➓
残酷なシーン、出血等の描写があります。苦手な方は、とばしてください。
―――分かっている。貴方は、優しい人だから。
グリ王女の人形を壊した時も、私に手酷くした時も。後で、貴方の方が、何倍も辛そうだった。自分の行為に、誰よりも深く傷ついていた。
だからあの時、王とグリ王女を殺めさせてはいけない、と直感的に思った。
貴方が毀れてしまうと。
私を想って追い詰められてしまった貴方を護りたい、そう強く願った。
その為なら。
貴方に嫌われても。
憎まれても。
裏切り者と謗られても。
私は………構わないから。
私を追い掛けて。
他の誰かを傷つける事など考える暇も無く、必死に、貪欲に、一目散に、ただ一途に。
―――私を、追ってきて。
***
馬に揺られながら痛みと出血とで気絶した後、どれくらい経ったのか。
気が付くと私は、板間に俯せに横たわっていた。身体の下には上質な生地で織られたマント。元は純白だったのであろうそれは、私の血と砂埃でところどころ汚れていた。
「………気が付きましたか」
ヴァイス王子の声につい身じろぎしようとして、背中を襲った激痛に息を飲む。
「駄目です、姫、動いては。簡単に血止めをしただけなので、また傷が開きますよ」
「………手当………を」
「ええ。どうせならもっと色っぽい状況で脱がせたかったのですがね」
ヴァイス王子の言葉に、私は微かに笑みを浮かべた。
「不幸中の幸いでした。出血の割に傷が浅かった。あのタイミングと位置でこれ程軽傷で済むという事は、アスワドが咄嗟の判断で力を抜いたのでしょうね。本来なら即死でもおかしくなかったところですよ、姫。貴女は本当に無謀な事をなさる」
「ここ………は?」
「樵小屋、とでもいうのでしょうか。一年のうちの短い期間、樵が素泊りに利用するだけの簡素な小屋です。今はちょうど留守のようですね。最低限の雨風は凌げるでしょう。強行軍では、ただでさえ弱っていた姫の体力が持ちませんでしたから」
背中の傷をかばいながら、私は身を起こした。
ヴァイス王子が水を差し出してくれる。有難く一口飲んで喉を潤してから、私は王子の顔を真っ直ぐに見た。
「ごめんなさい、ヴァイス様」
王子は、黙って私を見つめ返した。これから聞く事を予め知っているような顔つきだった。
「アスワド様は、私を追ってくるでしょう。それこそ地の果てまでも。――許してください。貴方を巻き込んでしまいました」
「………ええ、分かっています。貴女があの局面で、何故、逃げようとしたのかも」
そう言って白の王子は手を伸ばし、私の髪を一筋掬い取った。躊躇いながら唇を寄せ………結局、髪に口付ける前に動きを止めて、何もせず指を離した。
白皙の美貌で、微笑む王子。この人は、なんて優しく切ない眼差しで私を見るのだろう。
「言ったはずです。私に出来る事なら何でもすると」
***
食料と暖を取るものを探してくると言ってヴァイス王子が出掛け、私は痛みに耐えながら小屋で待った。背中の傷は出血こそ止まったものの熱を持ってきていて、私は混濁した意識の中で半分眠りながら、王子が帰ってくる前にここから出なければ、と自分に言い聞かせていた。
このままではヴァイス王子を道連れにしてしまう。
フッ、と室温が下がった気がした。
弱った心が見せる幻だろうか。
確かにさっきまで私一人しか居なかった室内に、愛しい黒の王子の姿があった。
かすむ視界で確かめようと瞬きを繰り返す私の瞼に、そっと手を当てられる。ひんやりと冷たくて気持ちいい。
「………生きていたか」
記憶の中のアスワド王子と同じ声がした。
「ア……スワ………?」
「そうだ俺だ、ロザヴィー。………俺が、恐ろしいか?俺から、逃げたかったか」
酷く静かな問いだった。
「貴方の………<ちから>は………」
「望んだものを、望んだところに運ぶ。貴女と離れていた間、幾度この<ちから>を使おうと思ったか。だが、貴女に知られるのが怖くて、結局最後のあの時まで使えなかった………俺のは、貴女のと違って誰もに祝福される類の<ちから>ではないから」
私の瞼を塞ぐ手は、微かに震えていた。
姿を見ないでほしいと、そう思っているのかもしれない。血塗れの禍々しい自分を見られたくはないと。
あれから王は、グリ王女はどうなったのか。
謀反を起こした騎士団は。ラインバルド城の皆は。
置き去りにしてきた諸々の事を尋ねたかったけれど、急激に上がってきた熱が、私から言葉を奪っていく。肺が痛い。荒く繰り返される呼吸は、喘鳴音を伴った。
「―――俺を捨てないでくれ」
弱々しい響きが、耳を打つ。横たわる私の隣に跪く気配がした。
「何でもする。貴女が望むなら、身分も王位もいらない。復讐も忘れよう。俺の傍に………傍にいてくれ、ロザヴィー」
彼の黒衣からは血の匂いがした。
「頼むから………………俺を置いていかないでくれ」
愛している。
でも、答えられない。
私が死んだらこの人はどうなってしまうのか。今、肯いてしまって本当に良いのか。
どうしたらこの人を捕らえている昏い闇から救い出せるのか。
むしろこの執着を断ち切ってしまった方が彼のためになるのではないのか。
どうしたらいいのか、分からない。
眦から、涙が一筋流れ落ちた。
「――駄目なのか」
私の瞼を押さえていたアスワド王子の掌で零れた涙を拭われ、そのまま両手を首に添えられる。
「嫌だ。死なせない。逝かせない。嫌だ。嫌だ嫌だ。どうしても俺を捨てるというのなら、俺が………いっそ俺の手で」
その時不意に音を立てて小屋の戸が開き、鋭い風切音がして、私の喉を絞めていた手から力が抜けた。遮断されていた空気が肺に入ってくる。私は咽て咳き込んだ。黒の王子がハッと振り返った。
「何をしている!!」
そこには怒りに震え、剣を構えるヴァイス王子がいた。
「ヴァイス」
斬りつけられた左肩を押さえ、歪に嗤いながらアスワド王子は立ち上がって、反対の手で腰の剣を抜いた。
「………偉そうに言うな。俺からロザヴィーを奪ったくせに」
「私はお前に、ロザヴィー姫を頼むと………幸せにしてくれと言ったではないか……!それなのにっ………!!」
剣戟の音。2人の王子が闘っている。
涙でよく見えない。どちらが強いのか。
キィン!
金属音と共に、アスワド王子の剣が弾き飛ばされた。白の王子の剣が、黒の王子の喉元に突き付けられる。ヴァイス王子が勝ったのだと思った。
次の瞬間。
「ぐはっ!?」
ヴァイス王子が血を吐いてくずおれた。
のた打ち回る彼を見下ろすアスワド王子の手には、赤黒く蠢く塊が乗っている。
「アス………ワド?」
「これはお前の腎臓だよ、ヴァイス」
アスワド王子は、手の上の物体を床に落とすと、容赦無く踏み潰した。そのまま無表情で兄の前に立ち、優しいとさえいえる声で囁く。
「次はどこを取って欲しい?肺か?胃か?いっそ心臓を取って一息に終わらせてやろうか?」
それは、自ら禍々しいと言っていた、彼の<ちから>による所業だった。
苦悶のあまり、身体を折り曲げ、床に這いつくばるヴァイス王子。白金の髪は血に塗れ、端正な顔は地獄の苦しみに歪んでいる。私は、悲鳴を上げた。
「アスワド様!やめて!やめてください」
「………ロザヴィー」
振り返ったアスワド王子は、甘い甘い声で私に呼び掛ける。
「ロザヴィー、俺と一緒に行こう。愛している」
涙に濡れた私の顔を、アスワド王子は紅い両手で包み込んだ。
そう。
私も愛している。
こと、ここに至っても。
私は、この、黒の王子を愛していた。
「………ええ。一緒に。だからお願い、ヴァイス様を城に帰して」
「ああ、他ならぬ貴女の頼みなら。造作もない」
アスワド王子の<ちから>で送られる寸前、ヴァイス王子が私の名を呼んだような気がした。
けれど次の瞬間にはもう、流された血以外に痕跡と呼べるようなものは、その場には残されていなかった。
「ロザヴィー」
安らかな顔で、アスワド王子が私を抱く。
優しい口付けが降りてくる。
私は、そっと答えた。
「アスワド様。―――お傍に、います、最期まで」
―――この人を、この壊れやすい心を持った人を、どうか、護れますように。
これにて、「黒の章」は終わりです。
ここまで読んでくださって、有難うございました。
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次から「白の章」が始まります。ヴァイス王子を選んだ場合の話になります。1話だけ黒と少し重複する部分がありますが、展開、結末は異なります。
もし良かったら引き続き読んで頂けると嬉しいです。
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