第零日目(3) 神隠し
井深千穂。
僕の、かつての幼馴染。
彼女が僕をあのように怖がる理由を、僕は知らない。
知らないけど、心当たりがないわけではない。僕が千穂に怖がられる理由があるとすれば、それは六年前のあの事件しか無いのだから。
六年前に僕の住んでいた地域で起きた、神隠し。それしか心当たりが無い。
神隠し。そんな現象があるなんて僕は信じていなかったけど、それは唐突に起きた。六年前の四月に、起きた。
六年前といえば、僕はまだ十歳だった。でも、起きてしまった神隠しについては、今でも鮮明に覚えている。今でも悪夢に見るくらい、はっきりと。
始まりはさっきも言ったように、六年前の四月だった。四月の第二月曜日に、ひとりの少女が失踪した。
少女が失踪したのは、その第二月曜日の夕方だった。少女はその日の夕方、数名の友達と公園でかくれんぼをして遊んでいたのだ。友達のひとりである少年が鬼になったとき、少女は忽然と姿をくらました。
遊んでいた友達は、最初の方こそ少女が上手に隠れたのだろうと面白がって探した。しかし一時間探しても見つからず、そこでみんなおかしいと思った。すぐに全員で、少女を探した。それでも見つからない。
結局、その少女が失踪したと警察に届けられたのは、その日の夜だった。それまで、友達の親も呼んで一生懸命探したけど、誰も少女を見つけられなかった。
その少女の名前は、中畑胡桃といった。僕と、千穂の幼馴染でもある。そして胡桃が失踪した時、僕はかくれんぼの鬼だった。
それから、次の日には別の少女が失踪した。また次の日も、そのまた次の日も、少女が失踪した。そして土曜日までに一日一人ずつ少女が失踪して、六人の少女が消えた。
それだけで終わってくれれば、僕としても千穂としても楽だった。
合計で六人の少女が失踪した、その次の日。つまり四月の第三日曜日に、六人の少女は発見された。
血まみれで。
血だらけで。
死んでいた。
何が何だか、当時の僕にも今の僕にも分からない。幼馴染の胡桃を含めた六人の少女は、死体となって発見された。
思えば、これが神隠しのはじまりだった。始まってほしくない恐怖の、幕開けだった。
五月の月曜日、またしても少女が失踪した。
次の火曜日も、少女が失踪した。
次の水曜日も、少女が失踪した。
次の木曜日も、少女が失踪した。
次の金曜日も、少女が失踪した。
次の土曜日も、少女が失踪した。
次の日曜日に、全員が死体となって発見された。
よって計六人、新たに神隠しの犠牲となった。この一連の事件を神隠しと正式に呼ぶようになったのは、確かこの頃だったと思う。
そうして神隠しは、毎月起こった。六月も、七月も、八月も、九月も、十月も、十一月も、十二月も、一月も、二月も。毎月、僕たちをあざ笑うかのように繰り返された。そんな無意味な繰り返しのせいで、僕たちの周りでは罪の無い少女が合計で六十五人も犠牲になった。
その六十五人の中には、千穂の友達がたくさんいた。
その六十五人の中には、僕にとってかけがえのない『あいつ』がいた。
神隠しは、僕や千穂の大切な者を奪いながら二月まで続いた。
それが神隠し。そして僕は何故か、千穂から恐れられた。千穂は何故か僕が、神隠しを呼び寄せたのだと思い込んでいるようなのだ。
だからこそ、僕を見た時にあんな態度を取ったのだ。
「えっと、何かごめんね」
千穂に追いつけなかったらしい優さんは、同好会室に戻ってくるなり僕に謝った。
「千穂ちゃんは臆病で人見知りなところがあって、初めて会った人とはコミュニケーションが取り辛いんだ……。でも、あんなになるなんて、わたしも驚いちゃったよ」
「そうだね。あれは驚いた」
千穂は僕が知った顔であることを誰にも話していないようだ。ここは優さんの話に合わせて適当に受け流すのが吉だろう。
「じゃあ、気を取り直して自己紹介しようか!」
何がじゃあなのかやっぱり分からないけど、さすが学級長だけあって話の展開は上手だ。千穂の話を軽く流して、自己紹介で有耶無耶にする気だろう。
「それじゃあ、ボクから自己紹介しよう」
まず自己紹介の先陣を切ったのはボーイッシュな会長。一人称がボクだと僕とキャラが微妙に被るんだけど……考えすぎか。
「ボクは早峰梗。七不思議同好会の会長さ。クラスは二年十組だよ」
そう言って会長・梗さんは、馴れ馴れしい笑みを浮かべる。フレンドリーって言葉がとても似合いそうだ。
「次はジブンか。……七不思議同好会の副会長、空鍵津名だ。所属は二年八組。以後よろしく」
次に自己紹介をしたのは、出会って間もないのに僕のトラウマとなっている副会長・津名さんだ。
……てっきり完全な外国人だと思っていたけど、名前を聞く限りどうやらハーフらしいな。何人とのハーフかは分からないが、かなり外国人の親の性質が強く遺伝している。顔立ちは日本人に近いけど、それ以外はほとんど外国人だ。
「最後はウチやな。ウチは一年八組の青田有加いうねん。よろしくな」
そして最後に自己紹介をしたのは、猫耳で関西弁という有加さんだった。本当にこの人、キャラが強すぎる。猫耳も関西弁も、それだけで充分ひとりを装飾できるぞ。それをひとりで全部装着しちゃったら、ただキャラがブレるだけなんじゃ…………。
「会員は自己紹介をしたボクたち三人と、優くん。そして千穂くんの五人だよ。同好会としては少ない方だけど、正式に学校から認められている同好会じゃ一番新しいんだよ」
梗さんは僕に、同好会の説明を補足してくれた。
「でも認可されるときにオカルト研究部と一悶着あって、だいぶ苦労したんだ。最終的には、伝家の宝刀である副会長の津名くんを抜かせてもらった」
「…………」
うん、比喩的な意味を抜きにしても、実際に抜いたんだろうな、刀。模造刀と優さんは言っていたけど、この調子の会話が続くと、その真偽が怪しくなる。
本当に模造刀だよね?
「いや梗殿、それは微妙にニュアンスが違う」
「え?」
会話に津名さんが割り込んで、梗さんの説明を修正する。言うまでも無く下方修正に違いない。
「正確には、ジブンが抜いたのは刀ではなくナイフだった。狭いこの部屋を制圧するのに、刀では扉から切り込みづらいからな」
つまりあの時、もし刀に手が伸ばせていても僕の首元に当てられるのは結局ナイフということか。扉付近は狭いから、刀を扱いにくいという津名さんの言い分も分かるけど……。
津名さんは不満そうに呟く。
「オカルト研究部は当時十五人いたのだが、全員を制圧するのに三十秒とかからなかった。まったく、もう少し粘ってほしいものだ」
いやその注文は無理でしょう。オカルト研究部って、名前からして体育会系はいなさそうだろ。
「そういった紆余曲折の末、今の同好会室は去年入手した。故にまだ、諦めきれないオカルト研究部員がこの辺をうろついているという次第だ。警戒しなければ、次に襲われるのは我々だ」
なんで国境の警備についている軍人みたいな緊張感でここにいるんだこの人。平和な高校生なのに襲うとか襲われるとか制圧するとかされるとか、物騒なワードしか出てこない。
「恋華っち、津名っちの言葉は適当に流しときや。真面目すぎて、いちいち反応しとったら埒が明きまへん」
「恋華っち? 誰だそれ!」
いつの間にか、僕があだ名で呼ばれている。まだ有加さんとは、出会って数十分だろうに。
「というか恋華っちの背後から、何やら不穏な霊気が見えるんやけど、ウチの気のせいか? とり憑かれとるんか?」
「ええ?」
「放っておくがいい恋華殿。有加殿は霊感があるらしく、たまにそういう事を呟くのだ。いちいち気にしていたら埒が明かない」
「意趣返しされたなぁ」
いや意趣返しはどうでもいいだろ。え、何? 僕の後ろに何かいるの? そこを詳しく説明してください有加さん!
「有加ちゃんのお母さんは、有名な霊媒師なんだって。だからお母さんの遺伝で、有加ちゃんも幽霊が見えるらしいよ」
「説明ありがとう優さん。お陰で僕の背後にいる何かがより確定的になったよ」
そんな説明なら聞きたくは無い。何で優さんの会員に関する説明は聞きたくないものばかりなんだ。
「最近は何でか、学校中で霊気が乱れとってなぁ。ウチもよく掴めんのよ。何か嫌な予感はするんけどなあ」
「はいはい」
津名さんが有加さんの話を適当に流した。有言実行する人だな。
話を流した後で、津名さんは梗さんを見て言った。
「ところで梗殿。ここにどうして我々を集めたのだ? まさか優殿が恋華殿を連れてくると予測したわけではないだろう?」
「ああ、本題を忘れるところだったよ。千穂くんが来たところで話そうと思ってたんだけど、予想外なことが起きたからね」
本題? 僕はてっきり、定期的な集まりとして今日は全員がいるものだと思っていた。そうでなくても、好き好きで集まっている同好会だから、だいたい全員が勝手に集まっているものだと。
梗さんは不自然なほどこちらを凝視して話す。
「今日集まってもらったのは、もちろん活動のことだよ。文化祭に向けて、そろそろ『七不思議』について情報を集めないといけないからね」
「七不思議? さっきも言ってましたけど、何なんですか?」
「食いつくねえ恋華くん」
「…………」
いや、ねえ。梗さんが食いついてほしそうに、こっちを見て話すからですよ。玩具をねだる三才児みたいでしたよ。
「七不思議というのは、この花園高校が共学になる前、つまり花園女学院だった頃から伝わる怪談話の総称さ。無能なオカルト研究部と違って、ボクたちの先代は噂でごちゃごちゃになっていた七不思議を整理して纏めたんだ」
「それが評価され、我ら七不思議同好会は正式に学校から認可されたのだ」
自慢げに話す梗さんと津名さん。先輩の偉業が誇らしいのだろう。ちゃっかりオカルト研究部も非難している。
どんな怪談話でも、噂だから尾ひれがついて当たり前。梗さんたちの先代は、どうやらその噂話を調査して纏めることで、七不思議同好会を現在の地位に押し上げたらしい。確かに偉業だ。民俗学者の研究レベルだぞ。
「先代が纏め上げた七不思議を調査し、纏める。それこそが我々のやるべき課題だ」
「そういうわけで、早速七不思議の調査をしようと思ってたんだけどね……」
ここで梗さんが言葉を濁らせた。どこか残念そうな声色だ。
「四月にあんな事件があったせいで出遅れちゃったんだ。だから今日から、今度こそ本格的に活動を!」
あんな事件。梗さんからその言葉が出た時、同好会室の空気は凍った気がした。しかしそれも一刹那のことで、すぐに融解する。その様子で、ここにいる全員がその事件に内心怯えていることを理解した。
恵野宮先生も、その事件を気にしていたな。帰りのホームルームでの言葉を考えれば、それは明らかだ。
梗さんの言葉が終わったところで、突然扉が音を立てて開いた。全員が音につられて扉を見た。津名さんは素早く模造刀に手をかけている。
「おお、天川。お前こんなところで何してんだ?」
「……恵野宮先生」
入ってきたのは、オカルト研究部員ではなく恵野宮先生だった。思えば七不思議同好会の顧問って恵野宮先生だった。
「あれ、恵野宮先生。今日は会議で遅れるんじゃなかったんですか?」
「会議が予定よりも早く終わったんだ」
梗さんの質問に、恵野宮先生が簡潔に答える。
「それよりお前ら、今日はもう帰れ。最近は物騒だから、日が暮れる前に帰らないと危ないぞ」
「……正論だな。確かに我々は、危ない」
津名さんは意味深な事を呟いて、席を立って鞄を持った。
「四月にあんな事件が起きたのだ。我々は早く帰った方がいいだろう」
「あんな事件なんて、そうそう起きるもんやろか」
「さあな。しかし警戒するに越したことは無い」
あんな事件。四月に起きた事件。それが今の僕たち、花園高校生の行動を縛り付けていた。
「それで、どう帰る? ひとりで帰るのは危ないだろう」
「ボクは寮生だから、さすがにひとりでも大丈夫だよ」
津名さんの疑問に梗さんは、安心しろばかりに笑顔で答えた。それもそのはず。花園高校と寮は目と鼻の先。いくらなんでも大丈夫だ。
「千穂殿は……帰っただろうな。では、方向も同じだし、ジブンは優殿と帰ろうか」
「あ、はい。そうします」
優さんは安心したのか、胸をなでおろす。津名さんほど頼れるボディガードもいないだろうからね。中途半端な男子に頼るより安心できる。
「あれ? これウチが余りとちゃうか?」
「有加くんは、いつも千穂くんと帰っていたからね」
どうやら話はほとんど纏まったようだけど、有加さんだけ一緒に帰れる人がいないようだ。ここは僕が出るべきか?
「それなら、僕がついていきますよ」
「いいんか、恋華っち?」
「いいよ。僕は梗さんと同じ寮生だから。それに男を狙う奴はいないだろう?」
「なら頼むわ」
いいえこちらこそ。実は他の誰にも聞かれたくないことの確認が取りたかったのだ。この状況は渡りに船だった。
「決まったな。それでは、帰るとしようか」
「そうだね。それじゃあみんな、また来週! ……神隠しに遭わないでね」
こうして七不思議同好会は、梗さんの不吉な一言で解散した。