第一日目(2) 勘違い
そんなわけで(どんなわけだ)、ぼくは再び同好会室を訪れる運びとなった。正式に会員ではない僕は梗さんの言葉など無視してもいいはずだけど、梗さんが至急集まれというので、少し興味が湧いた。どうせ暇なのだし、同好会室へ行ってみることにした。
「失礼します」
しかしこの時、僕は警戒を怠っていたんだろう。金曜日に同好会室に入るときあんな目に遭っているのに、何故僕は入るのを躊躇わなかったんだ。
扉を開けると、いきなり胸倉を掴まれた。
「は?」
そして体を浮遊感が包む。この時点で僕は自分の愚かさを悔やみ、ついでに事態の主犯が津名さんであると予想していた。
予想ということはつまり、僕は現時点で津名さんの姿を視界に収めていないということだ。あの人はどういう姿勢で胸倉を掴み、僕を投げ飛ばしているのだろうか。
「ぐへ!」
そして背中に鈍い痛みが走る。どうやら僕は投げ飛ばされて円卓に叩きつけられたようだ。受身がとれない僕としては、そもそも投げないでほしいところだ。
投げられて嬉しいはずがない。
「動くな」
透き通る冷たい声が聞こえた。次の瞬間、僕の視界の右端に何かが突き立てられた。おそるおそるそちらを見ると、無骨なナイフが立っていた。
「おいおいおいおい…………」
さすがに命の危機だ。冗談でなく!
僕の腹部に、何かがのしかかるような重さを感じた。ついで誰かに右肩を掴まれる。僕の両腕はどういう理屈かホールドされて動けない。
「死にたくないなら、動くな」
やっと、津名さんの姿を捉えた。彼女は僕の上に乗っかって、右手に持ったリボルバーを僕に向けていた。銃口は眉間に、ほとんどくっついていた。本物ではないと思うけど、津名さんのことだから本物だと言われても驚けなかった。
……誰かこの状況の説明をしてください。僕は死にかけています。「動くな」の後に金曜日同様、「人違いか」と言われれば冗談の類として理解できるのに。
二言目の「死にたくないなら、動くな」に明確な殺意が籠められていた。これ本当に僕死ぬじゃん!
唯一の救いは、彼女の左目に眼帯があることか。つまり本気じゃないんだな。……要するに僕を殺すのに津名さんは本気になる必要が無いという、絶望的な真実でしかなかったか。全然救いじゃない。
「なるほど、やはりオカルト研究部からの差し金だったか」
「言ってる意味が理解できませんが」
津名さんは何かを勘違いしているようだ。何を勘違いしているのかは分からないし知らないけど。
「シラを切っても無駄だ。金曜日の下校中にオカルト研究部の連中を潰した。そこで、貴様が仲間であると言っていたぞ」
「下校中に何してるんですか?」
しかも金曜日の下校は、優さんが一緒にいたんじゃ……。
「正確には、奴らが襲ってきたから返り討ちにしたのだがな。とにかく貴様が裏切り者である以上、看過できない」
「そもそも僕はオカルト研究部の人と面識が……」
「シラを切っても無駄だと言ったはずだぞ?」
駄目だこりゃ。誰かが来るまで我慢するしかない。
「……?」
津名さんは、何か違和感を見つけたように顔をしかめた。そして、ついに僕の上から降りてくれた。相変わらず銃口は突きつけられているけど。
「立て」
「……はい?」
「立って、制服の上を脱げ。今すぐにだ」
正直「何言ってんのこの人?」という感じだったけど、逆らえば死ぬことは必至だったので大人しく従う。
僕は円卓の上から降りて、まずブレザーを脱いだ。投げられたりしたせいで体があちこち痛かったけど、それを気にしている暇は無い。
「カッターシャツも脱げ」
「…………?」
もはやセクハラで訴えて慰謝料が請求できるレベルだが、ここも大人しく従う。ここはあれか? 麗しき先輩に銃を突きつけられて脱衣を強要させられている状況を楽しむべきか?
いや変態だろそれ。言葉にしてみたけど改めてどんな状況だよ。僕は梗さんに言われて同好会室まで来ただけなのに。
「どうかしたんですか?」
「……これだ」
津名さんが僕の背中に触れる。そして、何かが剥がされるような痛みが僕の背中に走った。
振り返ってみると、津名さんがガムテープの切れ端のようなものを持っていた。そして、その切れ端の裏には何かの機械が付いていた。
「小型の録音機だな。これで貴様は、我々の声を録音していたということか」
「……ええ?」
勿論僕に心当たりは無い。……て、誰が付けたんだそれ!
誰かがこっそり、僕の背中につけたんだろう。しかしいつのまに付けたんだ?
「これで決定的だ。貴様は、オカルト研究部の差し金だ」
「言ってる意味がさっぱりなんですが――」
口答えは許されないようだ。僕の視界が一瞬で歪む。そして衝撃。気づいたら、僕は再び円卓の上に叩きつけられていた。津名さんが僕の上に乗ってるし、状況が全部元通りだった。
僕が上半身裸なのを除いて。円卓の冷たさが直に伝わって、少し寒かった。
「許せんな。こうなったら貴様は、死ぬよりもむごい拷問をしてから殺す」
「結局死ぬんですね」
でも冗談じゃなさそうだな。この人だと本気でやりかねんぞ。
誰かが来てくれれば万事解決なのだけど、まだ誰も来ない。言い出しっぺの梗さんすら来てないとは、いったいどうした?
もしかして僕は嵌められたのか?
津名さんは僕を押さえつけたまま、囁くように言った。
「どうする? まずはどっちがいいか選べ。ガラスの破片を全身にゆっくりと刺し込まれるか、熱を充分に帯びた鎖で百回叩かれるか」
「本気で痛そうだ!」
津名さんが言うとさらに痛そうだ。
「その後はどうする? 全身に塩を塗りたくって網で焼いてやろうか? 醤油ベースの汁で煮込んでやろうか?」
「どちらにしても魚が食べれなくなりそうだ」
何でどっちも魚の調理方法なんだよ。
「どうでもいいですけど、そろそろ冗談はやめて下りてくださいよ。これ他の人が来たら本気で冗談じゃ済まなくなりますよ」
「問題は無い。既に冗談では済まなくなっているからな」
「さいで」
駄目だこりゃ。もう助けを待つのは諦めて、自力での状況打開を試みた方が良さそうだ。このままだと煮魚か焼き魚のどちらかになる。
まず僕は魚じゃないけどね。でも結局焼き恋華か煮恋華の違いなので、命の危機であることは変わりない。
「いやー遅くなってごめん! 遅れ――」
僕が他力を諦めた瞬間、同好会室の扉が開いた。津名さんと一緒にそちらを見ると、入り口には梗さんが立っていた。
梗さんはまず僕を見て、その後津名さんを見た。そして悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。
たぶんこの人、僕たちの現在の状況は満遍なく理解したな。理解した上で、わざと何か勘違いしようとしているな。何にせよ僕と津名さんにとって不利なことを思いついたのは確かだろう。
「ごめんごめん。お取り込み中だったか。それならそうと言ってくれればいいのに。津名くんも恋華くんも人が悪いなあ」
そう言って梗さんは扉を閉めた。津名さんは僕を見て、それから事態の深刻さを理解したようだった。青い目がキョロキョロと忙しなく動いている。
「ま、待つんだ梗殿! これには深い訳が……」
どこにも深い訳なんて無かったと思う。とにかく津名さんは僕から飛び降り、梗さんの後を追いかけた。直後、発砲音。たぶん火薬だけで実弾は込められていないだろうけど、あの調子で梗さんは無事なんだろうか。
「恋華君、さっき凄い勢いで会長と副会長が追いかけっこしてたけど、どうしたの?」
入れ替わるように、優さんが部屋に入ってきた。僕はとりあえず円卓から降りた。
「さあ? 僕に心当たりは無いな。よく分からないけど、梗さんが部屋に入ってきたと同時に津名さんが追いかけたんだよ」
適度に真実を織り交ぜながら優さんに話す。別に同好会の人なら「津名さんにオカルト研究部の刺客と勘違いされて殺されかけた」と言っても通じるだろうけどさ。
僕の現在の姿を見て、優さんは首を傾げる。
「……あれ? どうして恋華君は服を脱いで上半身裸になってるの?」
「津名さんに頼まれたんだ」
「頼まれた?」
「僕の体に刻まれた歴戦の傷跡を見たいって。さすが津名さん。服の上からでも古傷があるって分かるんだね」
適当な話で乗り切る。しかし想像すればするほど変な状況だ。まだ筋肉なら分かるのに。僕は日課でトレーニングしているから、もしかしたら古傷より筋肉の方がリアリティがあったかもしれない。次はそれでいこう。……次が無いのが一番ありがたい。
「へえ。副会長のお父さんはアメリカの軍人で『キャプテンアメリカ』って言われるくらい強い人だったらしいから、古傷にも興味があったのかな?」
相変わらず聞きたくない情報がついてたけど、優さんは納得してくれたようだ。
「あ、本当だ。よく見ると恋華君、すっごい傷がある」
僕がカッターシャツを着ようとしたところで、優さんは僕の体にある唯一の傷跡を見つけた。別に隠したいわけではないが、見つからないに越した事の無い傷だったので、優さんが見つけてしまったのは少し残念だった。
「どうしたの、これ?」
優さんは僕の古傷を指差す。僕の、胸のど真ん中を貫くようにある傷を。
「実は小学生の頃、刃物を持った強盗と出くわしたことがあるんだ。その時に刺されたんだよ。刃渡りの長いナイフだったから、かれこれ一週間は生死の境を彷徨った」
口からでまかせを言った。これは古傷について尋ねられたとき、必ずそう答えると決めていた文言だ。叔母さんが、そう言っておけと僕に教えてくれた。
本当はもっと別の理由だった気がする。でも、嘘の理由を言い続けてきたせいで、本当の理由をうまく思い出せなかった。思い出せないということは、たぶん大した理由じゃないんだろうけど。
『うそつき』
「……え?」
声が聞こえた。透き通るような声で、頭の中に直接響き渡るようだった。
「優さん、今何か言った?」
「ううん。何も言ってないよ」
優さんに聞いてみたが、優さんは知らないと首を振る。僕の脈絡の無い質問に戸惑っているようだった。だから優さんは、嘘をついていないんだろう。
しかしこの部屋にいるのは、僕と優さんだけだ。じゃあ声の主は、いったい誰だ?
空耳か?
「どうかしたの恋華君?」
「いや、何でもないんだ」
僕は一抹の不安を振り払って、カッターシャツを着た。さっき聞こえた声が地下倉庫で聞こえた声と同一であるということも、勿論振り払って忘れた。