直ぐに見返した。どうか気持ちが伝わりますように。
「本当に今まで有難う。リュイの事は大好きだし、騎士団の皆にも感謝しています。けれど私はラインバルドに嫁いだ身です。いつまでも皆の気持ちに甘える訳にはいきません。アルハイムに帰って、私達の愛する祖国の為に騎士の本分を全うして下さい」
「………っ私は!私が騎士になったのは、貴女を………!!」
身を乗り出すリュイを見て、ヴァイス王子は私の前に立ち塞がった。
「話は終わりです」
退出しなさい、と暗に促され、リュイは言い掛けた言葉を飲み込んで、拳を握り締めた。
扉へ向かうリュイの肩が酷く下がっている気がして、私は切なさに襲われた。
大好きなリュイ。16年間を共に過ごした、私の幼馴染。私の騎士。
こんな風に別れることになるなんて。
「………ヴァイス様」
「貴女を護るためですよ、ロザヴィー」
ヴァイス王子は私を抱き寄せ、こめかみに口付けた。
その音が常よりも高く響いた気がして、ふと見ると、リュイは唇を固く噛み締めて戸口をすり抜けて行く所だった。
***
「ロザヴィーお姉様、ヴァイスお兄様、見て見て!」
グリース王女が天真爛漫な笑顔で語り掛ける。馬上で彼女が得意気に差し出したのは、籠一杯の花だった。
「お母様にお見せしたらびっくりなさるわね?ふふ、わたくしがお兄様達とお出かけした事は内緒ですものね?」
「そうですね、グリ。………きっととても驚かれる事でしょう」
「わたくし、馬に乗ったのも初めてですわ!ヴァイスお兄様の馬は、真っ白で、とても美しいのですね」
「アスワドの愛馬ノワールとは違って、ブランは気立ての良い馬ですが、グリはまだ一人で乗っては危ないですよ。きちんと私に摑まりなさい」
「はい、ヴァイスお兄様」
ある晴れた日。ヴァイス王子が急に思い立って、三人で遠出する事になった。グリース王女は異母兄であるヴァイス王子にとても懐いているようだった。王子の誘いに、手習いの予定があったというグリース王女は一も二も無く肯き、侍女らには内緒で出掛けた。
王女は素直で愛らしい子供で、私達はとても楽しい時を過ごした。
グリース王女は、行きは私と共に馬車に乗っていた。帰りはヴァイス王子の愛馬ブランに二人乗り。はしゃぐ姿がなんとも微笑ましい。
少し遅くなったかしら、と思いながら城門を潜ると、そこには侍女達や近衛が右往左往していた。「姫様!」「グリース様」ざわめきと安堵の声が広まる。「誰ぞ、王妃様に!」
「グリース………!!」
直ぐに、半狂乱になったフェセク王妃が駆けつける。柔らかな灰色の髪は乱れ、顔は蒼白だった。
「何処に行っていたの、グリース!」
「ご、ごめんなさい。お母様………」
予想外に心配を掛けてしまった事に気付いたのだろう、王妃にしかと抱き締められながら、グリース王女は涙目になった。
「ヴァイスお兄様とロザヴィーお姉様とご一緒に、山の方まで行っていたのです。ご心配を掛けてしまってごめんなさい。でも、お兄様のブランに乗せて頂いたのよ!」
王女の言葉で初めて気が付いたかのように、フェセク王妃は馬上のヴァイス王子を見上げた。
「ヴァイス様の………?」
「私が一言お断りすべきでしたね、義母上。申し訳ありません。ですがグリはとても良い子でしたよ。乗馬も初めてだというのに上手かった。落馬することもあるから気を付けなさいと言ったら、素直に聞いてくれましたしね」
「ら、くば………」
フェセク王妃の顔色は戻らない。ヴァイス王子の優しげな琥珀の瞳から、目が離せない様子だ。
「お花も摘んだのよ、お母様。とても楽しかったわ」
愛娘が差し出した花籠一杯に白い花がある事に気付いて、フェセク王妃はのろのろと口を動かした。
「これは………この花は、崖にしか咲かない………」
「大丈夫ですよ、義母上。私がついていました。無論、一人で行ったらいけないと言い聞かせましたよ。何があるか分かりませんからね―――そう、不慮の事故とか。そんなことになったら取り返しがつきません」
ヴァイス王子の言葉は、とても優しいものなのに。
フェセク王妃は、がくりと膝をついた。
「お母様?」
慌ててグリース王女が駆け寄る。
ヴァイス王子は、馬の上から王妃に語り掛けた。
「今日はグリと過ごせて良かった。私の妻ともだいぶ仲良くなってくれたのですよ。義母上も、ロザヴィーの事、よろしくお願いしますね?」
笑顔の王子は、天使のよう。しかしフェセク王妃は、王子に視線を向けようとは二度としなかった。グリース王女を王子から遠ざけるように背後にかばい、
「………分かりましたわ………」
と言って、侍女たちと去って行った。
「ヴァイス様?」
馬車から降りた私は、白馬に跨る白の王子に問い掛ける。
「王妃様にご心配を掛けてしまいましたわ。グリース王女は、叱られたりしませんでしょうか」
ヴァイス王子は、身軽に馬から降り立ち、私の手の甲に口付けた。
「いいえ、愛しい人。あの子は叱られたりしないでしょう。彼女はそれどころではないはずですから」
「………?」
「分からなくていいのですよ。分からないという事が、貴女の心根の美しい証拠なのです」
どうか、貴女はそのままで。
囁かれた言葉は、熱い口付けに溶けて消えた。
***
こつん。
窓に何かが当たる音がした。
湯殿を済ませ、ヴァイス王子の帰宅を待つ宵闇。
私が窓辺に近寄ると、軽装のリュイが木々の間に見えた。
「どうしたの?」
窓を開ける。リュイは密やかに室内に滑り込んできた。
「姫。お会いしたかった」
二人で逢うのは久し振りだった。定例報告で顔は合わせるものの、ヴァイス王子やキャメルが必ず間に入っていたからだ。アルハイムのお父様からの書簡も届き、リュイの騎士団が帰国する日も刻一刻と近付いていた。
「………リュイ?」
青い瞳にいつもと違う熱があるような気がして、幼馴染の顔を覗き込む。リュイは一瞬切なげに顔を歪めたかと思うと、不意に私を抱き締めた。
「我が姫………ロザヴィー」
子供の頃のように、私の名を呼ぶ。驚きに身動きも出来ない私に、リュイは、掠れた声でこう告げた。
「貴女を愛しています、ロザヴィー。子供の頃からずっと………………貴女だけを」




