④
「この、髪も好きです」
ヴァイス王子は、私の巻き毛を一筋取ると、整ったその唇に押し当てた。
「言うまでも無く貴女の全てが愛おしいのですが。貴女の蜂蜜色の髪、これもとても美しい」
彼が私の髪に触れたがるのは、ただの癖かと思っていた。
ヴァイス王子の金髪は、月光を溶かしたようなプラチナブロンド。同じ金髪でも私のハニーブロンドとは違う硬質な美しさは、どちらかと言えば優しげなヴァイス王子の美貌を良く引き立てている。
ラインバルド国ではヴァイス王子以外に金髪の人を見掛けない。おそらくは他国から嫁いできたという母親譲りの髪なのだろう。
「そのように褒められましても。アルハイム人は皆、金髪ですわ」
「本当に。あの男が産まれながらにして何の努力もせずに姫と同じ色彩を纏っていられるのかと思うと、妬ましくて気が狂いそうですね」
「………それはリュイの事でしょうか?」
「そうです。ただでさえ、私の知り得なかった過去の姫のお傍にいた、その幸運が許せないのに。幼馴染だなどと、卑怯です。初手から圧倒的に有利過ぎるではありませんか」
どうしよう。
拗ねたような物言いが可愛らしいと、思ってしまった。
私は笑いながら、ヴァイス王子の顔を両手で挟み、形の良い鼻先に口付けた。
「今の私は、貴方の妻ですよ。ヴァイス様」
驚いたように瞬きをしてから、ヴァイス王子は私の手を上から包み、
「ええ。この僥倖だけは誰にも譲れません。愛しています。ロザヴィー、私の薔薇」
そう言って柔らかく微笑んだ。
その優しい声音からは、あの日フェセク王妃に向けた冷たい言葉は、想像も出来なかった。
***
「あら。奇遇ですわね、ロザヴィー姫」
フェセク王妃が数人の侍女と共に立ち現れた。物憂げな様子は、外政からの帰りのようだ。
「そちらの方は?アルハイムの貴族とお見受けしますけれど」
「はい、フェセク様。これは私の護衛騎士団、団長です。ラインバルド騎士団にて修練中の身です」
突然のラインバルド王妃との邂逅に、緊張した面持ちでリュイは騎士の礼を取った。
私の夕刻の散歩に、リュイが護衛として付き添ってくれていた所だった。
「見目麗しい若者だこと。そうやって並ぶと、同じ金髪碧眼、姫とお似合いですわね」
二心など微塵も感じさせずに、穏やかに微笑むフェセク王妃。
「ロザヴィー姫の御為に異国で修業とは、健気ではありませんか。純真無垢に見えて、姫もなかなか隅に置けませんのね」
王妃の言葉に、リュイの表情が強張った。
私と視線を交わす。私は、微かに首を横に振った。
リュイが、貴族らしからぬ直情な性質であることは幼い頃からよく分かっている。素直で、真っ直ぐに育ったのだ。それは美徳だけれど、今この場では、あまりにも危うかった。
「ヴァイス様はご存じなのかしら?ご自分の政務中に、あまり良い気はされないでしょう。あの方はあれでいて、存外に嫉妬深いのですよ」
リュイの拳がぎゅっと握り込まれた。言葉を発しようと彼が息を吸い込んだとき、
「そこまでに」
と、アスワド王子がリュイの肩を掴んだ。
「アスワド様」
ほっとした気持ちで私が呼び掛けると、黒の王子は私に一つ肯いた。それから、
「貴殿は去れ」
王子は無表情でリュイを諭した。
「殿下!しかし!」
憤るリュイを、アスワド王子は片手で制した。
「いや、下がれ。あとは俺が」
刹那、リュイの瞳には憤懣の色が浮かんだが、他国の王妃に直接反論する訳にもいかない。フェセク王妃とアスワド王子に一礼して、退出して行った。不承不承であることは、響く靴音を聞かずとも察せられた。
アスワド王子は、切れ長の黒曜石の瞳で王妃の顔をねめつけた。
「義母上、それ以上は姫への侮辱と取るが」
「まあ、そのような。とんでもありませんわ。わたくしが姫の貞節を疑ったなどと、まさかそうおっしゃるの?」
フェセク王妃は悲しげに首を振った。
「パイオン陛下やヴァイス王子殿下であれば男の甲斐性と称えられるでしょうが、わたくし達正妃には許されない事ですわよね?ロザヴィー姫?」
くすくす、含み笑いをしながら侍女を連れ、フェセク王妃は去って行った。
あからさまな当て擦りだけが取り残され、アスワド王子は気まずげに咳ばらいをした。
「………気にするな。ヴァイスは、間違いなく貴女だけを愛している」
王妃の言葉よりも、その奥に見え隠れする彼女の悪意にこそ、私は揺さぶられていた。
グリース王女に寄り添っている時の王妃は、娘を慈しむ母そのものなのに。一人でいる時の彼女は、何故これほどまでに女の顔を見せるのかと。
「もし悩み事があるなら、俺で良ければいつなりと聞こう。貴女は俺の………」
言い掛けて、アスワド王子は一瞬躊躇いを見せた。
「義姉、なのだから」
彼の朴訥な優しさが心に沁みた。
「悩み事など。私も、ヴァイス様を心から信じておりますから」
そう言い切って微笑んでみせると、アスワド王子は眩しそうに瞳を細めた。
「ああ。………ヴァイスが羨ましい。いや、これは繰り言だな。貴女は、相応しい相手を選んだのだ」
黒の王子は、どこか誇らしげに続けた。
「ヴァイスは王を継ぐに相応しい器だと、俺は思っている。貴女をきっと、幸せにしてくれる」
***
夜。事の仔細をアスワド王子から聞いたと言って、ヴァイス王子は、ひどく取り乱した様子で自室に戻ってきた。
「心配しました………!」
私を優しく抱き締め、幾度も口付けを交わす。私はもうそれだけで満たされた気持ちになったのだけれど、ヴァイス王子の方は気が収まらないようだった。
「姫、どうか正直におっしゃってください。あの女は、貴女を傷つけるのではないですか?」
「ヴァイス様、王妃様をそのような……」
温厚なヴァイス王子がこんなに怒っているのを初めて見る。私は狼狽えてしまった。
いつも優しくて、優雅な人なのに。
先日の王妃への冷たい態度は見誤りではなかったのだと、思い知らされた。
「女など、皆同じです。貴女以外は。………貴女を傷つけるなど許せません」
白の王子は、吐き捨てる様にそう言った。
「ローズ。私の薔薇」
私を見つめる彼の瞳は、琥珀。甘やかなその眼差しは、誠実な愛情に溢れている。
「私は貴女を護りたい。髪の一本ほども傷を付けたくはないのです」
「ヴァイス様………」
見つめ合い、抱き締め合う。彼の吐露する言葉は、甘い甘い毒のよう。
「叶うなら、本当の薔薇のように貴女を温室に閉じ込めて、誰にも触れさせたくありません」
それは、愛の言葉だったのか。
なんだか酷く禍々しい風が吹いたような気がして、私は自身の心をそっと手繰らずにいられなかった。
お気に入り登録、有難うございます!
心の支えになってます!(涙)
もし良かったら評価も、お気軽にお願いします。




